Case5:六道舞風 サルベージ船、減圧室 

「うあああああっ!」


 マモンは悲鳴をあげて飛び起きた。いつも見る夢だ。何度も見ているのに慣れることはない。

 何人もの人間の心を読んだ。何人もの人の心を壊した。そのときの表情が脳裏から消えない。つんざくような悲鳴が耳から離れない。

 だからマモンは笑うしかなかった。エキセントリックにふるまい、平気なふりをした。嫌ならリーディングをしなければいい。しかし自分からリーディング能力を取ったら何も残らない。出来損ない、役立たずと罵られ、また昔のように誰からもいらないと言われる。

 完全に利己的な理由。己のリーディングには覚悟も信念もない。

 最悪なのは最近は人を壊すのが少しだけ楽しいと感じ始めていることだ。ただのふりだったはずなのに。

 それから毎晩悲鳴を上げては壊れる人達の夢を見る。彼らの悲鳴と自分の悲鳴が重なる。終わりのない償いをさせられている気分だ。




「僕が峰島由宇を見たと言ったことを覚えてるかい?」


 八代が話しかけてきたのは、減圧室にある小さな窓から灰色の海をぼんやりと見ているときのことだった。今日見た夢はひときわ酷かった。つまりマモンの虫の居所は悪く、視界に軽薄な八代の茶髪が目に入るだけで苛立ちが増した。


「覚えてるよ。禁欲的な生活に限界がきて、胸の大きな女を見たって話でしょ。ああ、やだやだ。こっち近づかないでくれる。しっしっ。しかも全裸になって。完全に変態だったよね」

「全裸ってなに。勝手に話を盛らないでくれるかな!? 上着を着てなかっただけだよ! いや、話がそれそうだから戻すね。由宇君を見たのは僕だけじゃなかったんだ。NCT研究所の朝倉小夜子君、海星の福田副司令、峰島由宇本人までもが、全員が全員、峰島由宇の幻を見ている」


 外を見ていたマモンの目が驚きで見開かれる。


「なんてことだ。そんなの嘘だよ……」

「うん、驚くのも無理はないと思うけど」

「全員が全員、胸の大きな女が好きだったなんて! 福田のおっちゃんまで! 信じてたのに!」


 八代の表情が引きつった。


「いや、あのね……」

「はあ、冗談だよ。ドッペルゲンガーって死の兆候だよね。あの女いつ死ぬの? 今日? 明日? それとももう死んじゃった? 葬式はいつ?」

「幸い迷信は発動しなかったよ」

「幸い? あいにくの間違いだよ」

「それと原因も解った。今回のドッペルゲンガーは心霊現象ではなく、科学的に証明できるものだったからね」

「へえ、どんな真相なの?」

「舞風君、犯人は君だよ」

「は? なに言ってるの? 頭おかしくなった? 頭おかしくしてあげようか?」


 マモンはさらりと怖いことをいう。


「やめて! いまからちゃんと説明するから」


 八代はマモンのリーディング能力が、どのように働いて他の人の脳に影響を与えたかの説明をする。


「あくまでも仮説だから、検証は減圧室を出てからになる。もちろん君の協力は必要になるけど」

「ふーん」


 マモンの脳裏におかしくなっていく人々の顔が蘇る。


「まあ、いいけど」


 リーディング能力を制御できるようになったということは、今後は相手の頭がおかしくなるようなことは起こらないのだろうか。いまさらの話だが、悪夢に出てくる顔がこれ以上増えないのは、確かに朗報だ。


「それともう一つ。こちらは仮説が正しかった場合なんだけど」


 反応が薄いマモンに八代は辛抱強く言葉を紡ぐ。


「いままでリーディングで正気を失った人達だけど、君の能力で正気に戻せる可能性があるとも言っていた。由宇君の脳のデータの整理能力を読み取った君は、同じように使えるようになったはずだ。それを他者に使う」


