エピローグ パーフェクトワールド─三次世界─

「ういーっす」


 部室の扉をがらりと開くと、室内は涼しい空気に満たされていた。これだけでも充分に部活に来る価値があると思える。


「来たか、ルシアン。そろそろ定期メンテナンスが終わるぞ。今日の活動内容は新実装のクエストをいち早く突破することだ、準備しろ」


 既に部室で待っていたマスターは起動したパソコンの前で偉そうに腕を組んでいた。


「どうせ俺はアコを連れて行くのに手間取るんだから、いち早くも何もないっての」

「ならアコの分まで準備をしておけば良いだろう。それも亭主の務めというものさ」

「……あいよ」


 マスターの物言いにわざわざ言い返さず、俺は自分とアコのパソコンに電源を入れた。

 アコのことは余り焦らないと決めた。アコが性急すぎていたのと同じように俺も焦りすぎていたと思う。お互い平行線のまま言い合うんじゃなく、互いに少しだけ折れて、いつか重なれば良いんだ。ゆっくり、少しずつ、一歩ずつ、だ。

 低い駆動音と共にパソコンが起動する。

 アコのパソコンのパスワードを知っているのはアコと俺だけだ。

 ちなみにパスワードは、ルシアン アコ ラヴ エタニティ……うう、超入力したくねえ。

 そんな作業をしていると、がらりと部室の扉が開いた。


「あー、涼しいー! この為だけにこの下らない部活に来てるわよ、本当に」

「こんにちはぁ〜」

「おう、お疲れ」


 入って来たのは冷気を浴びて目を細める瀬川と、ふらふらと疲れ切った様子のアコ。

 まだ週頭の月曜日だ、普通ならそれほど疲れている時期ではないが、アコはそうではない。


「うー、学校休みたいです……部活だけ来ちゃだめなんですか……」

「それは諦めろ、斉藤顧問との約束だからな」

「うぅぅ」


 斉藤先生の出した条件、それは『現代通信電子遊戯部員は全員可能な限り学校に登校する』ということだった。


『ネトゲにのめりこむと学校に来なくなっちゃう人も居るから……』


 そう言って条件を出した彼女は、確かにいつも人を思いやっていた猫姫さんのそれだったと思う。

 そしてその結果として、


「学校もう嫌です……ずっと遊んで暮らしたい……」

「何で学校に来るだけでそんなに消耗してんのよ、あんた」

「だってぇ……」


 こうしてアコが弱り切っているのだった。

 可哀想だと思う部分もなくはないが、決して悪いことではないと思う。

 俺達とアコも毎日のようにゲームの中で会って、戦い、冒険し、遊び、話し、少しずつ仲良くなったんだ。アコも毎日学校に来れば、いずれ俺達以外の友達だって沢山できるだろう。


「アコ、クラスで友達できたか?」

「友達とか、そんな作成難易度Sのアイテム、私には無理ですよー!」

「アイテムって、お前な」


 で、できるだろう。きっと、多分。


「ちょっとは頑張りなさいよ、雑談ぐらいはするんでしょ?」

「日常会話のスキル振ってないんですよ、ネタ会話の方にポイントガン振りしちゃったんで」

「こ、この子は……」


 やっぱ無理かもしんない。

 若干の諦めを胸に、俺はパソコンに向き合った。

 アコはふらふらと隣のデスクに座ると、既に起動中のモニターを見てぱっと顔をほころばせた。


「あ、もう起動してる! ありがとう、ルシアン」

「パスワードの変更を要求する」

「ふふふ、やーです」

「こういう所だけ無駄に頑固な……」


 普段は基本的に素直なくせに、こんなどうでも良い所でわがままを言うから何となく許しちゃうんだよ、くそっ。

 なんとなく尻に敷かれているような気分になりながらLAのクライアントを起動する。新しいクエストの内容はまだわからないが、ふらふらとすぐ迷子になるアコを連れて行く以上はしっかりと内容を理解していないと。


「あ、ルシアン、ちょっと相談があるんです」

「どしたー?」


 アコが何でもない様子で言ったので俺も適当に答えた。普通の雑談という雰囲気で、アコは続ける。


「実は今日、珍しく両親が早く帰ってくるんです。なのでルシアンを紹介したいなって」

「へえ、それは……それは……えっと、何?」

「だから、今晩、うちで晩ご飯を食べませんか? って」


 ……なんで? 何がどうなってそうなったの? っていうかどうしてそれを平然と言い放てるの? 俺にとっては死刑宣告と同じだよ?


「どうしてその発想に至ったのか詳しく」

「だってほら、私達って結婚してるじゃないですか。そう考えるとむしろ挨拶が遅いぐらいだなって思いまして」

「嫌だ、行かねえ! それはお断りだ! ゲームとリアルは別だ!」

「来てくださいよー。両親のことって、ゲームの中じゃ絶対にわからない部分ですよね?」


 その理屈はおかしい!

 俺がアコに言いたかったのは決してそんなことじゃない!


「待て待て待て、どうしてゲーム内で結婚しただけで親に紹介されるなんて拷問を受けなきゃなんねえんだよ!」

「あ、私とお母さんが夕食を作りますから、ルシアンはその間お父さんとお話をしててくれたら……」

「誰得なんだよそのシチュエーション! わざとだよな!? お前わざと言ってるよな!?」


 うわああ、と頭を抱える俺に、話を聞いていた二人がニヤリと笑った。


「ルシアンの不幸でメシが美味い」

「メシウマ状態!」

「お前らあああああっ!」


 怒り狂う俺からさっと目を逸らす二人。

 そして残りの一人はニコニコと俺の腕にしがみついた。


「そうだ、もういっそリアルでも結婚しませんか? 凄くわかりやすいですよね?」

「しねえよ!」

「折角なので両親への挨拶も今日済ませましょう」

「お嬢さんを僕にくれなくていいです!」

「息子さんを私にください!」

「俺の家に来る気かお前!?」


 これが、酷くマイペースで、俺の話を聞かなくて、馬鹿なことばっかり言って、でも本人が言うには俺のことが大好きらしい──紛う事なき『俺の嫁』だ。

刊行シリーズ

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