三章 猫姫ハンターフロンティア ⑫
「ルシアン、どいてください! そいつ殺せません!」
「学校の先生を殺すとか宣言すんなって言ってんだよ! うわっ、ちょっやめ……ああ!」
ついにアコは俺の手を離れて斉藤先生の元へ駆けだした。タマぁとったるでぇ! とばかりに腰だめに構えられたカッターナイフに対し、斉藤先生は怯えた様子もなく、
「ああもう……いい加減にしなさい、この馬鹿!」
そう言った直後、ズムッと鈍い音と共にアコの体が揺れた。
見るとアコの首元に斉藤の腕が水平に食い込んでいる──見事なラリアットだった。
「お、おお……お見事」
「ゲーマーがもやしだけと思わないで欲しいわね。学生時代はレスリング部だったのよ」
斉藤先生はぐっと拳を突き上げて言った。
いやあの、生徒をKOして勝ち誇るのもどうかと思いますけど。
カウンター気味に突き刺さった斉藤の腕はアコの突進の勢いも相まって一撃で彼女の心と心肺機能を折ったらしく、アコはしゃがみ込んでげふげふと咳き込んでいる。
「アコ、大丈夫ですかね?」
「当たり前でしょう、加減はしたわよ。西村君、玉置さんを連れて来なさい、場所を変えますよ。……ああ、すいませんでした、子供達がちょっと騒ぎまして、あはははは」
斉藤先生はそう言うと、周囲でいぶかしげな視線を向ける通行人に作り笑いを向けた。俺はしゃがみ込んだアコに駆け寄り、背中を撫でる。
「ええと、アコ、無事か?」
「うう……あんな奴に負けるなんて……」
アコはしゃがみ込んだまま、悔しげに言った。
「勝ってなくて心底安心したっつーの。ってかこんな危ない物を持って、それこそ警察のお世話になってもおかしくないぐらいの……」
地面に落ちていたカッターナイフを拾った瞬間、違和感に気付いた。
軽い。そしてなんか、ナイフの所が完全に折れ曲がってる。
「……………………」
指でナイフをさわると、刃の部分はふにゃりと曲がった。
「わざわざアルミホイルでニセカッターまで作って、こんな下らないことをして……私が相手じゃなかったら停学ものよ」
「だって……ルシアンが……」
斉藤先生に連れられて入った喫茶店で、俺達は紛うことなきお説教を受けていた。
少々やり過ぎた自覚はあるのか流石のアコもしょんぼりとしている。
「西村君と話してなんとなく懐かしくなって、凄く久しぶりにLAにログインしたのよ。そしたら偶然ルシアン──いえ、西村君に、ゲームと現実の区別をつけてない子が居るって話を聞いてね。これでも教師だから心配してたらちょうどその子に相談を受けて、しかも前ヶ崎の生徒だって言うんだから、放っておけないじゃない。直接話そうって思ってわざわざ出向いたのよ」
そういう話だったらしい。
「このままじゃルシアンがあの猫姫のモノになっちゃうから、危なくない方法で脅して、ルシアンから離れさせようって思って。でもルシアンに知られたら絶対ダメって言われるから、わざと怒らせようとして、あんなことを言って……」
こっちはそういう話だったらしい。
何だよそれ、つまり俺が何もしなくたって結局なるようになってたんじゃないかよ。
「じゃあ何ですか、必死になってた俺が一番馬鹿だったって話ですかね」
「うーん……そういうことになるかもしれないわね」
「そうですか、ははは……あー、死にたい」
俺もアコと並んでがっくりを肩を落とした。
そんな俺達の肩に手を添え、無理矢理起き上がらせると、斉藤先生はにっこりと微笑んだ。
「じゃあ二人とも、お説教よ」
「俺は関係ないんじゃ……いえ、すいません」
「よろしい」
珍しく、本当に珍しく『先生』の顔をした斉藤先生に口答えはできなかった。
