「ええ!? 何だよそれ! オッパイ揉ませてくれんじゃなかったのかよ!」
トーリは眉を歪めて口を開いた。下からオリオトライを上目遣いに見て、
「汚ねえ、大人って汚ねえよ……! この女教師、オッパイ揉ませる振りして俺を殺そうとしていやがったな……!」
「……おいこら、君、何か変なもの見えてない? 大丈夫? その目に何が映ってる?」
「うん、今はこれだな!」
と、トーリは、オリオトライの両胸を左右下側から両の五指で包んで押し上げた。
皆が、あ、という形に口を開けたままになる中、ハイディが首を傾げる。
「あれ? ……これって攻撃当たったことに……」
しかしルールを知らぬトーリは、オリオトライの胸をこねながら眉をひそめて、
「あっれ、もっと硬い見立てだったんだけどなあ……。おかしい、マジおかしいなあ……、骨とか筋肉とかあって仰天する予定が……」
まあいいか、とトーリは手を離した。
そして彼は、口端を歪めて指の骨を鳴らし始めたオリオトライを無視して皆の方を見ると、
「あのさ、皆、ちょっと聞いてくれ。前々からちょっと話してたと思うんだけど」
一息の後、彼はこう切り出した。
「──明日、俺、コクろうと思うわ」
●
いきなりのトーリの告白予告に、皆は同じ反応をした。誰もが一様に首を前に落とし、
「……え?」
だがその反応はすぐに、ああ、と納得の色を持ったものに変わる。
そして皆の中、ウェーブの掛かった髪が眉をひそめて立ち上がった。彼女、喜美は乱れていた髪を搔き上げると、首を傾げてトーリを見据え、
「フフフ愚弟、いきなり出てきて乳揉んで説明無しにコクり予告とは、エロゲの包み持ってる人間の台詞じゃないわね。コクる相手が画面の向こうにいるんだったらコンセントにチンコ突っ込んでしてしびれ死ぬといいわ! 素敵! 一体どういうことか賢い姉に説明なさい!」
「おいおい姉ちゃん何一人でいい空気吸ってんだよ。あのな? 明日コクるから、これはエロゲ卒業のために買ってきたんだぜ? わっかんねえかなこの俺の真面目なメリハリ具合!」
「フフフいい感じで駄目人間だわ愚弟、エクセレント! でも明日フラれたらどうすんの?」
「んー、その場合はまず泣きながら全キャラ実名でコンプリートすんじゃねえかな」
そうじゃねえだろ、と皆が言うが、喜美は一息ついた。彼女は肩から力を抜き、
「じゃあ愚弟、賢姉を相手にコクりの練習よ。──相手は誰かゲロしなさい、さあ!」
「馬っ鹿、知ってるだろ? 皆だって前に、〝そうじゃないか〟って言ったじゃねえかよ」
トーリは、姉から皆へと視線を移した。
彼はそのまま、全員の顔を見て、一人一人と視線を合わせた後に、こう言った。
「──ホライゾンだよ」
人の名、しかしそれは、
「馬鹿ね」
肩を落として喜美が言った。彼女はトーリから視線を逸らし、
「十年前に、あの子は亡くなったのに。あの、アンタの嫌いな〝後悔通り〟で。……墓碑だって、父さん達が作ったじゃない」
「解ってるよ。ただ、そのことから、もう逃げねえ」
トーリは、笑みのまま、あのな? と口を開いた。
そして彼はもう一度皆を見渡し、いいか、と更なる前置きして、
「コクった後、きっと皆に迷惑掛ける。俺、何も出来ねえしな。それに、何しろ、その後にやろうとしていることは、俺の尻ぬぐいってか──」
一息。
「世界に喧嘩売るような話だもんな、どう考えても」
告げた言葉に、しかし誰も疑問や異論を挟まなかった。ただ皆は、トーリを見て、表情を硬くしているだけだ。
そんな皆に、トーリは言った。
「明日で十年目なんだ、ホライゾンがいなくなってから。皆、憶えてねえかもしんねえけど」
だから、
「明日、コクって来る。彼女は違うのかもしれねえけど、この一年、いろいろ考えてさ、それとは別で好きだと解ったから、──もう逃げねえ」
「じゃあ愚弟、今日はいろいろ準備の日よね。そして、……今日が最後の普通の日?」
そうだな、とトーリが笑顔で言った。
「安心しなよ姉ちゃん。俺は何も出来ねえけど、──高望みは忘れねえから」
と、そのときだった。彼の肩を、後ろから叩く手があった。
ん? とトーリが振り向いた背後。そこに立つオリオトライが、据わった目つきで右足を軽くステップさせている。
しかし彼女の挙動に構わず、トーリは右の親指を立てて見せると、
「先生! 今の聞いてたかよ!? 俺の恥ずかしい話!」
「ん? 人間って、怒りが頂点に達すると周囲の音が聞こえなくなるんだけどさ。それについてどう思う?」
「おいおい先生、生徒の話は真摯に聞こうぜ。可哀想だからもう一度言ってやる」
いいか? とトーリは前置きして、真面目な顔でオリオトライにこう言った。
「……今日が終わって無事明日になったら、俺、コクりに行くんだ。憶えていてくれよ?」
「よっしゃ死亡フラグゲット──!」
次の瞬間。オリオトライが回し蹴りで事務所の壁に穴を開けた。
それは蹴りによって回転吹っ飛びしたトーリが激突したもので、大の字型をしていた。
●
多摩の中央、商店街の中に、艦首向こうの高尾からの騒音が聞こえてきた。先ほどまでの術式や射撃の音ではなく、剣戟や打撃の音がやたらと多い、集団近接戦の音だ。
そんな音を聞く商店街の住人は、屋根上戦闘で飛び散った屋根藁や破片を掃き集めている。店の奥には教導院側への請求書もあり、皆の話題は過剰請求をするか否かの段階だ。
騒ぎを観戦していた観光客は喜び、それぞれが道へと姿を現し始めていた。
町が動き出す。
そして人々が行き交い始め、音が生まれ出す町中。白の髪の自動人形P-01sがいた。
彼女は軽食屋のエプロン姿で、箒二本を重力制御で動かし、店前の掃除をする。店の奥から店主の女性が声を掛けるのに会釈をするが、目は遠く、品川の方を見ていた。
P-01sの視線が向く方からは、わあ、という自棄になったような鬨の声の群が聞こえる。
頭上、空の区分けが少なくなった一方で、武蔵の周囲が白く染まりつつあった。武蔵が農村地の上を通過するために、ステルス航行に移行し、情報遮断し始めたのだ。
じきに、武蔵は三河へと到着する。