楽園ノイズ

1 骨色の魔法 ①

 ピアノのはつけんは、純白ではなくかすかに黄みを帯びている。あれは骨の色なのだという。とある高名なピアニストがそう書いているのを読んだことがある。

 骨をじかに指でたたいているのだから、けば自分も痛いしピアノも痛い。

 かれはその後に、痛くないピアノに価値などない──と続けていて、つまり悪い意味の話ではなかったのだけれど、ぼくおくには痛いという言葉だけがさって残った。

 だから、りんのピアノをはじめていたとき、まず思い出したのもその言葉だった。



 ところで最初にはっきりさせておきたいのだけれど、ぼくが女装したのはじゆんすいに演奏動画の再生数をかせぐためであってとくしゆしゆがあるわけではない。断じてない。

 こちとらアマチュア中学生である。ギターもキーボードも大したうでまえではなく、ぼくよりうまいやつなんてネット上だけを見回してもごまんといる。おまけにぼくっていたのはオリジナル曲ばかり、しかも歌が入っていない器楽オンリー、となると動画サイトで人気が取れる要素はかいだった。再生数が四けたに達すればばんばんざい、というレベルだ。

 しゆでやってることだし、べつに再生数が多いのが良演奏ってわけでもないし……と自分をなぐさめつつも、内心けっこうくやしい思いがあった。

 そんなぼくかしたのか、ある日いきなり姉がこんなことを言ってきた。


「女装してれば食いつきいいんじゃないの? あんた細いし体毛うすいしムダ毛処理して首から下だけ映せばいけるっしょ。私の昔の制服貸してあげるよ」

「いやいや、そんなずかしいことしたって大して数字びないって。ほら、ぼくってんのはエレクトロニカとかアシッドハウスとかそもそもマニアックなやつだから」

「知らないって。みんなどうせ音楽とかどうでもいいんだよ、女子高生の太ももが見られれば大喜びなんだから」


 おまえちようしやをなんだと思ってんだよ?

 とはいえぼくは姉に有形無形の借りがたくさんあったので、られる形で一度だけ女装動画をってみることになった。

 完成品をぼくぜんとするばかりだった。


「おー、いいできじゃん。女の子にしか見えないよ。さすが私のコーディネイト」


 となりかんしようしていた姉はごまんえつの様子だった。

 たしかに女にしか見えない。顔は画面外だし、歌のない曲だから声も入っていないし、体格的に男のとくちようが出やすそうなかたこしはそれぞれセーラー服のえりとギターのボディとでしっかりさえぎられているし。

 複雑な気持ちでアップロードしてみたところ、そくじつで再生数が五けたとつし、次の日には六けたをあっさりと達成していた。それ以前のぼくの動画すべての再生数を合計しても一万そこそこだったのに、これまでのぼくの努力はいったいなんだったんだ? しかも動画につけられたちようしやコメントは太ももとこつに関するものばかりで曲や演奏へのげんきゆうはほとんどなく、ぼくしんけんにこの国の音楽の将来に絶望しかけた。

 そんなぼくを見て姉は言う。


「なんでマコはいやそうなの? 私はめっちゃうれしいけど? 絶賛のあらしじゃん。遺伝子はだいたい私と同じだし制服は私のだし実質的に私が絶賛されてるようなもんだね」

「じゃあもう姉貴が動画に出れば? 顔も出せばさらに絶賛じゃないの……」


 くたびれきったぼくはなげやりに提案してみたけれど、ばかじゃないの? といつしゆうされた。

 さて、これで話は終わらなかった。

 成功体験はやくである。

 姉は制服をぼくの部屋に残していったし、動画再生数は日がたってもまだじりじりび続けていた。チャンネル登録者数も百倍以上にふくれあがっていた。

 期待されている。ぼくの動画を待ってくれている人が大勢いる。

 さんざんためらったが、けっきょくぼくはもう一度セーラー服にそでを通した。

 うおおおおおおおおふともももももももも、というコメントでくされた自分の二本目の女装動画をむなしくもすがすがしい気持ちでながめていると、今さらやめるわけにはいかないのではというきようはく感がこみ上げてきた。ちようしや十万人だ。大多数が身体からだ目当てだとしても、ぼくの音楽をきたがってくれているとくな人々も女装する前よりはいくらか増えているだろう。

 もう三本ほどアップロードしたあたりで、なんかこつに性的なメッセージがぼくのアカウントに何本も飛んでくるようになって身の危険を感じたので、男です、とプロフィールらんにでかでかと書くことにした。ついでにプレイヤーネームを『Musa男』に変えた。じようなまでにむさ苦しく男性アピールをしつつギリシャ神話の音楽のがみであるムーサにも引っかけてあるという我ながら見事なネーミングだったが特に効果はないどころか「男だからなおよい」といったメッセージやコメントが乱れ飛ぶようになり世も末だなと思った。

 ちようしやがこうも急増すると、昔アップした曲がだんだんずかしくなってきた。まだ経験が浅かったころの作品なのであちこちつたない。あんな初心者丸出しの音源を十万人にかれるのかと思うといたたまれなくなり、ぼくは女装する以前の十数曲をすべてさくじよしてしまった。

 すると──当たり前だけれど──チャンネルの動画リストに並ぶのは制服&太もものサムネイルばかりになる。

 これはこれでずかしい。

 いやなら女装なんてやめればいいのにやめられなかったのは、現実を見せつけられるのがこわかったからだ。太ももきでぼくの音楽をじゆんすいに求めている人間の数なんて、千人にも満たない、という。

 まあ、べつに本名を出しているわけでもないし、動画サイト以外の場所で音楽活動をするつもりもないし、ぼくがMusa男であるという秘密は姉以外だれも知りようがないので、気にしなくてもいいか……。そう自分に言い聞かせ、動画作成を続けた。

 ぼくあまていた。世間の広さとせまさを、だ。



 高校に入学してすぐのことだった。芸術せんたく授業で当然のごとく音楽をせんたくしたぼくは、音楽室でグランドピアノに生まれてはじめてさわる機会を得た。小学校も中学校も音楽室がせまくてアップライトピアノしか置いていなかったのだ。

 いてみたいしようどうおさえきれず、授業が終わって昼休みになり、クラスメイトたちがぞろぞろ音楽室から出ていってしまうのを待ってからそうっとピアノのすわった。

 あらためて目の前にすると、でかい楽器だ。

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