楽園ノイズ7
1 僕たちの夏コレクション②
「胸なんて小さくて得したことしかないけどな」と黒川さんがまだこの話題を続ける。「肩こらなくて楽だし、着られる服が多いし。男装似合ってたからバンドも人気出たわけだし」
「うあー。黒川さんが大物過ぎるよお」
朱音が天井を仰いでわざとらしく感嘆した。
「自分たちの小ささを痛感させられる」
凛子が神妙そうにうつむいてため息をつく。
「二人とも私よりは大きいだろ」
「胸の話じゃなくて!」
「胸の話だろ」
「胸の話だったけど!」
胸の話ほんとにもうやめようよ……。バンド潰れかねないよ? ほら詩月なんてさっきからもう反応に困って挙動不審だし、伽耶も責任感じておろおろしてるし。
「あの、でも、海には行くんですよね? 真琴さんも行くって言ってくれましたよね、一緒に水着も買いに行くって約束しましたよね!」
「海はともかく水着の話はどこから出てきたんだ」
「メンバーの水着を管理するのはバンドリーダーの仕事ですよねっ?」
僕は深呼吸した。いちいちいきり立っていては疲れる。
「……一応、そうなる理屈を聞かせてほしいんだけど」
普段の即つっこみとはちがう僕の対応に詩月は戸惑ったのか、詩月は視線をふよふよ漂わせて言葉を探す。
「ええと、ですから、『バンド』には帯とか紐の意味がありますよね、つまりバンドリーダーというのは『水着の紐を引っぱる人』という意味が」
「ないよ。ていうか引っぱったらほどけるだろ。管理してもいないよ」
「水着をいきなり脱がすなんて性犯罪」
「えっ真琴ちゃんヒモだったの?」
「ほらこうやって凛子と朱音が言葉尻とらえて変なこと言い出すし! ていうか言葉尻ですらない!」
「まあとにかく七月と八月にはライヴの予定は入れてないから、しっかり夏休み満喫しとけ。マコだって音楽以外にもなんかやりたいことくらいあるだろ」
黒川さんに言われて僕は首をかしげる。
「……いや、とくにないですけど」
「だよね。ほんとにノーミュージック・ノーライフだもんね」
「村瀬くんがサーフィンしたいとかダイビングしたいとか言い出した方が心配になる」
「真琴さんは式場探しでもコンサートホールばかり巡りそうです。武道館で挙式、素敵です」
「えっ、武道館って結婚式できるんですか? 父に聞いた話だと審査が厳しいとかスケジュールおさえるの二年前とか聞きましたけれど」
「伽耶、そこは真に受けなくていいから」
「真琴さんはもっと真に受けてくださいっ!」
「いや知らんけど。なんで結婚の話になってるんだよ」
「ノーミュージック・ノーワイフだからですっ」
なに上手いこと言ったみたいな顔してんだよ。意味わかんないよ。
「マコを海に連れてくなら海辺にスタジオでも造らないと無理そうだな」
黒川さんは笑って言ったが、まさかその冗談が現実になるとはそのときの僕はまったく思っていなかったのである。
*
試験休みが終わり、無事に追試もなく僕らは久々の登校日を迎えた。七月下旬の暑さはすでに皮膚に噛みついてくるような凶暴さだった。昼休みになり、教室から音楽室に移動する間のわずかな距離だけでもつらい。渡り廊下は一日中陽光に晒されているので壁も天井も熱で歪んでいるように錯覚してしまう。
海なんて絶対行きたくないな、冷房の効いた室内がいちばん、との思いをあらたにして音楽室のドアを開く。冷えた空気が身体を包んでくれる。無人の部屋を横目で見ながらピアノの脇を抜けて右手奥の音楽準備室に入った。
「海辺にスタジオを造りました!」
先に来ていた詩月がいきなり胸を張って言った。
僕はなにかの聞き間違いかと思って詩月の顔を二度見し、それから室内を見回す。
詩月と朱音、凛子はもうお弁当を開いている。小森先生は人数分のマグカップにティーバッグを入れているところだ。伽耶の姿はまだ見えない。僕以外に驚いた様子の人間がいないところを見ると、先に話していたのだろう。
「……ええと。……どういう方向のボケなの」
「ネタ振りじゃありませんっ! ほんとに海辺にスタジオを造ったんです、これで真琴さんも心置きなく海に行けますよね」
たしかに詩月の家はとんでもない富豪なのだが、それにしたって話が早すぎないか。そんな自転車を買いましたみたいなノリで手に入るものなの?
「正確に言うと、お祖父さまがずいぶん前に千葉の海岸そばに別荘を建ててたんだそうです。地下スタジオ完備で、とても素敵なところで」
なるほど、禄朗さんか。僕も面識があるけれど、ナイスガイの趣味人で、ジャズのリズム隊楽器はどれも達者に弾きこなすプレイヤーだったから、そんな都合の良い物件を持っていても不思議ではない。
「大金持ち最高!」と朱音がはしゃぐ。「一週間くらい合宿しよう!」
「昼間は海で遊んで、日が沈んで帰ってきたら村瀬くんが晩ご飯と曲を作って待ってくれているから食事の後にセッション。すごくいい生活」
「え……曲作りはべつにいいんだけど飯も僕ひとりで作るの?」
「ピアニストになるために育てられたから包丁も握ったことがないって前に言ったでしょう」
「あたし最近カップラーメンのお湯の入れ方わかったよ! 中の空気がぶくぶくーって出てくるからちょっと多めに入れるといいんだよね」
「あっ、私も炊飯器のスイッチの入れ方憶えましたよ! まかせてください!」
「……僕が作るしかないか……」
少し遅れてやってきた伽耶も詩月の話を聞いて大興奮する。
「別荘! いっぱいいっしょにいられるんですね! ご飯わたし作ります、先輩たちにも味を見てもらいたいし!」
「伽耶。わかってない」
凛子がやれやれと首を振って伽耶の肩に優しく手を置く。
「そんな気を回したら村瀬くんが『飯を作る役がいるなら自分は合宿行かなくてもいいか』などと言い出すでしょう」
「あっ……そ、そうなんですか。そうですよね。すみません、考えが足りなくて」
「言い出さないよ。行くよ、せっかくだし。伽耶も真に受けちゃだめだよ……」
「さすがです凛子さん、さらっと真琴さんに『行く』と言わせた上に、伽耶さんだけがポイント稼ぎする展開を牽制してしまうなんて」
「凛ちゃんの腹黒って半分くらいしづちゃんが作ったキャラだよね」
「詩月はわたしよりもわたしのことを理解してくれているから」
「先輩たちの友情、すごく憧れます」
「友情じゃないよそれ! なんかもっとドロっとしたやつだよ!」
「ゲル情」
「あたしもそういう理系っぽいことさらっと言えるようになりたい! 化学がんばらないと」
教科書つくってる人たちに怒られそうなことを朱音は言う。
「夏休みに海で合宿かあ。いいねえ、学生。わたしもあの頃に戻りたいよ」
小森先生が玄米茶をすすりながら切々とつぶやくので場の空気がいっぺんに冷えた。



