Case4:峰島由宇 NCT研究所、地下1200メートル

「私のドッペルゲンガーが出る?」


 NCT研究所の地下1200メートルにある隔離された部屋で、由宇はわずかに眉根を寄せた。

 伊達はその様子を観察しながら、ガラス張りの床の下にいる由宇に向かって話を続けた。


「ドッペルゲンガーは仮称、ただのたとえだ。おまえを目撃し会話をしたという者が何人も現われた。まず八代。閉じ込められているサルベージ船の中の減圧室でだ。ここは人の出入りは不可能。たとえおまえでも現われることはできない。次にNCT研究所の朝倉小夜子。彼女が仕事をしているモニタールームにも現われた。この場合、目撃ではなく気配と会話のみだったが、朝倉君は確かにおまえだったと。そして海星の副司令である福田武男。取調室でおまえを見たと言っている。その場にいた俺には見えなかったし、監視カメラにも映っていないが」


 場所も時間もバラバラだ。


「一つくらい、本当におまえが抜け出して現われたんじゃないのか?」


 小夜子は同じNCT研究所の中だ。不可能ではないかもしれない。しかし由宇は完全に無関心で表情にほとんど変化はなかった。


「どうでもいい。私には無関係だ」

「おまえのドッペルゲンガーでもか?」

「誰であろうと関係ない。それとも何か? 自分のドッペルゲンガーを見た人間は死ぬという迷信でも危惧しているのか?」


 由宇は馬鹿馬鹿しいとベッドに潜り、これ以上話すことはないと布団をかぶってしまった。



 伊達が去った後、由宇はふと人の気配を感じた。まさか伊達がここまで降りてきたかと思ったが足音から解る体重や身長は違う。体重41.4±0.6キロ、身長160±1センチメートル。

 いまここにいる職員に該当者はいない。なにより足の運びに隙がない。そもそもいかなる方法でここに降りてきたのか解らない。そんなことは十年地下にいて初めてのことだった。

 ――まさか。

 由宇はベッドから飛び起きると、3メートル22センチ離れた場所にいる人物を見て冷や汗をかく。

 そこには自分――峰島由宇と寸分違わない人物が立っていた。


「鏡を見ているかのように似ていると思ったか?」

「それは違う。鏡ならば幾何学的な反転が起こっているはずだ。しかし君の姿にはそのような対称性は見られない。故に鏡と評するのは間違っている」


 由宇は由宇に反論をする。


「こざかしいことを言う」


 由宇は立ち上がると、由宇の目の前まで来た。


「さておまえの正体を見極めようではないか。大方予測はついているが」


 由宇はノーモーションで右側頭部にハイキックする。由宇はわずかに状態を避けて、鼻先数センチをかわす。

 さらに二度三度、由宇にしては珍しい隙の大きいハイキックを繰り返した。そのすべてをドッペルゲンガーの由宇はかわした。


「やはりそういうことか。おまえが私ならば途中の隙を見逃さず、攻勢に出る」


 由宇はすぐさま目の前の現象の原因がなんであるか理解した。理解してしまえばなんということはない。ドッペルゲンガーなどという怪奇現象でもなければ、何かしらの精神攻撃でもない。ただの事故のようなものだ。

 興味を無くした由宇は自分に背を向け、再びベッドに潜り込もうとした。しかし由宇は一つだけ理解していなかった。彼女が自分自身に対して、ずっと目を背けていたものがあるということを。

 もう一人の由宇は、由宇に向かって挑発的な態度を崩さないまま言う。


「はっ、また逃げるのか? 真目不坐に言われてたことから逃げて、禍神の血から逃げて、坂上闘真から逃げて、自分自身からも逃げるか。とんだ意気地なしだな」

「なんだと?」


 無視しようとした由宇だが、看過できないことを言われた。


「この現象も、解っただけで何もしない。解らない者を小馬鹿にして、しかし己は何もしない。そしてまた自分は孤独だと嘆くつもりか」


 もう一人の自分は容赦なく由宇の矛盾を突いてくる。


「言ってくれるな……」

「図星だろう? なにしろ私はおまえだからな」

「そこまで言うなら、おまえの実力がどれほどのものか見せてみろ」


 由宇は由宇に向かい戦闘をしかけた。



 峰島由宇が一人で暴れている。

 そう報告を受けた伊達は急いで地下1200メートルに舞い戻った。そこにあったのは唖然とする光景だ。

 由宇の部屋にあるほとんどの家具や機材は壊れているか倒れていた。その中心で由宇は肩で息をしている。報告にあったとおり由宇が一人で暴れて現在の惨状を作り出したようだ。


