楽園ノイズ

1 骨色の魔法 ②

 ぼくの持っているけんばん楽器はKORGのKRONOS LSとYAMAHAのEOS B500、どちらもかたかつげるくらいのサイズで、いている最中もけんばんの向こうに見えているのは部屋のかべだ。ところがグランドピアノは黒いこうたくを持つきよたいが視界をふさいでしまう。そのあつぱく感にまずどきどきする。油断したらわれてしまいそうだ。

 しかもけんばんがめちゃくちゃ重たい。すごいな、ピアニストってこんなのを平気できこなしているのか。

 なんの気なしに、いてみた。自分のオリジナル曲をワンフレーズ──


「……あれ? むら君、それって」


 いきなり後ろから声がかけられ、ぼくねるようにして立ち上がり、あやうくピアノのふたに指をはさみかけた。

 くと音楽教師のはなぞの先生が立っていた。


「あ、す、すみません、勝手にさわって」

「いやべつにそれはいいんだけど、今の曲って」


 ぼくはぎくりとして、そのまま後ずさって音楽室からげだそうとした。はなぞの先生がぼくのブレザーのそでをつかんで引き留める。


「ムサオのロココ調スラッシュの中間部だよね?」


 ピアノの下にもぐんで頭をかかえたくなった。

 知られてた──。

 待て、落ち着け。ぼくの正体がけんしたわけじゃない。Musa男を知っていた、ってだけだ。Musa男がネットミュージシャンとしてそれだけ有名になったってことだ。だからぐうぜんこんなところにちようしやがいたっておかしくないし、ぼくちようしやのふりをすればいいだけだ。


「え、ええ、先生も知ってたんですか。動画で見たんですけど、けっこういい曲ですよね」


 せいいつぱいさりげなく言った。ところが先生はさらっと言う。


「きみがムサオでしょ?」


 ぼくの人生は終わった。


「……は? いや、あの、ええと、ネットでただけで」


 ぼくおうじようぎわ悪く言い訳する。


「あたしもあそこのピアノ耳コピしようとしたけどなんかうまくいかなくてさ。でもさっきのはかんぺきだったし。よく見ると体つきもムサオそっくりだしなによりこのこつのラインが」

「なぞらないでくださいっ」


 いきなりワイシャツのえりくびに指をんでくるものだからぼくは後ずさって黒板に後頭部をぶつけてしまった。


「いやあ、ほんとに男の子だったんだねえムサオ。まさかあたしの教え子とはね」


 はなぞの先生はぼくの全身をしげしげと観察する。

 こういうじようきよう下でしらを切り続けられるほどこんじようわっていないので、ぼくはけっきょく認めざるを得なかった。


「あ、あの、先生、このことはだまっててくれますよね……」

「あの動画が学校に広まったら大人気だねえムサオ。文化祭で女装コンテストもあるし期待の星だよ」

「お、お、お願いですから」

「あたしもおにじゃないから秘密にしておいてあげてもいい」

「ありがとうございますっ」

「でも条件がある」


 残念ながらはなぞの先生はおにだった。

 だまっておく代わりにぼくに課されたのは、授業中のピアノばんそうをすべて担当すること。

 一年生の音楽授業ではまず校歌を習うのだけれど、このばんそうがくがすさまじい音数でせんがほとんど真っ黒。


「なんですかこのシーケンサおぼえたての中学生が作ったみたいながく」三年前のぼくかよ。


「何年か前に校歌を混声四部合唱にアレンジしようっていう話になってね、ここの卒業生で音大に通っているやつに安いギャラで発注したところ、いやがらせのようなピアノがついてきたというわけなんだよ」

「ひでえ話もあったもんですね……。だれなんですかそいつ。文句言ってやりたい」

はなぞのっていう女なんだけどね」

「あんたかよ! ええとその」

「文句があるそうだから聞いてあげるよ」

「色々すみません、はい、文句などめっそうもない」

「まあ実際作ったあたしもこんなめんどうばんそうきたくないからね。まさか母校にしか就職口が見つからないとは思ってなくてさ。てことで練習しといて」


 ほんとうにひでえ先生なのである。その後も『河口』だの『信じる』だのといった、ばんそうがクソ難しい合唱曲ばっかりチョイスしてくるのでぼくは泣きそうになる。

 それに、グランドピアノのけんばんの重さに慣れなくてはいけなかったので、家での練習だけでは足りず、放課後は音楽室に日参することになった。


「たった一週間でわりとけるようになってるじゃないムサオ。さすが」


 おどされてしつけられた仕事をほめられてもびたいちうれしくない。


「あと先生、ムサオって呼ぶのやめてくれませんか。他の人がいるところでもうっかりその名前で呼ばれてバレたりしそうで……」

むらことを略してムサオじゃないの?」

「『む』しか合ってねーでしょうが!」

「それでね、ムラオサ」

「どこの村の村長だよ? 人の話聞かない村ですかっ?」

「来週の授業でハイドンの四季をアカペラでやろうと思ってるんだけどね」と先生は人の話を聞かずにがくを取り出してきて言った。「四部合唱に編曲しといて」


 このまま要求がどんどんエスカレートしていくのではないか? 高校卒業するころにはオペラを一本書けとか気軽に言われるようになってるのでは? とぼくは青ざめた。




むらさあ、放課後いつも音楽室だよな」

はなちゃん先生がつきっきりでピアノ教えてくれてんだろ? いいなあ」

「並んで密着して二人でいたりしてんの?」


 クラスメイト男子にはめちゃくちゃうらやまれた。

 はなぞの先生は新任四年目の若さで名前も見た目も性格もとにかくはながあるため全校的にたいへんな人気教師であり、こうして入学直後の新入生たちのハートもさっそくわしづかみにしているわけだが、心ではなく首根っこをわしづかみにされているぼくとしては「じゃあおまえら代わってくれよ」と言いたくてしょうがなかった。


「べつに教えてもらってるわけじゃないよ」とぼくはおおむね正直に言った。「自主練してるだけ。その間先生はとなりの準備室で他の仕事してる」


 実際は仕事ではなくまんを読んでいることがほとんどなのだけれど、そこは一応ごまかしておいた。


ぐうすう組のばんそう担当ともいつしよに練習してんの?」


 ふとクラスメイトの一人が言った。


「あ、すげえ可愛かわいいんだよな。おれも話だけ聞いた」

「何組の女子?」

「4組だっけ」

「音楽せんたくめぐまれすぎじゃね? 美術なんてやめときゃよかったわ」


 食いつきっぷりが加速するけれど、ぼくはその話題に出された人物を知らなかった。


「えっと、ぐうすう組にもぼくみたいにばんそうしつけられてるかわいそうな子がいるわけ?」

「そうそう」

しつけられてるってなんだ。もっと喜べよ」

「まさかはなちゃん先生にもっと別のものをしつけられてるんじゃねえだろうな」

「てめえふざけんなよ代われ!」


 話がわけのわからないれ方をしかけたが、情報を総合するとこういうことだった。

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