「アンタ達、未だに珍しがってるけど、朝早いことで有名なうちに、あの子は朝番で一年来てるんだ。うちの前でたたずんでたときはビックリしたし、P-01sって名前以外何も知らない宿無しってんだから困ったもんだったけど、まあ、──雇って良かった。根性有るよ。何しろ最近は朝のレパートリーで私のチェックも不要になってね」
「自動人形にゃ根性は関係ねえだろ。だって感情とかねえんだから──」
と、そこで声が止まった。人影の一行が、店前に来たからだ。
中年の女性、店の主が、通り過ぎていく皆の内、幾人かに向かって口端の笑みを見せ、
「うちとしては自慢の子だよ。この頃になって自分のレパートリーを考え始めてもいるんだ。将来それをメニューにしても、小煩い連中には出してやらんよ?」
「Jud.、おっかねえ」
はは、と笑いながら、男達と女達が去っていく。対し店の影に入ってきた店主の女性は、
「全く、仕事する者は平等だってのにねえ。P-01s、大事ないね?」
その問いに、自動人形は視線と頷きを返した。
対する店主は腰に手を当てて一息ついて、
「ま、雑音気にしない。で、──店は閉めないけど表の看板はどけて水まいておかないとね。騒ぎが終わって一息ついたら今日はもう帰っていいよ。そこの焼き損ね、好きに持って行っていいから。窯でもうちょっと焼いたりしてく?」
言うと、自動人形は小さく頷いた。そして彼女の視線がわずかに動いたのを、店主は見逃すことなく、
「厨房?」
問われ、自動人形はややあってから視線を戻し、また頷いた。
その頷きに対し、店主は確認するように、
「私のレパートリー憶えてから、自分では何作るかと思ったら地味なもんばかりで失敗も多いけど……、まあ基本が大事だわね」
「──Jud.」
自動人形は小さく言った。感情のない声で、
「店主様の作業の再現性を高めるには約一年を要しました。現在の状況を申しますと、お客様からは〝心が籠もってない?〟と問われる以外に問題はありません。現在、P-01sのオリジナル朝食を研究中ですが、目標値が不明なため、どのレベルまで突き詰めようかを思案中です」
「だったら気が済むまでやりゃいいさ。目玉焼きだってなかなか奥が深いしね」
店主は小さく笑う。自動人形の頭に手を伸ばし、髪を混ぜるように撫でる。
「仕事を真面目にする子はいい子だよ。──番終わったら、一食分、いつものように練習で作っておいき。自動人形だって、アンタのタイプは食事が必要なんだしね」
Jud.、と自動人形が頷く。すると艦尾側の方から、焦りの色を含んだ声が聞こえた。
「と、とうとう来たぞお──」
●
右舷二番艦・多摩は、石造りの町と自然公園を表層部に持つ。
町の各地に立つ〝観光町─多摩〟の立て札は異国語の表記も併記したもので、町並の窓群から外の騒音を窺う人々にも欧州系の顔立ちが多い。そして表層に住まう彼らの視線は、皆、一様に上を見ていた。高さが不揃いな屋根の上。木板や藁葺き、石造りの屋根上を、だ。
そこ、彼らの頭上とも言える位置を、騒音が突っ走っていく。
音の走りはいきなりだ。
まず、左舷側にある商店街の上で、光の群が弾け飛んだ。
「──?」
家の中から窺う誰もが見たのは、幾つもの光の矢と弾丸と、光線を連ねた壁のような攻撃。
文具屋の主人が、鎧戸を閉めながらつぶやく。
「速射重視の非加護射撃か。術式も同様のを用いているな。屋根上一直線ならそれで充分だし、無駄がない。……普通の相手に当てるならな」
相手。飛び行く光の弾幕に追われるように、屋根上を走ってくる相手の影がある。
女性だ。彼女は走りながら長剣を胸前に構え、鞘ごと振りかぶると、
「──!」
追ってくる光や弾丸を切り落とし、受け、弾いていく。