「おい、何があった?」

「たいしたことじゃない、私のドッペルゲンガーが現われただけだ」

「ドッペルゲンガーだと? おまえのところにも現れたのか? しかし監視カメラには何も映っていないぞ」

「映らなくて当然だ。私の脳が生み出した幻だ。ゆえに私にしか見えない。他に私のドッペルゲンガーを見た八代達も同じだ。自分自身の脳が生み出した幻を見ただけだ」


 由宇は淡々と語り出した。


「八代一、朝倉小夜子、海星副司令の福田武男、そして私、峰島由宇。全員に共通するのは私と面識があり、なおかつマモンのリーディング能力に深く触れた者だ。小夜子と八代は命がけの戦闘をし、福田はフリーダムの中で深くかかわった。マモンのリーディング能力は不完全で双方向の記憶データを行き来する。マモンの中にある峰島由宇の記憶が他人に書き込まれたんだ」

「しかしあのリーディング能力を受けた者は皆おかしくなるはずでは? まして三人ともブレインプロテクトを受けているんだぞ。LC部隊員のように人格が破壊されないのは何故だ?」

「フリーダムの中で、マモンは私の脳のほぼすべてを読み込んだ。そのさい私は自分の記憶を改ざんした。リーディング能力のある峰島由宇だ。私は消去したい記憶を忘れることができるし、暗号化することもできる。そのように訓練した。記憶の偽装が可能だ。結果、マモンは自分を峰島由宇だと思い込んだ。そして同時に脳の使い方も学んだんだ」


 こうして聞くと由宇の能力も人間離れしていた。


「私の幻を見た三人は、直接記憶をリーディングされたわけではない。書き込まれた情報はわずかだろう。せいぜい私という人間がいるという情報くらいだ。だから正気を失うこともない。足りない情報は彼らの中にある峰島由宇像で補われ、語り、動く。故にどの峰島由宇も言動が異なり、各々の私に対するイメージが反映されたものになる」


 由宇の推察通りなら八代の抱く由宇像は内罰的で暗く、小夜子は優しく尊敬できる対象で、福田は怖いと思ったのだろう。


「おまえのイメージだとしても不可解なものもあるが」

「ならば私のイメージを通した幻覚者本人の主張だろう」

「なるほど、チェスが強くないくせに挑んでくる、はさすがに不自然だと思った」


 書類を見る伊達の目が冷たく細くなる。


「それはマモンの意思によってか?」

「いや、意図したものではないだろう。以前のリーディング能力と方向性が変わったため、制御の仕方を間違っているだけと推測する。事実を教えて自覚を促せば、彼女なら制御できるようになるだろう」


 由宇の推論は正しいように思えた。これを元に調査をすればすぐに真相は解明できそうだ。しかし不可解なこともあった。


「二つ、解らないことがある。その条件なら俺も当てはまる。なぜ俺はおまえのドッペルゲンガーを見ない?」

「固定概念が強いものにはマモンのリーディング能力は効果が薄いのだろう。他者の意見に左右されない意志の強さと言えば聞こえがいいが、裏をかえせば融通の利かない石頭だということだ。はっ、おまえらしいな。私ですら見たというのに」


 挑発的なもの言いだが間違っているとも言えないので、伊達は言い返すのをぐっとこらえた。


「二つ目の疑問だ。なぜおまえの部屋がこんな惨状になる?」

「私の前に現れたのは、私の脳が作り出した私。つまり私と同じ身体能力を持っている。珍しい機会なので手合わせしたくなった。自分の力量を客観的に知っておきたいただの知的好奇心だ。しかし回避しかできない相手にいささかムキになりすぎた」


 その結果が何もかも破壊し尽くされた部屋の惨状だ。


「つまり何か、おまえは自分と喧嘩していたのか」

「むっ、そういうと頭が悪そうに聞こえるじゃないか」

「悪いだろうが! おまえは鏡に映った己を威嚇する猫と同レベルだ!」


 部屋の荒らされ様は、犬猫が暴れ回った部屋そのものだ。いやもっとたちが悪い。

 ――ずっと塞ぎ込んで動かなかった。これはいい兆候だと思え。自暴自棄になって暴れるよりずっとマシだ。

 伊達はこめかみをおさえながら、なんとか前向きに考えようとした。

 由宇はそんな伊達を見上げて言う。


「私の仮説が正しかった場合、いまADEMが抱えている問題の一つを解決できる可能性があるが、聞くか?」

刊行シリーズ

9S<ナインエス> XIII true sideの書影
9S<ナインエス> XII true sideの書影
9S<ナインエス> XI true sideの書影
9S<ナインエス> X true sideの書影
9S<ナインエス> IXの書影