楽園ノイズ7

1 僕たちの夏コレクション④

「作るつもりあったんだ? けっこういっぱいオファーきてて全部断ってるんでしょ」


 朱音が僕の顔を覗き込んで訊いてくる。


「それはべつにアルバム制作がいやなわけじゃなくて、よくわからん人たちがプロデュースさせてくれって言ってくるから黒川さんに全部シャットアウトしてもらってるだけ」

「そんなにいっぱいオファー来てるんですか」

「詳しくは聞いてないけど月に二、三本は来てるみたい」

「すごっ。うちら人気者じゃん。でもキョウコ・カシミアのプロデュースも断ったくらいだし下手な話は請けらんないよね」

「えっ、えっ、それほんとうですか? あのキョウコ・カシミアですよね? 先輩たちすごすぎませんかっ? どうして断っちゃったんですか」


 伽耶がエキサイトして立ち上がり、机に両手をついて飛び跳ねる。彼女と知り合う前、去年の夏から秋ぐらいの話なので、当然知らないわけだ。隣の席の凛子が経緯を詳しく説明すると伽耶の視線と語調はますます熱を帯びる。


「キョウコ・カシミアのプロデュースでメジャーデビューなんて……そんな話を蹴飛ばせるの先輩たちしかいませんよ。かっこよすぎます……」

「今になって振り返ってみるとちょっともったいなかったよね」

「たしかに。音源制作費も出してくれただろうし。後の祭り」


 伽耶の感動が台無しになるから本音を漏らすのはやめろ。

 ……もちろん僕も、もったいないことをしたな、とは常々思ってきたけれど。

 小森先生の言っていた通り、今まで作ってきた曲をちゃんとしたレコーディングスタジオで録り直したい気持ちは強くあった。

 ただ、これまでは先立つものがなかったのだ。

 詳しくは知らないが、レコーディングスタジオはリハーサルスタジオとは設備が段違いで、レンタル料も桁がひとつちがう。フルアルバム録るなんて言い出した日にはとんでもない予算が必要になってくる。やりたいなあと思いつつも、踏み切れずにいた。

 去年の秋頃に一曲だけレコーディングスタジオを使って録ったことがあるけれど、あのときは世話になっていたイベント会社が出費してくれて一日お試しでやってみただけで、満足のいく音源はけっきょく残せなかった。自前でとことんやるとなれば時間的にも金銭的にも相当な覚悟が要るはずだ。

 しかし今、僕らはまあまあ稼げてきているし、インディーズとはいえ『ムーン・エコー』という事務所にも所属している。レコーディングの手配も頼めるかもしれない。夏休みに入れば使える時間もぐっと増えるし、スタジオつきの別荘で一週間もバンドメンバー勢揃いで過ごすとなればアレンジもそこで全曲分詰められるだろう。成果を東京に持ち帰ってきて集中的にレコーディング、夏休みが終わるまでに最低でも一曲を仕上げる。

 できる気がしてきた。

 商業レベルのレコーディングの経験はないけれど、だからといって挑戦しなかったらいつまでもできないままだ。飛び込んでみなくちゃ。

 といっても事前にできる限りの知見は集めておきたい。ミュージシャンの知り合いは何人かいるけど、みんな忙しいだろうし、教えを請うのは気が引ける。可能なら見習いとして現場に入って録音技術を目で盗みたい。あるいはとりあえず一曲だけでもプロに頼んで最初から最後までディレクションしてもらって録ってみるべきか……


「先輩、大丈夫ですかっ? 聞こえてますか? ……どうしよう、固まっちゃった」

「伽耶ちゃん、平気。なんかスイッチ入っちゃっただけだから」

「今の村瀬くんの頭の中はアルバム制作のことでいっぱい。たぶんなにを言ってもぼんやり受け入れてくれると思う」

「ほんとですか! じゃあじゃあ真琴さん、いっしょに水着買いに行く約束しましょう、今週の土曜日でどうでしょう、夏休み初日ですね、はい、そうですスマホ出して、スケジュールに書き込んでくださいね、はい、十二時に池袋集合です」

「真琴ちゃんも女装していった方が店員に変な目で見られなくていいんじゃないかな」

「あっ、そうですね、女性用の水着売り場は男性の方はちょっと入りづらいですものね。それじゃあ真琴さん女装でお願いします、それもスケジュールに書き込んでおいて、あとは女装担当のお姉様にも連絡しておかないとですね」

「え、あの、村瀬先輩の水着も買うんですか」

「さしもの村瀬くんも試着しようとしたらばれるので無理」

「そうかな。試着室の中ではひとりなんだからばれなくない?」

「女性用の水着の着方がわからなくてパニックを起こしてばれるでしょう」

「あーなるほど。真琴ちゃんは買わなくていいって! よかったね」

「土曜日、楽しみですね! 三日前からおやつ抜いて備えます」


 女たちがなにやら楽しげに話したり僕にスマホでスケジュールを書き込ませたりしていたけれど、レコーディングについてあれこれ考え続けていた僕は上の空だった。


       *


 だから夏休み初日の土曜朝、姉に叩き起こされてスマホをチェックするように言われた僕はスケジュール帳を見てベッドから転げ落ちた。


「え、なにこれ……? 水着? みんなと?」

「やっぱり憶えてなかったんだ? たぶん忘れてるからしっかり女装させて出発させてくれって朱音ちゃんたちに頼まれてるからね」

「女装っ? なんで」

「だってあんた水着売り場いくんでしょ? ウィメンズの。男のかっこうしていったらまわりの目が気になるでしょ」

「女のかっこうでいった方が気になるけどっ?」

「私がそんな雑な女装させるわけないから大丈夫。何年マコの女装やってると思ってんの」

「一年ちょいだろ!」

「早くシャワー浴びてきなって。お昼集合でしょ」


 寝汗で身体がべとべとしていたので言われた通りシャワーを浴びて髪を拭きながら出てくると姉貴はリビングのソファに女物の服を何着も並べて母と話し合っていた。


「夏の女装は難しいんだよね、男をいちばん感じさせちゃうのってやっぱり肩と二の腕だから半袖だとどうしても」

「茉理とほとんど体型同じなんでしょ?」

「シルエットが全然ちがうから」

「ケープストールとかでごまかすのはどう」

「夏物なんて持ってないし、十六歳のファッションじゃないから却下」

「寒色系のオフショルダーならかえって肩の印象弱まるんじゃない?」

「お、母さんそれ良いアイディア。やってみよう」


 なに真剣に話し合ってんだこいつら……。

 姉が気づいて振り返り、僕の頭からバスタオルをむしり取る。


「じゃあマコ、これに着替えてきて」

「いや、あのさ、女装する必要なくない……? というかそもそも男が女装して女性用水着売り場に行くのってまずいんじゃ」

「なにがまずいの。べつに女子トイレとか女子更衣室に入るわけじゃないんだから」

「それはそうだけど。じゃあやっぱり女装しなくていいじゃん」

「なに言ってんの。水着売り場に男がいたら客も店員も要らない緊張するんだってば。わかるでしょ。だから女装は雰囲気を壊さないための気遣い」

「僕が行かなきゃいいだけじゃないの……?」

「みんなマコと買いにいくのを楽しみにしてんの! 早く着替えて! 約束したんでしょ」

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