「あのね玉置さん。ゲームとリアル、ネットとリアルの区別がちゃんとついていない──ううん、意図的に区別していない子っていうのは、最近では珍しくはないの。ゲームやSNSといったオンラインの場をあえて現実と区別せず、出会いのツールとして利用する。そういう子は沢山居るわ。あなたもそうやってお友達を作って、学校が楽しくなった。決して悪いことだと言うつもりはないの」
「……はい」
アコの目を見つめたまま、ゆっくりと、彼女の心の中にしみこませるように言う先生。
アコもおっかなびっくりとだが、目を合わせて頷いている。
「でもあなたは若い女の子よ。危険はいつだってそばにある。そのことはわかっているわよね。だからこそ、ネットとリアルを区別しちゃいけないの。ネットで出会った相手でも同じように気をつけなきゃいけない。……ねえ、玉置さん。あなたはゲームとリアルを区別していないんじゃなくて、ゲームの信頼度だけを勝手に高く設定しているんじゃないかしら」
そう言って、先生はぎゅっとアコの手を握った。
アコの体がビクンと震えたのは、手を握られたことに驚いたからなのか。それとも、図星を突かれたからなのか。
「リアルよりネットが好き。リアルよりゲームが好き。リアルは信用できないけれど、ネットは、ゲームは信用できる。ええ、一向に構わないわ。そんなの個人の自由だもの。でもね玉置さん、自分の身が関わる時にそれはダメよ。例えオンライン上で出会ったとしても、現実の男性と同じように警戒しないといけないの。今回はたまたま西村君がとても良い子だったから、私が本当は女の人で、先生だったから大丈夫だったわ。でも、もしも彼が節度のない男の子だったり、私が本当に男の人だったりしたら、今頃あなたはお嫁に行けない体だったかもしれないのよ?」
先生は俺を示してそう言った──って、黙って聞いてたら何だそれ! んなことしねえよ!
「ちょ、先生、俺はそんなことしませんって!」
「わかってるわよ。最悪の場合、ね」
最悪でもやんねーって、ったく。
何となくアコの方に視線を向けると、アコは俺の顔をじっと見つめていた。
「…………」
「…………」
そして見つめ合う内に、アコの頬がぽっと紅く染まる。
照れたようにうつむき、もじもじと身を揺らしながら、ちらりちらりと俺に視線を送る。
「お前、そのリアクションは違うだろ! 青くなるとか、嫌がるとか、そういうのだろ! 何で思いっきり照れてんの!?」
「でも私達は結婚してるんですから、そういう行為も考えられないわけじゃないですし」
「ああああああもう! 俺が散々苦労して言ってきたこと欠片も理解してないだろ、アコ!」
がしがしと頭をかきむしる。
やっぱこいつ全然わかってなかった。
あの時のことはただ俺を猫姫さんと会わせない為に言っただけかよ!
あの時の──ああ、そうだ。
「ったく……なあ、アコ」
「はい?」
声をかけられただけで嬉しそうに俺を見上げるアコに鼓動が速まる。
言って大丈夫なのか、言うべきなのかも不安だけど、でも次に会ったら言おうって決めていた。そうじゃないと、これ以上コイツと向き合えないような気がする。
「あの時さ、ゲームとリアルの何が違う、って俺に聞いただろ?」
「あ……はい」
俺の言葉に、ふっとアコの表情が曇る。
「凄い考えたけどさ、全然違うよ。だってさ」
流石にこれ以上はアコの顔を見ていられなかった。
コーヒーのカップに目を落とし、黒い水面に浮かぶ自分の顔からも目を逸らし、俺は言った。
「だってゲームのお前より、リアルのお前の方がずっと可愛い」
「────っ!」
視界の端でアコの顔が一気に紅く染まる。
うわあ、恥ずかしい。超恥ずかしい。
やっぱ言うんじゃなかったかもしんない。
ってかこんな恥ずかしい言い方じゃなく、もっと別な言い方があったんじゃないか?
失敗した、これは絶対失敗した!



