楽園ノイズ7
1 僕たちの夏コレクション⑤
スケジュールに記入されているということはたしかに僕がみんなと約束したということだ。ぜんぜん記憶にないのだけれど。
急かされるとこっちも焦ってきて、しかたなく姉に押しつけられた服を自室に持ち込み、着替えてリビングに戻った。
「なんかこれスカート短すぎない?」
「夏だからそれくらいでいいんだって。はい座って、急いで髪セットしてメイクしないと」
ドライヤー片手に姉は僕の肩をぐいと押しやってソファに座らせ、そこから三十分間好き放題に僕の髪と顔をいじくり回した。
ようやく起きてきた父が僕を見てあくびまじりに言う。
「……茉理より美人だなあ」
姉も怒るかと思いきや当たり前みたいな口調で答える。
「そりゃ自分を鏡で見ながらメイクアップするのとは大違いだから。マコのこの可愛さが私の本来の実力ってこと」
素晴らしい姉を持ってほんとうに幸せだった。泣けてくる。
案の定、池袋駅東口を出たところの待ち合わせ場所でバンドメンバーたちと顔を合わせたところ大騒ぎになった。
「きゃああああああああ真琴さん! 真琴さん! なんですかこれどうしたんですか、化粧品のCMが決まったとかですかっ?」
「想像を超えてきた。さすがお姉さん。予定を変更して先にプリクラ撮りにいくべき」
「こんなガーリーなのもあったんだぁ、袖のふわふわ可愛い!」
「先輩、ちょっ、い、息ができなくなりそうで、……このまま動画撮りましょう、次のMVに使いましょう、絶対! ムサオ復活でも全然いいです!」
ただでさえクソ暑いのに熱っぽい声をあげないでほしい。公共の場だし。
「電車内でまわりからめっちゃ見られてた気がするんだけど、自意識過剰かな……。このかっこう変じゃない?」
僕は自分の服装を見下ろし、まわりを窺って小声でみんなに訊ねる。
「ぜんぜん変じゃないし自意識過剰でもない。実際見られてる」
凛子がまったくフォローになっていないことを言いやがる。
「似合ってるから見られてるんだよ真琴ちゃん」
「先輩ナンパされるかもしれません。追い払ってくれる男の人がいればいいんですけど。あ、先輩がいましたね。あれ? でもナンパされるのは先輩で……ええと……」
伽耶はちょっと落ち着いてくれ。こっちも落ち着きたいんだから。
凛子はスマホで僕を何度も撮影した後で画像を見せてくれる。
あらためて全身像を客観的な視点から眺めると、これはもう、なんというか、頭痛がするほどに甘ったるいかっこうだった。明るめの青のオフショルダーブラウスはさらっとした手触りのシフォン素材で、袖には二重のフリルがあしらってある。丈が異様に短く、へそが出ているので涼しいことは涼しいが腹のあたりが気になってしょうがない。ツイードのスカートもまた膝上20センチくらいで、一応インナーに短いスパッツを合わせているものの脚がほとんど露出していて気が気ではない。化粧もこうして陽光の下であらためて見ると今日はずいぶんしっかり色々塗ってある気がする。
少女たちに目を移す。
凛子は白いノースリーブのワンピースに麦藁帽という寸分の隙も無いノスタルジックサマーなスタイル。詩月は薄いピンクのキャミソールの上にレースブラウスをふわりと羽織った涼しげなコーデ。朱音はアシンメトリーで右肩だけ出したオーバーサイズのTシャツにホットパンツを合わせていて素脚のラインがよく映えている。伽耶はクリーム色の半袖ニットとピンクブラウンのハイウエストプリーツミニという王道。四者四様の健康美がまぶしく、その中に混じっている女装男である僕としては悪目立ちするのではないかと心配でしょうがなかった。女装が板についてしまうのは嫌だったけれど、今このときはちゃんと女に化けられていますようにと祈ってしまう矛盾した気持ちだ。
そんな僕の複雑な胸中を知ってか知らずか、朱音が「先にご飯食べようか!」と駅構内のカフェレストランを指差した。
店内は冷房が効いていて、テーブル席なのでまわりからの視線も遮られ、僕はようやく一息つける。
しかし、注文を終えると凛子がまたも僕をスマホで撮りまくり始めたので心底落ち着くというわけにはいかなかった。
「うん、だれとのツーショットでも絵になる。これバンドの公式サイトにあげようかと思うのだけれど黒川さんの許可が出るかどうか」
「僕の許可は」
「村瀬くんはどうせ許可出さないから訊かない方がいいでしょう」
「よくわかってるのにその結論はなんで出てくるんだよ!」
「女にしか見えないから村瀬くんだとはバレないはず。だってこれが男の子だなんて村瀬くんも信じられないでしょう?」
「信じられるよ! 僕だし! 世界中の人間がみんな信じなくても僕だけは信じるよ!」
「先輩、せりふかっこよすぎます……文脈は変ですけど……」
伽耶は感嘆するんだか突っ込むんだかはっきりしてくれ。目を潤ませてちくちく刺すな。
「その健気で一途な信じる心はどこから湧いてくるの?」と凛子。
「染色体からだよッ」
ああ、ついに僕も自分から染色体の話を出してしまった。しかしここに至ってはもはや僕が頼れるのは染色体という生物学的事実しかなかった。他のすべては敵だ。
「染色体といえば、結婚情報誌『ゼクシィ』はもともと『XY』という綴りで、染色体が名前の由来だそうですね」
「詩月、その豆知識なんで今いきなり出してきたの……?」
「結婚の話、してましたよね?」
「してないよ! どこの妖精の国行ってたんだよ!」
「真琴さんが婚姻届の『夫になる人』と『妻になる人』のどちらに名前を記入するかという点を話し合っていましたよね?」
「話し合ってねえよ! ていうか話し合うまでもなく『夫になる人』に書くよ!」
「やりました、みなさん、真琴さんの言質を取りましたよ! 『夫になる人』のところにサインするそうです! 聴きましたよねっ?」
「しづちゃんナイスだよ!」
「さすが詩月。録音しておけばよかった」
「あ、あのっ、でも、わたし一年遅れだから、ずるいです先輩たちっ」
みんなが騒いでいる理由はよくわからなかったけれど、なにか策略に引っかけられたのではないかという疑念は強く胸に湧き起こった。
しかしそのときちょうど注文した料理が全員分やってきたので、話題は中断された。
「先輩、アルバム作るって話はどうなったんですか。ほんとにやるんですか?」
良い具合に伽耶が話の向きを変えてくれる。
「黒川さんには相談してみた。賛成してくれたし、会社でも音源製作はそのうちサポートできるようにしたいらしいんだけど、今はとにかくイベントと配信のサポートで手一杯だって」
「いきなり所属アーティスト増えたもんね」
「広告塔をやった甲斐があった。出演料もう少し上げてもらいましょう」



