最後の言葉に、皆が表情を変えた。五回という言葉に、皆はひそひそと、
「つまり朝の一限を五回サボれるのか……。だったら──」
と皆が己の希望を小さく重ねていく中、はい、と手を挙げたのは〝第一特務 点蔵・クロスユナイト〟という腕章の少年だ。彼は帽子を目深にかぶったまま、横にいる航空系半竜の〝第二特務 キヨナリ・ウルキアガ〟とともに、
「先生、攻撃を〝通す〟ではなく〝当てる〟でいいので御座るな?」
「おうおう戦闘系は細かいわねえ。──でもまあ別にそれでいいわよ? 手段も構わないわ」
その言葉に、ウルキアガが腕を組む。彼は竜眼で点蔵を見下ろし、
「聞いたか? 女教師が何したっていいと申したぞ点蔵。拙僧、想像力使用していいか?」
「Jud.。しかと聞いた。しかしあの女教師、オゲ殿のさっきの話以外にも、先日酒場で尻触られ〝そうになった〟とかで居住区画の床抜く暴動を一人で起こしたで御座るよ」
「フ、点蔵、現実を前にしても想像力は無敵だ。忍の貴公がそんなことにも気づかぬとはな」
「成程。──では、あの、オリオトライ先生、先生のパーツでどこか触ったり揉んだりしたら減点されるとこあり申すか? または逆にボーナスポイント出るようなとことか」
「あはは、授業始まる前に死にたいのはお前ら二人か」
半目で言った上で舌を出し、
「──んじゃ」
え? と皆が反応するより早く、自分は跳んだ。
背後への跳躍だ。橋を下って奥多摩の先端に行く下り階段へと、黒のジャージ姿を寝かすように跳ばす。
行く先はまず階段の下、艦首側へと第二校庭を抜ける道だ。艦内通気用の大きな吹き抜けによって左右に分かれた自然公園を、右舷側へ抜けていく奥多摩右舷中央通り。
……〝後悔通り〟って言われる右舷中央通りよね。
十年前、武蔵の大改修があって以後、そう俗称される通りだという。
そう言われるようになった理由を、自分は知っている。
右舷中央通りの入り口、右の路肩には一つの石碑があるのだ。
高さ五十センチほどの、花の飾られた石碑。その表面には一文がある。
──一六三八年 少女 ホライゾン・Aの冥福を祈って 武蔵住人一同
「ホライゾン、か。きっとあの子達にとって、全ての始まりになる名だわね……」
つぶやく間に視界の上側になっていく橋上では、皆が一瞬の反応の遅れを持っている。
甘い話だ。対艦砲撃があったらその一瞬で死んでいるだろうに。
そのことに気づいたのか、橋の方から漏れ聞こえる、
「──く」
という声を己は聞いた。
それは、くそ、という言葉の始まりだろう。悔しいのか。だが、それでいい。
……出し抜かれたら悔しがらないと。
思う。今の武蔵の総長連合と、生徒会のメンバーを。
《武蔵アリアダスト教導院:学生代表内訳》
『総長連合』
・総長 :葵・トーリ
・副長 :不在
・第一特務(諜報):点蔵・クロスユナイト
・第二特務(裁判):キヨナリ・ウルキアガ
・第三特務(実働):マルゴット・ナイト
・第四特務(実働):マルガ・ナルゼ
・第五特務(実働):ネイト・ミトツダイラ
・第六特務(実働):直政
『生徒会』
・会長 :葵・トーリ
・副会長 :本多・正純
・会計 :シロジロ・ベルトーニ
・会計補佐:ハイディ・オーゲザヴァラー
・書記 :ネシンバラ・トゥーサン
……不在や欠席多いけど、よくまあこれだけ変なのが揃ったものだわ。
彼らだけではない。他の皆だって、相当なのばかりだ。
面白いわね、と思い、笑みを得ると同時に、橋の上から生徒達が飛び出してきた。
