序章『境界線前の整列者達』 ②


 空がある。

 晴れた、朝の空だ。青の色には薄白い月が二つ浮かび、んだ空気の下には青黒いさんけいの波が遠くまで重なっている。

 山岳部、緑の多い山々の上に広がる空だった。

 空には、柱にも見える区分けがいくつもなされていた。地上から天上の間に、柱のような形をもって区切られた部分があるのだ。広大な、しかし幾つもあるそのちゆうじよう区分は、空を行く雲や風が見えない壁によって消えることや、地上側のしよくせい差でおのれの存在をしている。

 区分けは無数にあるが、関係はまばらで、広さもまちまちだった。

 そんなふうに区分された空は、三つのものを持っている。

 一つは風だ。山岳部の気流は絡み合うように立ち上がり、雲を生んでは消えていく。

 そしてもう一つは、波だった。空を波が走っている。雲ではなく、とうの線が幾つも、八の字を書いて空に伸びている。その波は水で出来ており、風によって霧にいていた。

 空にあるもの。最後の一つは、雲の間を行き、波を作るものだ。

 船だった。

 山を越える空、区分けの柱の間を、波音を立てて八つの白い船が行く。

 ひようそう部に町や自然公園を乗せた航空都市かんは、それぞれの影を群にして山に落とす。中央に前後二艦、左右に前後三艦を列したかんえいぐんの影は、その先頭から後尾までで、数キロにわたる山渓一つを包むものだった。

 船はどれも、かんしゆ側から空に波を作り、波濤のひびきをもって高空の位置を進んでいく。

 波を砕いて空を進む船は、どれも近くの艦と数十本のふとなわで連結していた。ときおりかんぐんがわずかに進路を変えるとき、連結の縄が巻き取られたり引き出されたりしている。

 八艦の艦首には、かんめいがあった。まず、どの艦にも〝武蔵むさし〟という名が黒の字で書かれている。その次に、それぞれの艦名がやはり黒の字で書かれていた。


 げん一番艦〝しながわ

 右舷二番艦〝

 右舷三番艦〝たか

 中央ぜんかん 〝武蔵野むさしの

 中央こうかん 〝おく多摩〟

 げん一番艦〝あさくさ

 左舷二番艦〝むらやま

 左舷三番艦〝青梅おうめ





 これらはつかんは、左右三艦をそうどうとした中央二艦という構成で空を行く。

 そして、音がひびいた。

 音は、歌声だった。

 ゆっくりとした声の響きは、おくかんしゆ側、ひようそう部のからどうようかなでる。


「──通りませ──」



 通りませ 通りませ

 行かば 何処いずこほそみちなれば

 てんじんもとへと 至る細道

 意見無用 通れぬとても

 この子の十の いわいに

 両のお札を納めにさん

 行きはよいなぎ 帰りはこわき

 我が中こわきの 通しかな──


 歌は大気を通り、やがて消える。

 その代わりに、新しく響く音があった。船行く波音の他に響くのは、連続するかねの音だ。

 一つ二つ三つと鳴り、音楽のように続く時報の鐘の音には、放送の声がかぶっていく。


『市民の皆様、準バハムート級こうくう都市かん武蔵むさしが、武蔵アリアダストきようどういんの鐘で朝八時半をお知らせ致します。本艦は現在、サガルマータかいろうを抜けて南西へこうこう、午後にしゆこうであるきよくとう代表国かわへと入港いたします。生活いき上空では情報しやだんステルス航行に入りますので、協力ねがい致します。──以上』