 マモンはしばらくぽかーんと八代の顔を見ていた。


「本当に?」

「由宇君の考えならばほぼ確定的と言っていいんじゃないかな。でもまだ仮説段階だから」


 マモンはむっとした顔をする。


「仮説仮説って、なんだよ。手っ取り早く検証する方法があるじゃないか。いまここであなたをリーディングすればいいんだよ。ブレインプロテクトもかかってるし? ばっちりじゃないか。制御できるようになっていれば、正気を保っていられる。できなければアッパラパー。どう、超簡単な検証方法でしょ?」

「いや、それはちょっと……」


 八代がじりじりと後ずさりする。


「あはははは、いい大人が本気でビビってる。情けないね」


 マモンはすっと身を引いた。

 そうだ。こうして自分は恐れられる。誰だって心を読まれるのは怖いし嫌だ。さらに人格まで壊されるのなら、忌み嫌われて当然だ。


「いや……、由宇君も間違いないって言っていたし、うん。解った。覚悟を決めようじゃないか」


 暗い顔をしたマモンの手を、八代がつかんだ。

 ――舞風君が悪夢を見なくて済むようになるかもしれない。それなら。

 頭に流れ込んできた声に驚いて、マモンはすぐさま八代から手を離した。

 いま一瞬、八代の思考が読めた。

 僕の悪夢解ってたんだ……。

 マモンは両手で八代の顔をつかむ。マモンの細い指に掴まれた茶色い髪の間から、覚悟を決めて固く目をつむる顔があった。普段の軽薄な笑みはなく、冷や汗が流れている。当たり前だ。

 先ほどのように八代の心は流れてこない。マモンは注意深く能力を封じだからだ。しかし能力などなくても八代の覚悟は伝わってきた。

 どうしてこの人は自分を恐れないのだろう。いや恐れてはいる。ならばどうして離れていかないのか。こうして己を差し出してくれるのか。

 ――信じていいの?

 心の奥底に芽生えた感情の名前をマモンは知らなかった。


「あの、舞風君?」


 動かないマモンを不審に思って、八代は恐る恐る片目を開ける。その瞬間マモンは、


「どーん」


 と叫びながら八代に向かって額を突き出し、そのまま勢いよく頭をぶつけた。

 八代はそのままのけぞって倒れる。


「ああ、ああ。下心丸見えなんだよね。そうやって可愛い僕と顔をくっつけようって魂胆でしょ。ほら期待にそんな鼻血出しちゃって」


 鼻に頭をぶつけられた八代は涙目になっていたが、


「本当にいいのかい?」


 と尋ねてくる。


「いいの!」


 それだけいうとマモンは毛布をかぶってしまった。



 その日の夜、マモンは悪夢を見ることなく、深い眠りについた。朝がきて目を開けると減圧室の天井が見える。悲鳴を上げて飛び起きなかったのはいつ以来だろう。

 減圧室の天井をしばらく見ていると、近づいてくる足音があった。


「お目覚めですか? 王女様。朝食をお持ちしましたよ」

「なに、気持ち悪いし、寒いんだけど」

「はは、冗談だよ。でも大人扱いしてって言ったのは君だろう? はい、今朝は大人の珈琲だよ。君にもワインの風味を」


 八代がにこやかに朝食の載ったプレートとコーヒーカップを置いた。


「うん、レディ扱いしてくれるのは悪くないよ。今朝はオレンジジュースじゃないんだね」


 マモンは満足げに珈琲の香りを楽しみ、最初の一口を飲んだ。


「苦っ!」


 しかし、あまりの苦さに口に含んだ珈琲を思わず吹き出してしまい、目の前にいる八代の顔と服にコーヒーが思い切りかかってしまった。

刊行シリーズ

9S<ナインエス> XIII true sideの書影
9S<ナインエス> XII true sideの書影
9S<ナインエス> XI true sideの書影
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