三章 猫姫ハンターフロンティア ⑬
「ル、ルシアン」
「……なんだよ」
アコはちらりと俺に視線を向けて、外して、また向けて、もう一度外して──随分と躊躇った後、小さな声で言った。
「私も、リアルのルシアンに会った後──もっと、もっと好きになりました」
「…………そ、そうですか」
「は、はい」
「…………」
「…………」
二人顔を逸らしたままちらちらと互いの様子をうかがう。
なんだこの空気、ダメだって、こんなの、ちょっと誰か助けて──。
「ねー二人ともー、先生のこと覚えてるー?」
「あああすいません忘れてました!」
そういえば先生が居たー!
「忘れてたって……ま、若い二人だもんね、しょうがないわね」
さっきまでの『先生モード』はもう限界だったのか、斉藤先生は普段のだらだら教師に戻って息を吐いた。
「まあお説教とか建前でやってるだけだしー。私に迷惑かけないなら自己責任で好きに仲良くしてて良いわよー」
「や、やった! ほらルシアン、先生からの許可をもらえました!」
「もらってない! あれは許可をもらったって言わない! ってかさっきの発言はそういう意味じゃねえからな、勘違いすんなよ!」
「不純異性交遊はダメよー」
「私達の愛はそこら辺のリア充と違って純粋です!」
「なら良し!」
良くねえよ! ざっけんな!
「先生、ふざけんのはいい加減にしてください!」
「あ、あはは。ごめんなさい、ちょっと冗談が過ぎたわね」
俺がバンバンとテーブルを叩くと、先生は苦笑して頭を下げた。
手元のコーヒーを一口含み、苦そうに顔をしかめると砂糖へ手を伸ばす。
「んー、苦……。ただね、さっきまでの話は教師としての建前だってのは本当よ。私個人としては──そうねえ、西村君」
「な、なんですか」
先生はニヤァ、と嫌な笑いを浮かべると、俺とアコを見比べた。
「さっき私に切った啖呵、覚えてるかしら? 大声で胸張って言えるぐらい、俺はこいつが好きなんだよ! ってやつ」
「うわあああ、やめ、やめてくださいよ! いきなり何言い出すんですか」
き、聞きたくねええ! 俺は必死に耳を塞いだが、そんな程度じゃ幾らでも声は入って来る。
もう第二の黒歴史として処理しようとしていた数分前の思い出を、なんで引っ張り出すんだよこの人は!
「ルシアン! 私も大好きですよー!」
「ありがと、俺もゲーム内ではお前が大好きだよクソが! それが何だって言うんですか!?」
「まあまあ、そう怒らないで」
恥ずかしいことの連続に半ばやけくそ気味に言った所、先生はどこか微笑ましいものを見るように笑った。
「何ていうかね、ただのゲームのお友達にあれだけのことは言えないって、私は思うのよ。あれは確かに強い気持ちが籠もった言葉だった、ってね。だから君が表面上でどう思ってるかはわからないけど、きっと西村君は西村君なりに、玉置さんのことを思う気持ちがあるんじゃないかしら」
「…………そんなことは」
ない、と言うのは、自分でも無理があると思う。
だってさ、気の合う可愛い同級生が、あんな風に好きだ好きだって……そんなの気になるだろ、当たり前じゃん!
「でもアコは急ぎ過ぎなんですよ。こっちでも普通にゆっくり仲良くなるって言うなら俺だって別に考えますけど、こいつ最初から旦那だ嫁だって……」
「ルシアン……」
「だから、ね、ゆっくり進めましょう」
ニコニコと笑って、先生は俺とアコの肩を両手でぽんぽんと叩いた。
「玉置さんも、ゆっくり理解していったらいいわ。西村君はあなたの思う『ルシアン』とは違う人間で──でも、だからこそ素敵なんだって。西村君も、玉置さんがあなたのことを気にしているのは君が『ルシアン』だからじゃないって。少しずつ、ゆっくりわかっていけばいいの。貴方たちは若いんだから、時間はあるわ。その位の間は私が見守っててあげる」
「……先生」
「ゲームと、リアルと。両方でしっかり二人で愛を育めたら、それは凄く素敵だって……そんな風には思わないかにゃ?」
LAで話していた猫姫さんのように冗談っぽく言って微笑んだ斉藤先生は、その言葉を信じても良いと思えるぐらいには素敵な女性に見えた。
この人意外と良い先生かも、なんて、そんなことを思った。
「ああ、それはよかった、先生がそう言ってくださるなら安心だ」
その、直後だ。
先生の後ろの席から、そんな流麗な声が聞こえた。
「……えっと、え?」
くるりと振り返る先生。その視線の先を見ると、そこには長い黒髪があった。
御聖院杏、もしくは生徒会長、ないしは部長で、主にマスター。
見慣れた彼女の、見慣れた姿だ。
「あれ、マスターじゃん。いつから居たんだ?」
「ほとんど最初からだ。お前達の騒ぎはずっと見ていたぞ。いや、良い啖呵だったなルシアン」
「ですよね! あれ録音して永久保存版にしたかったです!」
とんでもないことを言い出すマスターに、即座にアコが同意した。
「馬鹿言うなって! ってか忘れろ!」
「何を言うルシアン、お前こそアコを抱きしめた感触を必死に覚えている所なんだろう?」
「んなわけあるかあああっ!」
ダメだ、最悪な場面を見られた! これは絶対に長い間からかわれる! 間違いない!