後ろ向きに走るのは屋根の上。だが、構造材を飛ばさないように、彼女は支柱や垂木の上を踏んで跳躍重視の疾走を作る。
それだけではない。
動きには回避もある。走りながら、飛来する攻撃に対処しながらの回避だ。通りの中央商店街の屋根だけでも数十メートルはあるが、突っ走っていく彼女の速度は一向に落ちない。攻撃を受け止めるたびに速度が上がっているようにすら見える。
追っ手も必死だ。射撃に隠れ、または被さるようにして、長剣の女性へと攻撃を行う者がいる。背後の射撃隊との連携をとって、ある者は屋根の上を一直線に行き、ある者は一階の軒上を回り込んで行き、ある者は上から飛び込むと見せかけて射撃の囮となる。
だがそれらの攻撃も鞘に弾かれ、回した柄に突き崩され、
「──と!」
蹴りで吹き飛ばされる者もいる。
そうやって複合する速度と攻撃、そして音と回避と防御によって、風が鳴る。
金属の重音が家々の窓を振るわせ、時たま生まれる大きな一撃が雷のように響く。
震える音は家々の柱を揺らし、地面すら震動させる。
飾りは全て光の色。弾ける光は飛沫となって四方に散り、破片が空気を白く削り飛ばす。
そして全ては通り過ぎていく。
だが音と速度と光は、遠ざかりのドップラー効果を得つつも、その力を失うものではない。
と、不意に長剣の女性が声を響かせた。
「ほら! アデーレとハッサンがリタイアしたわよ!」
彼女の声の飛んだ先を見れば、商店街の藁葺き屋根の上に人影が二つ倒れている。
荒い息で前のめりの大の字になっているのは、穂先を潰した白い長槍を持つ眼鏡の少女と、頭にターバンを巻いた少年だった。
走っていく集団の中、眼鏡の少年が、
「イトケン君! ネンジ君とで救護して!」
言葉と共に、集団の中から一つの影が飛び出した。全裸の筋骨たくましい男に見えるが、背の黒い蝙蝠翼は精霊系夢魔族の証拠だ。インキュバス。禿頭の彼は一度片手をあげると、
「──おはようございます! 怪しい者ではありません! 淫靡な精霊インキュバスの伊藤・健児と申します! 商店街の皆様、少々の御無礼を失礼致します!」
先行く皆が半目を一瞬向けたがイトケンは気にしない。
そして走る皆の間から、一メートル大の半球状をしたものが別れ出る。朱色の、半透明の粘質体で、表面上側に黒い感覚器が眉目と口としてついている。
それは腰に手を当て爪先ステップで先行していくイトケンに追いつき、向こうの屋根に倒れた二人へと接近していく。するとイトケンが、並んできた生き物に手を挙げ、
「やあ! ネンジ君、今日も粘つきと透明感が綺麗で元気そうだ! ねばねばしいね!」
その言葉に、粘質体のネンジが応えた。彼は感覚器の太眉を立て、
『うむ。今回は人助けだな。ならばここは我こそが──』
ネンジが、遅れて後から走ってきた葵・喜美という名札の少女に踏まれた。
粘質な音と共に、ネンジが派手に飛び散る。
「あ」
先にオリオトライを追い掛けるのは近接系と直接射撃集団で、それに続く術式系は体育会系ではない者が多く、遅れていた。喜美の他にも数名そういった人影が見えるが、喜美も含め、彼らは通り過ぎていきながら、
「フフフ御免ねネンジ! 悪いと思ってるわ、ええ、本気よ! 私いつだって本気よ!!」
声をあげる喜美に、一人だけ通りを走ってくる少女が叫んだ。彼女はボリュームある銀の髪を揺らしながら、
「喜美、貴女、謝るときはもうちょっと誠意を持ちなさいな。淑女たるもの──」
「クククこの妖怪説教女め。しかしミトツダイラ、アンタ何を地べた走ってんの? いつもの鎖でドカンやればいいじゃない」
「この周辺は私の領地なんですのよ!? それを貴女達は……、全く!」
「あらあら先生に勝てない女騎士が狼みたいに吠えてるわ。アンタ重戦車系だものねえ」