野太い声が響き、鈴が身を震わせた。そして倒れていた皆が、身を起こす。
皆は、オリオトライとその周囲状況を見て、
「先生……、マジでやんの?」
そうねえ、とオリオトライは背後から歩いてくる魔神に身体を振り向かせもしない。肩に担いだ長剣を抜くこともなく、
「んじゃ皆、これから実技。解る? 魔神族、体内器官に流体炉に近いものを持っているおかげで内燃拝気の獲得速度がハンパじゃないの。肌も重装甲並だし、筋力も軽量級武神とサシでいけるくらいよね」
解ってるじゃねえか、と、歩み寄る赤い魔神が言った。
「一体何だてめえら! うちの前で遠足か!?」
「ん。ああ、実はちょっと、夜警団にも頼まれてんのよね。──シメてくれって。あ、個人的には先日の高尾での地上げ、憶えてる?」
「ああ? そんなんいつものことで憶えてねえなあ!」
そう、とオリオトライが言った。彼女はゆっくりと身体を魔神の方へと振り向かせ、
「理由解らずにぶっ飛ばされるのも大変よねえ」
「てめえ……!」
魔神が来る。分厚い筋力とそれを支える骨格は、重量三百キロを超える巨体をワンステップで時速百五十キロまで持って行く。ハンマーのような形状の四本腕を前に掲げてのチャージは地上げにも用いられるもので、対人に使うべきものではない。
赤の魔神がチャージをオリオトライに用いたのは、
「夜警団とかの話からの警戒? いい判断だけど──」
突っ込んでくる巨体を前に、オリオトライはこう言った。
「──これから先生が手本を見せます」
●
オリオトライが、言葉と共に前に右足を踏んだ。
長剣は左下に下げられている。
「巨体と筋力、装甲があろうとも、魔神族には致命的な弱点があるわ」
それは、
「生物には頭蓋があり、脳があるわ。頭部を揺らせば、頭蓋の内側に脳がぶつかり、神経系が麻痺する。それが脳震盪。そして頭蓋を揺らす効果的な方法とは、頭部に密着しているものを打撃すること。頭部から遠くに有る位置を叩けば、振動は大きく響く」
その位置とは、
「人間なら顎の先端、魔神なら──」
そしてオリオトライが動いた。踏んだ右足を軸に、身体を左から右前へと回す。
彼女はそのまま身を一回転させて、魔神のチャージの軌道から逃げながらも長剣を振り、
「ここね」
長剣が回転の勢いをつけて振られた。鞘の先端を上に走らせ、
「頭部のホーン先端部。曲がった角に引っかけるようにして打つ」
言葉と共に、軽い動きで上がった長剣の鞘が、チャージ状態で通過する魔神の左角を打つ。
音が響く。
それは、わずかに魔神の首が傾げられただけの一撃にしか過ぎないものだった。
だが、
「──!?」
数歩をそのまま進んだ魔神が、不意に膝から力を失って転倒した。
チャージを制御出来ずに転んだのではない、膝が震え、バランスを失したのだ。
巨体は木床の甲板を砕き、構造材をえぐって激突することで短距離の制動を得た。
そして赤の魔神は、
「あ……!?」
くそ、と立とうとするが、腰を上げることは出来ても膝に力が入らない。身体を持ち上げては転ぶということを繰り返す。
そんな魔神の前に、オリオトライは立った。
「魔神族や大型生物は、こういう状態になると脳の代わりに身体の各部にある神経塊が働き出すから回復が早いの。だからそうなるまでに、──落ち着いて対角線上の位置を強く打つ」
言葉通りに、彼女は左ホーン先端の対角線上、右顎を右に打った。
強い一撃だ。そして力が入らない魔神の身は防御も出来ず、
「────」
首をぐるりと回して、白目を剝いた。