うわああああ、と悶える俺を余所に、先生はどこか青ざめた表情でマスターの顔色をうかがっていた。
「あ、あの、御聖院さん? こんな所でどうしたのかしら?」
「どうした、と言われると話が長くなりますね。ですのでわかりやすく一言で用件を述べるなら──勧誘です」
「か、勧誘?」
ええ、とにこやかに頷き、マスターは先生の横に歩み寄った。
「先生も仰った通り、私は彼と彼女に時間を与えたいと思っています。ゆっくりと考えて欲しい、と。その為に作ったのが現代通信電子遊戯部なのですよ」
「っ!?」
先生が凄い顔をして俺達に振り向いた。
あの、そんな顔されても困るんですけど。俺がネトゲ部なのは言ってたじゃないですか。
もはや完全に腰が引けている斉藤先生に、マスターはさらに迫る。
「それが困ったことに、顧問が居なくて解体寸前なのですよ」
「そ、それは大変ね。でも残念だわ、私はもう文芸部の顧問で、悪いけど別の人を──」
断ろうとした先生の耳元に口を寄せ、現代通信電子遊戯部部長は何とも嫌らしい笑みを浮かべて囁いた。
「──そう言わず、受けて下さいにゃ?」
「っ!?」
ビクリと斉藤先生の体が硬直する。
その隙を逃さず、マスターは言葉を重ねる。
「ネットゲームで『猫姫』と名乗って、語尾に『にゃ♪』とつけて媚び媚びに喋った上に、万が一告られようものなら中身男だと言い張ってお断りする国語教師──なんて話、私だって知らなかったことにしておきたいのです」
「な、きょ、脅迫するつもり!?」
上ずった先生の言葉を受けて、マスターは優しく彼女の背を撫でた。
「そんな、まさか。これは助け合いというものですよ。私達は困っている。そして先生は困りたくない。我々は良い友になれるとは思いませんか?」
不平等だ! 凄く不平等な取引だ! っていうか首を横に振ったら困らせるぞって暗に言ってる辺り完全に脅迫だ!
「わ、私が認めなければ、誰も信じる人なんて……」
呻くように言った先生にマスターが言ったのは一言だけだった。
「駅前での騒ぎ、録画していますよ」
「あ、ああ……ああああああ……」
絶望の声を上げて、斉藤先生は陥落した。
「ひでえ、あんまりだ……」
「仕方ないでしょうが。結局は何も解決してないんだし、これで部活おしまいって訳にもいかないでしょ」
声に視線を向けるとマスターの後ろからシューが顔をのぞかせていた。
「あれ、シュー。お前も来てたのか」
「シュー言うな。先生にゲーマーだってバレるでしょうが」
それとっくにバレてたぞ──と言うと傷つきそうなので言わないでおいてやろう。
「気にすんなよ、先生だってそうなんだから。そもそもが顧問になってくれって説得してる最中なんだし」
「……説得かしら、あれ」
笑顔のマスターと青ざめた先生を見つめ、シューは訝しげに言った。
それについては俺もノーコメントを通したい。
「これで、また皆でゲームができるんですね!」
そんな俺達の中で、アコだけは純粋に喜んでいた。ああ、その悪意のない笑みの裏に先生の犠牲があるのか。
「──わかったわ」
そして最終的に折れた先生は、マスターに言った。
「でも一つだけ条件があるの」
「聞きましょうか」
「それは──」
「──ええ、勿論、構いませんよ」
マスターは満足げに笑い、その条件を受けた。
現代通信電子遊戯部はしばしの存続を決めた。



