プロローグ 大後悔時代Online

◆ルシアン:俺と結婚して下さい!

◆猫姫:ふ、ふにゃ?


 巨大な剣を背負った金髪の男が膝をつき、頭に猫の耳をつけた少女に手を差し伸べた。

 滑らかな3Dのグラフィックで表現されたその光景は、荘厳で神聖で侵しがたく、まるで一枚の絵画になりそうなぐらいに美しい──と、少なくともその時の俺は思った。


「言っちまった、言っちまったよ……」


 画面に表示された自分のチャットを見つめ、俺は震える手をぐっと握り込んだ。

 レジェンダリー・エイジ、略してLAと呼ばれるゲームがある。

 パソコン専用のマッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム──多くの人間が一つの仮想世界に接続し、全員で同時にロールプレイングゲームをするという、MMORPGの一つだ。LAはサービス開始から一年程だが、悪くないアクション性と可愛らしいグラフィックでそれなりのプレイ人数を集めている中堅MMORPGである。

 このゲームではじめてオンラインゲームというものに触れた俺は、NPCしか存在しない既存のオフラインゲームとは違う、それぞれが生きた人間だからこそ成立するオンラインゲーム独自の楽しさにどっぷりとハマってしまった。それこそ寝る間も惜しむように、サービスが始まってからずっとプレイし続けている。

 そのLAなのだが、サービス開始一周年を迎えて大規模なアップデートが行われた。

 その目玉が新実装の『結婚システム』だ。

 異性のプレイヤーキャラクターに求婚して、成功すれば結婚式を行うことができる。結婚以降は夫婦として扱われ、一緒に居るとステータスボーナスが与えられたり、お互いの位置を把握できるなど様々な特典を受けられるという内容だ。


◆猫姫:結婚って……私と、ってことなのかにゃ?

◆ルシアン:はい、お願いします猫姫さん!


 その実装初日。

 俺は所属するギルド内で最も美しく、可愛らしく、それでいて仲間にはいつも気をつかう。さらに装備品のセンスも良く、質も良い。その上プレイの腕も良くて、何より語尾にいつでも『にゃ☆』を欠かさない、まさに理想の女性、名実共にギルドのアイドルである猫姫さんに結婚を申し込んだのだ。

 アップデート当日のメンテナンス終了直後、たまたま同時にログインした猫姫さんにその場でのプロポーズだ。誰よりも早く、この場にライバルは居ない。唯一無二の完璧なタイミングだった。


◆猫姫:にゃ、にゃんで私? 冗談とかじゃないのかにゃ? 本気の、本気で言ってるのかにゃ?

◆ルシアン:本気です! あなたが好きなんです!


「頼む、頼む……!」


 もしこれがOKしてもらえれば俺と猫姫さんはめでたく夫婦。

 皆に愛される天使である猫姫さん、その愛を独占してゲームをプレイする──ああ、まさに夢のようじゃないか。

 もしかしたら断られるかもしれない。そんな不安はもちろんあった。

 しかし俺は猫姫さんと誰よりも仲良くしていた自信があったし、気持ちを抑えられないぐらいに彼女のことを想っていた。

 例え断られても彼女に何の隔意も持たない。それぐらいの決意があった。それだけの覚悟をもった告白だった。

 だから──


◆猫姫:あー、ごめん。私、リアル男なんだけど


「…………は?」


 その言葉が表示された瞬間、俺はモニターの前でぽかんと口を開けてしまった。

 おと……おとこ?

 俺の天使である猫姫さんが?

 え、なにそれ?

 どういう冗談?

 あ、そうか、冗談か。

 ははは、猫姫さんったら悪戯っ子だなぁ。


◆ルシアン:や、やめてくださいよ猫姫さん、そんな冗談を言うのは

◆猫姫:いや、マジだから


 震える手で文字を打った俺に返ってきたのは、猫姫さんとは思えない程に冷たい言葉だった。


◆猫姫:悪いけど本当に中身男。ってかおっさん。ちょっとノリであからさまなネカマプレイをしてみただけなんだけど、まさか本気で結婚とか言われるとはねぇ。悪いことしたよ

◆ルシアン:な、何を言って……


 何とか否定しようとするのだが、彼女のチャット内容が余りにも猫姫さんらしくなくて、それ以上の言葉が出て来ない。


◆猫姫:いや、本当に謝るね、悪かったよ

◆ルシアン:ま、マジで男なんすか?

◆猫姫:そう、マジでリアル男

◆ルシアン:しかもおっさんなんですか?

◆猫姫:そうそう、リアルおっさん


「そ、そんな……」


 俺は絶望的な心境で肩を落とした。

 あの猫姫ちゃんが、俺の初恋と言っても良い彼女が、まさか中身男──おっさんだなんて、そんな馬鹿なことがあり得るのか。

 いいやありえない。

 ありえるはずがない。絶対にない。

 そうか猫姫ちゃんは俺と結婚したくなくて、俺を傷つけずに振る為に嘘を吐いているんだ。優しい彼女ならそんなこともありえる──。


◆猫姫:っていうか、リアル女の子が『にゃ☆』とか言うわけないし、流石に気付こうよ


「う、うわ、うわああああああああああああ」


 俺は絶望の叫びを上げてキーボードを叩きつけた。


◆ルシアン:くぁwせdrftgyふじこlp


「あの野郎、くそ、くそ! 偽物め! 裏切りやがって!」


 滅茶苦茶に押されたボタンが反応したか、LAが強制的に終了する。そのことにも気付かず、本気の涙を流しながら何度も何度もキーボードを殴る。


「くそ、くそ! もう絶対、絶対に!」


 ガン、と強く叩きつけた瞬間にキーボードから外れたいくつものキーが宙を舞った。


「ネトゲの女なんて信じたりしねえええええ!」



 それがおよそ二年前のことだ。

 今でも思い出すだけで背筋が凍る、それはそれは恐ろしい思い出だ。


◆ルシアン:──ということがあったんだよ

◆アコ:そうなんですか。ゲームの中で女の子になろうなんて、大変な人が居るんですね

◆ルシアン:あの頃は俺もまだ素人だったからな……


 長い時間をかけ、俺はひとしきり語り終えた。

 これで恐らく、目の前にいる彼女に──いや、正確には俺のキャラクターの目の前にいる女キャラクターに、しっかりと意図が伝わっただろうと思う。


◆ルシアン:そういう訳だからさ

◆アコ:はい! お願いします! 私と結婚してください!

◆ルシアン:俺の話を聞いてたのかお前!?

◆アコ:聞いた上であえてお願いします!

◆ルシアン:あえての意味がわからねえ!

◆アコ:私と結婚した方が楽しいのは確定的に明らかです!

◆ルシアン:その自信の源が何か知らないけど、とにかく駄目だって!

◆アコ:じゃあいつ結婚するんですか? ──今でしょ!

◆ルシアン:今じゃねえよ! 話を聞けよ!


 これは大体そんな、俺と『嫁』の話。

刊行シリーズ

ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った? Lv.24 DLC1の書影
ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った? Lv.23の書影
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