楽園ノイズ7
1 僕たちの夏コレクション⑥
黒川さんがこの春に設立した『ムーン・エコー・ワークス』は、インディーズで活動しているミュージシャンから動画作成やイベント開催やウェブ配信といった仕事を請け負う会社だ。僕らPNOが支援先第一号で、パブリシティを兼ねてライヴをやりまくった。とくに六月末の二会場同時出演がずいぶん話題になったらしく、この一ヶ月で会社への申し込みが急増して嬉しい人手不足に陥ったのだとか。
「でも基本はインディーズ支援の会社だから、レコーディングでなにかお願いするっていってもあまり頼れないかなあ。お金すごくかかるんでしょ? 伽耶ちゃんはお父さんとかお兄さんがプロだからそのへん詳しい?」
朱音に訊かれて伽耶は唇に指をあてて思い出そうとする。
「一応、聞いたことはあります。歌謡曲や演歌ですからちょっと事情はちがうかもしれませんけど。兄なんてすごく録るのが早いので有名らしいですし。でもフルアルバムともなると制作費だけでも一千万とか。先輩の曲は凝ったアレンジばっかりだからもっとかかるかも」
「お金ならあります!」と詩月が意気込む。
「それ詩月のお金じゃなくてご両親のお金でしょ」と僕はすぐに遮った。
「そ、そうですけど、……ええと、どこにいちばんお金がかかるんでしょうか」
「スタジオレンタル料。ちゃんとしたレコーディングスタジオって一時間で何万円もかかるんだよ。有名どころだと素人はそもそも借りられないし」
「海辺のスタジオ、録音機器も一応入れてあるそうですけど、それじゃだめですよね……」
「良いスタジオは機器とか建物の構造も段違いですけどなによりスタッフが優秀だと父が常々言ってます」
伽耶にそう言われて詩月は肩を落とす。よかった、お祖父さんに掛け合ってスタッフも用意してもらう、とか言い出さなくて。
「いきなりアルバムは無理でもシングルなら出せるでしょう。そこで稼いで次の曲の資金に充てて、を繰り返せばいい」
金にシビアな凛子が現実的なことを言い出す。
「幸いわたしたちは音楽面以外でも売りがたくさんある。ジャケットの写真は水着にしましょう。今日は気合いを入れて選ばないと」
「ちょっと待って待って」僕は口の中のサンドウィッチを飲み下して先を続けた。「いくら売りたいからって、そういう、女の子を売り物にするようなのはどうかと――」
「女を売り物にするなんて言ってないでしょう。村瀬くんの水着写真を使うんだから」
「んなもんだれが買うんだよッ?」
「はい! 私買います! 十万枚買います! オリコン初登場一位ですね!」
「話がややこしくなるから詩月はちょっと黙ってて……」
自分で出したレコードを自分で買ってなにが嬉しいんだ。中間業者が儲かるだけだぞ。
「いや、あのね、一応真面目に釘刺しとくけど、いくら僕だって水着で女装は絶対に無理だからね? どんなの着ても一発で男だってバレバレだから」
「女装なんて一言もいっていないのに男性用水着という発想が最初からないなんてさすが村瀬くん」
「あ――くそっ、またはめられたッ」
「真琴ちゃん、凛ちゃんのこういうのに毎回引っかかってあげるの優しいよね」
「真琴さんのそういうところが大好きです! 今回は凛子さんより先に言えましたからっ」
「あの、でも、パレオとかショールを合わせれば村瀬先輩でも十分いけるんじゃないかと思うんです、わたしが去年モデルやった水着の中によさそうなのが何点かあったから」
だれひとりフォローしてくれなかった。
こんな和気藹々とした会食の後でデパートの水着売り場に乗り込むものだから、僕は死人に等しい憔悴っぷりだった。
売り場から売り場へと連れ回されながら、女たちのはしゃいだ会話を遠く聞く。
「凛ちゃんセパレートにするの? あたしワンピースかな、背中にレースとか入ってるやつ。ワイヤー入りは盛れるけどちょっとなあ」
「いくつかサイトで候補絞ってきた。肩までのフリルつきのやつだと盛りが気づかれない」
「凛子先輩フリルトップすごい似合いそうです! ギンガムチェックのとか」
「私は選択肢が少ないのでとにかく試着してみないとですね……」
「しづちゃんモノキニとかいけそう」
「あまり攻めすぎると逆効果かもしれませんし」
楽しそうでけっこうなことだった。僕は邪魔しないように通路で待っていよう、と思っていても朱音と詩月に両手を引っぱられて売り場に引きずり込まれる。
「じゃあ真琴ちゃん、三つ試着するからどれがいちばんいいか決めてね」
「……いや、自分で決めなよ。いちいち試着室から出てくるの? それってどうなの」
「真琴ちゃんもいっしょに試着室入るってこと?」
「性犯罪だよ!」ついにこの凛子の専売特許ワードまで自分で口にしてしまった。
「決めてもらうために真琴ちゃんも連れてきたんだからね? じゃ、宮藤朱音、一着目、いきまーす!」
朱音は勇ましく試着室に乗り込んで後ろ手にカーテンを閉めた。伽耶なんて拍手までしているので僕としては店に迷惑じゃないかと心配でしょうがなかった。店員さんの微笑ましそうな視線が痛い。
「どうかなっ? お日さまビキニ!」
太陽か向日葵を思わせる柄の入ったオレンジ色のブラジリアンビキニだった。
僕は目をそらしつつ「……うん、いいんじゃないかな」と気のない返事をする。
「真琴さん、ちゃんと見て評価してください! まだ一人目の一着目ですよ!」
「これ全員分やるの……?」
「もちろんです、バンドリーダーなんですから!」
リーダーを辞して家にこもって曲作りだけやりたくなってきた。
「村瀬くんはもっと喜ぶべき。こんなに麗しいわたしたちの水着を全員分選ぶなんて機会そうそうないのに」
「麗しいのは素晴らしいことだと思うけどさ? おもてで、男が女の子の水着見てはしゃぐのは恥ずかしいよ」
「今は女の子にしか見えないんだから恥ずかしくないはず。わたしたちもお互いの水着を見てはしゃいでるでしょう? それと同じだから」
「え? ……うん。……ええ?」
煙に巻かれている間に「じゃあ二着目ね!」と朱音はカーテンを閉めた。
二着目はベージュのワンピースタイプ。腋の深いスリットがセクシーで、猫を思わせるしなやかな朱音のボディラインによく合っている。
「うん、……いいと思う」
僕の貧相な語彙には水着をほめる言葉なんて三つくらいしかないのだった。
三着目は腰や二の腕のストラップラインが印象的なネイヴィブルーのコンビネゾン。三つのうちではいちばん朱音らしさを感じさせる快活なデザインだった。
「どれがいちばんよかった? 真琴ちゃんが気に入ったのを買うから」
だからなぜ僕に決めさせるんだ。バンドメンバーどころか店員や店内の他の客までこっちに注目してるし。