 音と声が響くのは中央こうかん奥多摩の上。その上にある建物が音の発生げんだ。

 木造の、横に長い三階建ては前後に二棟。チャイムを鳴らす二つの建物は、入り口のもんに鉄のひようさつを持つ。〝武蔵アリアダスト教導院〟という表札を。

 武蔵アリアダスト教導院は、門と校舎の間に、校庭と、その上を渡る一本の橋を持っていた。

 校庭は斜めに百メートルラインをぎりぎり持てる広さ。上を渡る橋は、門側から階段を使って上り、まえがわ校舎の二階にある昇降ぐちに直結する。

 そして時報のチャイムが終了し、代わりというように橋の上から女の声が生まれた。


「よぅ──し」


 よく通る声が、校舎側に向かって飛ぶ。


「三年うめぐみ集合──。いい?」


 声の響く武蔵アリアダスト教導院の正面、橋の上、そこにひとかげいくつもある。

 まず門側には一人の女が立っていた。黒いけいそうこう型ジャージの、すじの伸びた女だ。

 短めのかみの後ろ、背には一本の線がある。青塗りに白紋の、金属をつかとしたちようけんだった。

 彼女が見る正面。校舎側。そこに、黒と白の制服を着た若者達がいる。人であれば、人ではない者もいる。そんな彼らに対して、女はみを作ってこう言った。


「では、──これより体育の授業を始めまーす」



 教師は、橋の上に集まった生徒達にこう言った。かしこまった演技の調ちようで、


「さて、ルールは簡単です」


 と彼女は言った。そしてあごをしゃくって、かんぐんの先を示す。


「いい? ──先生、これからしながわの先にあるヤクザの事務所まで、ちょっとヤクザなぐりに全速力で走って行くから、全員ついてくるように。そっから先は実技ね」


 教師の言葉に、制服姿すがたの群、生徒達の中から、え? いう声があがった。

 だがおんな教師はそれらの声を無視した笑顔を作る。


「遅れたら早朝の教室そうでもしてもらおっかな。──ハイ返事は? Judジヤツジ.?」

「──Judジヤツジメント.」


 返答、りようかいの意を示す言葉を、皆が返した。

 同時に手が上がる。〝会計 シロジロ・ベルトーニ〟というわんしようをつけた長身の男子が、


「教師オリオトライ、──体育と品川のヤクザとどのような関係が。金ですか?」

「馬鹿ねえシロジロ、体育とは運動することよ? そして、殴ると運動になるのよね。そんな単純なこと、──知らなかったとしたら問題だわ」


 名を呼ばれた生徒のそでを、横の女子せいふくの姿が引っ張る。〝会計 ハイディ・オーゲザヴァラー〟というふだのロングヘアは、笑顔のままで、


「ほらシロ君、オリオトライ先生、最近ひようそうの一けんが割り当てられてほうに喜んでたら地上げにって最下層行きになってビール飲んで暴れて壁割って教員課にマジ<外字>しかられたから。──つまりちゆうばん以降は全部おのれのせいなんだけどしよしんを忘れずほうふくだと思うのよね」

「報復じゃないわよー。先生、ただ単に腹が立ったんで仕返すだけだから」

「同じだよ!!」


 皆が突っ込むが、オリオトライは気にするふうもない。

 そして彼女は背の長剣をさやごと手にして脇に抱えた。鞘の表面、ブランド名であるIZUMOのエンブレムを手でで、IZUMO特有のざんげき効果じゆうでわずかに折れ曲がったデザインのつかに指を添える。そして彼女はこう言った。


「休んでるの、誰かいる? ミリアム・ポークウは仕方ないとして、あと、あずまは今日の昼にようやく戻ってくるって話だけど、他は──」


 問いに周囲がそれぞれの顔を見渡した。

 すると黒い三角ぼうの少女、〝第三とく マルゴット・ナイト〟というわんしようきんぱつ少女が口を開く。彼女は背にある金の六枚よくを左右に揺らしつつ、


「ナイちゃんが見る限り、セージュンとソーチョーがいないかなあ」


 その声に、彼女の腕を抱いているこくよくの少女〝第四特務 マルガ・ナルゼ〟が首をかしげた。


まさずみしようとう部のこうをしにの小等部きようどういんに行ってるし、午後からさか学長をかわに送りに行くから、今日は自由出席のはずそうちよう……、トーリは知らないわ」

「んー、じゃあ〝不可能男インポツシブル〟のトーリについて知ってる人いる?」


 問いかけに、皆が一つの場所を見た。皆の中心から少し後ろに下がったところ。そこに立つ茶色いウェーブヘアの少女だ。彼女は腕を組み、口に弓のみを作ると、


「フフ、皆、うちのていのトーリのことがそんな聞きたい? 聞きたいわよね? だって武蔵むさしの総長けん生徒会長の動向だものね。フフ。──でも教えないわ!」


 ええっ? と皆が疑問の声を作る。すると対する彼女は意味ありげに一つうなずき、


「だって朝八時過ぎに私が起きたらもういなかったから」

「お前いつもハイテンションなくせに起きるの遅えよ!」

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