「……追え!!」
●
音を聞いたのは、各艦の表層部にいる誰も彼もであった。
銃撃、剣戟、そして金属音や破砕の音が、中央後艦・奥多摩から届いてくる。
その音は移動を続け、危険対処のために監視する各艦の物見からは、
「〝後悔通り〟を艦首側に行くぞお──!」
音は、奥多摩の右舷から右舷二番艦・多摩へと向かっていた。
ゆえに左舷側の表層部住人は一様に胸をなで下ろして午前の業務の準備を行い、右舷三番艦・高尾の表層部住人達は二番艦・多摩の連中に見える前部甲板縁で万歳三唱をした。
対する右舷二番艦・多摩表層部の住人は、万歳している三番艦の連中に呪いの術式や攻撃術式をマジ掛けしてから、
「──いかん」
単純な感想とともに狭い店の入り口を閉じたり、シャッターを下げて防護したり、店によっては術式で防護壁を張りもした。だが一部の開いている店は、
「まあ、いつものことかね。通り道にならんことを祈るさ。──なったら泣くが」
「俺達も、昔に似たことやって遊んでたもんだしな。──代々続けば名物ってもんよ」
という感想と共に、請求書台帳を奥のカウンターに置くことで対処とし、危険が近寄る前に店主同士で集まって〝今回はどっちが勝つか〟で賭を始めた。
「──だけど、あの姉ちゃん先生、体育会系で滅法強い。IZUMOのテスターしとるだろ?」
「Jud.、更に今の総長連合は副長不在、攻撃の要がおらんからなあ」
「それでも最近の多対一はどうだろか。一発ヒットでミスだぞ。前回惜しかったっけ?」
うーむ、と唸った店主達は、それでも奥多摩の方から不穏な音が近づいてくるに合わせ、それぞれの張り先をメモして胴元役に渡しておく。
そのように町中ではいろいろな動きが生まれている。
だがそんな中、一軒だけ、開店していていながらも何の反応もしない店があった。
右舷二番艦、多摩表層部の中央に近い町並、そこの通りにある軽食屋だ。
〝青雷亭〟という看板のついたパン屋と兼業の軽食屋は、開放型の店前に〝店主配達中〟〝営業中〟という二つの札が掛けられている。
店の中に客はいないが、道に対して横向きに立ったカウンターには、一つの影があった。
人の大きさの、白い長髪の女性型人形だ。肌の大部分に人と同じ素材の生態パーツを使用しつつ、間節の大部分を黒い軟質パーツによって包んだタイプ。
時折、呼吸として、彼女の両肩と胸が浅く上下する。
自律して動く人形、自動人形だ。
●
〝青雷亭〟カウンターの向こう、顔をやや俯かせた女性型自動人形はエプロン姿で立っている。背後の棚に焼き損ねのパンを置き、道路の方を見もしない。
だが、その顔が不意に店の奥に向いた。そこにあるのはパンを焼くための窯と、その上部余熱を利用したコンロを持つ調理台だ。
自動人形は、調理台と、その横にある調理具などに視線を向ける。
そして彼女は目を向けたまま、興味あるように、じっと動かなくなる。しかし、
「────」
通りの方から、早足の足音が幾つかと、声の群が聞こえた。声は大人の女や男の声で、
「──急いで戻らないと、どうもこっち来るみたいだねアレ。町大工は笑い止まらんだろ」
「過労死ペースでやられてちゃあ金貰っても使う暇ねえよ。しかしアンタんとこ、あのバイトの自動人形、──P-01sだっけ? あれが気を利かせて店閉じてくれないのかい」
「別にうちは閉じないよ。私ゃ元侍だし、客商売が営業時間に店閉じるなんざ恥だからね。あの子もそれはよく解ってる。こんなときでも、朝飯食いに来る人を待ってるさ」
近づいてくる声が言う。