楽園ノイズ7

1 僕たちの夏コレクション③

「……先生もご一緒に、どうですか。顧問みたいなものですし、いつもお世話になってますから羽を伸ばしてもらえたらうれしいですけれど」


 詩月がおそるおそる言うと小森先生は苦笑いして手を振った。


「お誘いありがと! めちゃ行きたいけど無理だねぇ、生徒は休みでも教師はやること山積みだから! わたしなんて急に就職したもんだから実は必要な研修もまだ全然受けてないし、夏休みのうちにまとめてばーっとやっとかないとだし、学期中より忙しいかも」

「あ……そ、そうでしたね。すみません」

「残念。先生がついてきてくれるなら親の外泊許可が取りやすかったのだけれど。音大入試対策のための合宿、とか言っておけば余裕でOKもらえたのに」

「そうか、うちは高校生だけで泊まりなんて全然問題ないけど、しづちゃんと凛ちゃんは親が厳しそうだよね。伽耶ちゃんは? やっぱり厳しい?」

「村瀬先輩がいっしょなら大丈夫だって言ってくれると思います」

「ちょっと待って、僕そこまで信頼される憶えはないけど……?」

「先輩、うちの両親と顔合わせしてるじゃないですか。もう家族同然だなって父も言ってましたから」

「……ふうん。村瀬くんが志賀崎さん家の会食でどんな話をしてきたのかは、合宿の夜にじっくり聞きましょう。一週間あれば根掘り葉掘り聞けるはず」

「真琴さんはうちの母とも話してますからっ! 父とは――面識ないですけれど、あ、でも、父の浮気相手とは逢って話してますから私の方が伽耶さんよりも関係が深いですよねっ」

「詩月はどういう目的でなにを張り合ってんの……?」

「あたしは特にそういうのないけど真琴ちゃんと家めっちゃ近いよ」

「……朱音さんが優勝です……」


 だから一体なにと戦ってるんだよ。


「そういう物理的な距離のハンデはどんどんなくしていきましょう。合宿は一週間もいっしょにいるのだから全員が家族同然になれるはず」

「なんか決定事項みたいに言ってるけどほんとに一週間もやるの」と僕は訊ねた。


「もっと長くてもいいですよっ? 持ち家ですからいくらでも使えます」

「まあスタジオついてるならいくらでも過ごせるだろうけどさ」

「七月も八月もべつに予定はないんでしょう?」と凛子がスマホを確認する。僕らのスケジュールはすべて共有されているのだ。


「ライヴの予定はないけど、だからって漫然とセッションするってのも……」

「海ですよ、海! 私たち全員水着で遊ぶ気満々なんですよ、真琴さんも砂に埋まったり浮き輪で流されたりビーチバレーしたりしましょうっ」

「暑いし外出たくないな。いいよ、凛子が言ってた通り、飯と曲作って待ってるから僕はほっといて遊んできて」

「それじゃ意味ないです! それなら私も水着でお料理手伝います」

「お湯とか油が跳ねたら火傷するよ……?」

「真琴さんはもっと他のところに気を遣ってくださいっ!」


 毎度の理不尽な怒られ方だった。


「真琴ちゃん、もっと喜ぶかと思ったけど。スタジオつき別荘だよ? 海どうこう抜きでも真琴ちゃんには天国じゃないの?」


 朱音の疑問にはたと口をつぐみ、考え込む。

 言われてみれば、だ。


「いや、スタジオにいっぱい入れるのは嬉しいんだけど。ほら、これまで毎月ライヴやっててそのために新曲書いてアレンジ詰めて、って繰り返しだっただろ。ライヴしばらくやらないってことになると、なにを目標に曲作りすればいいかよくわかんなくて……」

「作曲頼まれてたやつは?」

「邦本さんのはOKもらったし、拓斗さんにもけっこう自信のあるやつを送って返事待ち」

「つまり燃え尽きているということ」


 凛子は質問するというよりとっくにわかっていることを確かめるような口調だ。僕はためらいがちにうなずく。そういうことになるのだろうか。


「真琴ちゃんってなんかこう、淡々としてるみたいなキャラつくってるけど、燃えさかって燃え尽きてを三ヶ月周期くらいで繰り返してるよね」

「え、そ、そう……? そうかな……そうかも……」


 べつにキャラをつくってるつもりはないけれど、ことあるごとに行き詰まって方角を見失ってにっちもさっちもいかなくなっているのはたしかだった。


「動画つくるんじゃないんですか。先輩、こないだPNOチャンネルと個人チャンネル分けましたよね。ソロ曲もこれからどんどん出してくつもりなんですよね? すごく楽しみです」


 目を輝かせて身を乗り出してくる伽耶には申し訳ないが、そういうモチベーションも今はあまりない。


「ソロ曲も、うん、チャンネルつくった後で何曲か演ってみたんだけど、前と同じようなことばっかりやるのもなんだかなあ、って思ったりして……」

「同じようなことばかりって、あっ、真琴さん女装動画をやめてしまうんですかっ? お姉様のセーラー服を卒業しちゃうんですか、あんなに似合っていたのに!」


 そういうことじゃない。いや、ここは否定しなくていいんだった。その通りだからな。セーラーなんてもう着ないぞ。


「これまででいちばんの重症かもしれない」


 凛子がぼそっと言った。


「村瀬くんは今、漠然と、昨日までの自分に飽きている。なにか困ったことに直面しているわけではないから対処法もわからない」


 彼女の分析のメスは相変わらず刃先が鋭い。

 昨日までの自分に飽きている。たしかにそうかもしれない。どうにも不遜な悩みだった。まだなにか成し遂げたわけでもないのに。


「どうやったら治るのかな。海に放り込んだらいいかな?」

「添い寝か膝枕が効くと思います、私そういうの得意ですから!」

「わたし最近中華料理習ってますから薬膳で――」

「ピアノに縛り付けて十時間くらい連続でわたしの演奏を聴かせたら治るかも」


 勝手なことを言い合う四人娘を横目で見ながら、小森先生がなんでもなさそうに言った。


「PNOってアルバムとか出さないの?」


 全員がひたと黙った。

 アルバム?

 いきなり視線を集めたのでびっくりした先生は、早口気味に先を続けた。


「いやほら、もっと良い音で録り直したいとか言ってたでしょ? お金かかるから、って話だったけど今めっちゃ儲けてるんでしょ? 夏休み使ったらフルアルバム作れちゃうんじゃないかなって思って……あはは、わたしが勝手に予想してただけ!」


 伽耶は目を見開いて僕の顔を凝視してきている。朱音はなにか言いたげにうずうずしながら僕と小森先生を見比べている。詩月は頬を上気させて、胸の高さに持ち上げた両手の拳をわきわきさせている。凛子はサンドウィッチを囓りながらちらちらと僕を見る。


「もうアルバムって時代でもないかぁ。最近のミュージシャンて配信メインだしアルバムに興味なさそうな人も多いよね」


 奇妙な空気になってしまったのを気にしたのか小森先生は冗談めかして言った。


「……いや、興味がないわけじゃないですけれど。アルバムも、いつか作ってみたいとは思ってました」


 僕が言うと、今度はみんなの目がこっちに集まる。

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