楽園ノイズ

1 骨色の魔法 ⑤

「やってるのは事実ですけどやりたくてやってるわけではなく見てもらいたいからで、あ、あの、見てもらいたいってのは動画をって意味で」

「だから女装動画を見てもらいたくて女装してんでしょ」

「ち、ちがッ、……ちがわなくもなくもないですけどっ、そういう動機じゃなくじゆんすいに」

じゆんすいな自己けん欲のために女装してんだよね?」

「言い方ッ」


 これ以上この方向で話を続けていてもいじくられるだけなのでぼくはあきらめた。


「だいたい学校でその話をしないでくださいよ、バラさないからっていう約束で授業を手伝ってるんじゃないですか。ムサオって呼ぶのもやめてくれって何度も」

「えええー」


 先生は不満そうに口をとがらせた。


「ムサオって呼びやすくていいのに。じゃあ他の活用形にする?」

「なんですか活用形って」

「虫けら」

「五段活用かよ。しかもなんのひねりもなく悪口じゃないですか」

「むすっとしてる」

「当たり前だろ! だれのせいですか!」

「無節操」

「ちょっ、なにが? これまで十五年間つつしぶかく生きてきましたよ!」

「ムソルグスキー」

「だれが禿はげやまの一夜だ! うちの家系はみんなふっさふさだよッ」

「あれえ、ムソルグスキーは悪口のつもりで言ったんじゃないんだけど、むらくんちょっとひどすぎない?」

「え、あっ……そ、そうですよね。失礼な発言でした。ムソルグスキーにあやまります」

「あたしは『一生女にえんがない上にアル中』って意味で言ったんだけど」

「ど直球で悪口じゃねえか! あんたがムソルグスキーにあやまれよ!」

「どう? あたしの言いっぷりに比べればりんちゃんの口の悪さなんてなんともないでしょ。だから仲良くしてあげてね」

「どんな話のつなぎ方ですか」


 はなぞの先生に比べればたいがいの人間がましに見えるだろうに。


「だいたい、仲良くったって、とくに接点ないですよ。クラスはちがうし音楽の授業だってべつべつなんだし」

「あたしっていう接点があるでしょ」と先生は自分の胸を指さした。「弱みをにぎられてこき使われてる者どうし共感し合えるんじゃない?」

「こき使ってる当人がよくもまあ平然とそんなこと言えるもんですね……」


 あなたたちのためを思って言ってるんだよ、みたいな顔されるのしんけんに腹立たしいんで自重していただけませんかね?

 とはいえ、ぼくとしてもりんとはもう一度だけ接点を持ちたかった。

 めん台にだらしなく広げられたがくを見やる。

 あれだけのピアニストに、こんなきよしよくだらけのめんしつけておしまいにしたくなかった。むらことがこういうクソ編曲しかできないやつだと思われたままにしたくなかったのだ。



 てつばんそうを独奏用に書き直すと、翌日、放課後を待ってすぐに音楽室に足を向けた。はなぞの先生にたのんで、りんに放課後また来てくれるように伝えておいてもらったのだ。

 けれど、どうやら呼び出し人がぼくであることは伝えられていなかったらしく、音楽室に入ってきたりんは待っていたぼくを見るとかすかに目を見張り、それからため息をついた。


「あなたの用事だったの? 今日はなに? 先生だけじゃらずわたしにもいやらしく密着してれんだんしたいという話ならお断りだけれど、あなたは生まれてこのかた女性にまったくえんがないみじめな人生を送ってきたという話だし、これ以上性犯罪を重ねられても困るし、ニモのぬいぐるみでよければ貸してもいい」


 どこからつっこんでいいのかわからん。


「……なんでニモなの?」

くのはそこなの? 他は認めたってこと?」

「ちげーわ! たりさわりのなさそうなとこからいてんの!」

「ニモはクマノミでしょ。クマノミはおすめすに性てんかんするらしいから、女装して自分をなぐさめているあなたにはぴったりだと思って」

たりさわりしかなかった! え、ちょ、ちょっと待って、なんで知ってんの?」


 背中をあせが伝い落ちた。まさかはなぞの先生か? あの女、だまってるって約束しといてさっそくぺらぺらしやべりやがったのかッ?

 でもりんかたをすくめて言う。


「Musa男は一時期ピアノコンクールかいわいで有名だったから。どう見ても中高生くらいなのにブーレーズとかリゲティとかマニアックな作曲家をサンプリングした変態的なオリジナル曲なんて発表してて、あれはきっとコンクール常連のだれかだろうって言われてて。とはいってもピアノはものすごく下手くそだったけれどきっと正体をかくすためにわざと下手にいてるんだろうって」

「……そりゃまた身に余る評価ありがとうございます……」


 ほんとうに下手なだけなんですけど。


「けっきょくわたしの周囲でもMusa男がだれなのかはなぞのままだったのだけれど、昨日あのがくを見て確信した。アレンジのくせがMusa男そっくり。動画を見直してみたら体つきもあなたにちがいなかったし」


 もういやだ。なんなんだよ音楽業界のせまさ……。


せいへきも音楽のしゆも変態なんて生きていてつらくないの? マイナスとマイナスをわせるとプラスになるとかそういうこと?」

「マイナスって言うな! 好きでやってんだよ! あ、いやその好きってのは女装じゃなくて音楽の方の話だからそういう顔すんのやめてください」

「それで今日わたしを呼び出したのはまた変態しゆを強要しようというわけ? まさかわたしにも女装させようっていうんじゃ」

「おまえはもともと女だろうが! ああもう、話がちっとも進まないよ!」


 がくを差し出すと、りんげんそうに受け取る。


「昨日のカルミナ・ブラーナ? わざわざ独奏用に書き直したの? べつにそんなことしてもらわなくても、わたしはてきとうに自分でアレンジしてけるし」

「てきとうにやってもらいたくないから書き直したんだよ」


 ぼくさえぎって言った。りんは目をしばたたき、それからもう一度めんに目を落とした。視線がおんを走査するのがわかった。

 やがてかのじよはピアノのすわると、めん台にぼくがくを広げて置いた。

 けんばんの骨の色に、冷え冷えと白く細い指先がこうさくする。

 なぜこうもぼくかなでるピアノとちがうのだろう、と思う。けんばんたたく前からわかる。特別な空気がめている。音楽にとってきゆうおんと同等に重要なのだとしたら、曲が始まる前の帯電したせいじやくもまた音楽の一部だ。

 りんの指がけんばんれる。

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