「実は、硬く見えるところを打つのがポイント。その方が振動が直接響くからね。こういう連中の頭部は外骨格じゃなくて内部骨格が張り出しているだけだから、ちゃんといい方向から叩けば脳に直接響くわ。やっちゃいけないのは首を埋めるような方向、真上や、チャージ正面から打つこと。魔神族は頸骨と背骨が一直線になって猫背だから、真上方向からの衝撃は背中から尻へと抜けちゃうのよ。──だから春先や思春期に角のぶつけ合いが出来るんだけどね」
言っている間に、赤の魔神が木床に倒れ伏し、背後の事務所が慌てて正面扉を閉めた。
オリオトライは事務所をちらりと見ると、
「あ、警戒されたかな」
当たり前だ、と皆が疲れた身体を起こし始める。対するオリオトライは、
「んー、じゃ、どうやって入ろうかな。入り口は待ちかまえられてるだろうしなあ。皆を引率するのに屋上からの突入はちょっと難しいしねえ……」
「……あの、引率って何ですか先生」
「ん? 社会見学で実技。今、手本見せたっしょ?」
「あんな曲芸出来るかあ──!」
「大丈夫大丈夫。──これから出来るようになるから」
平然とした口調に、皆が青い顔をした。
と、そのときだった。いきなり、横から若い声がした。
「──あれ? おいおいおいおい、皆、何やってんの?」
少年の声に、皆が振り向く。
すると、皆の横手側に、一人の少年が立っていた。茶色の髪に、笑ったような目。崩して着込んだ鎖付きの長ラン型制服に、左の小脇には紙袋を二つ抱えている。
紙袋の一つ、軽食屋のものからパンを取り出して口にくわえ、装飾の鎖を鳴らして歩いてくる少年の名を、誰かが言った。
「トーリ〝不可能男〟葵……!」
●
名を呼ばれた少年、トーリは、パンを口に押し込むようにして一個食すと、
「──んと、うん、俺俺。って何だよ皆、俺、葵・トーリはここにいるぜ?」
彼は笑みの顔を崩すことなく、倒れた魔神も気にせず皆の前に来る。そして、
「しっかし皆、こんなとこで奇遇だな。やっぱ皆も並んだのかよ!?」
言って彼が掲げて見せたもう一つの紙袋に、オリオトライが首を傾げた。
彼女は一瞬でトーリの背後に回ると、肩に長剣を担ぎ、
「……さて君、話ハショると授業サボって何に並んだって? 先生に言ってみなさい」
「ええ? 先生マジで俺の収穫物に興味あんのかよ! 俺参ったなあ!」
そしてトーリは、紙袋の中から絵の描かれた箱を出した。パッケージアートを肩越しにオリオトライに見せる。それは、
「ほらこれ見えるか先生! 今日発売されたR元服のエロゲ〝ぬるはちっ!〟。これ超泣かせるらしくて初回限定が朝から行列でさあ。俺、今日は帰宅したらこれ伝纂器に奏塡して涙ボロボロこぼしながらエロいことするんだ! ほら点蔵も欲しいだろコレ!? ──ってあれ?
点蔵は? あいつの親父、店舗別特典求めて他の店にも忍者走りで行ってたけど、あいつもそっち行ってんのかな? どう思う先生?」
答える代わりに、半目のオリオトライが、無言でトーリの肩に手を置いた。
対するトーリは首を傾げると、笑顔でオリオトライに振り返り、
「あれ? 先生、どうしたの? マジ顔して。何かやなことでもあったの? ──あ、そっか、春休みの打ち上げで焼き肉屋行ったとき、先生、人と話さずに牛と結婚する勢いで肉ばっかガツガツ食ってたのを学長か王様に教育的指導されたんだろ。先生、あれいけねえよ。焼いてるのを箸で弾いて直接口に叩き込むのはさ、カルタ取りの達人やってんじゃねえんだから。塩くらい振れよ。あと、デザートにケーキ山積みで食ってないで少しは草食えよ」
皆がわずかに腰を引いて退避姿勢を取る前で、オリオトライは口を開いた。
「……あのさ君、先生が、今、何言いたいか解る?」
「ああ? 何言ってんだよ先生! 俺と先生は、以心伝心のツーカーだろ!? 先生の言いたいことは俺にしっかり通じてるぜ!?」
「ああ、それ駄目よ駄目。だって先生と通じてるなら君今すぐ自殺しないといけないから」