第一幕 コープス・リバイバー 3 ①

『──わおーん! こんにちは、わおんです!』

『今日も見に来てくれてありがとう。早速ですが、皆さん、お気づきになったでしょうか? なんと、わたしの衣装が本日から新しくなりました。はい、新衣装です! ひゅーひゅー!』

『というわけでですね、この新しい衣装なんですけど、前のやつより、ちょっと露出? が、増えてしまって恥ずかしいんですよね。けっこう照れてます。まあ、夏ですからね!』

『いや、実を言うと前の衣装は、胸回りとか少しきつくなってしまいまして、油断するとはじけ飛ぶんじゃないかって……違っ、違うんです! 太ってないから! 成長しただけだから!』


 †


 じようばんせんの鉄橋を使って徒歩でがわを横断し、封鎖された隔離地帯へと侵入する。

 かなまち駅の跡地に近い私立大学の廃校舎。そこがヤヒロのねぐらだった。

 大殺戮ジエイノサイドのために日本に軍を派遣した国家は三十カ国以上。そのうち八カ国は現在も駐留を続けて、日本全土を分割統治している。

 ただし被占領民となるべき日本人が死に絶えていることもあり、人口密度は極端に低い。

 占領軍が駐留しているのは、主要な港湾や大都市だけ。日本列島の大半は無政府状態のまま放置され、国際的なテロリストや犯罪者たちがばつする無法地帯と化していた。

 だが、そんな犯罪者たちですら、滅多に足を踏み入れようとしない場所がある。

 それが二十三区──過去に東京都区部と呼ばれていた地域エリアだった。

 日本の政治経済の中心地。かつての首都が隔離地帯に指定された理由は簡単で、この付近のもうじゆう出現率が、ほかと比べて桁外れに高いせいである。

 しかもどうもうで危険な個体が多く、その割合は都心部に近づくにつれて高くなる。

 大殺戮ジエイノサイドから四年がった今も、都内の建物がそのままの姿で放置され、高価な美術品や工芸品の多くが手つかずで残っているのはそのせいだ。

 いまだ人の支配が及ばぬ、もうじゆうせいそくけん

 だからこそ、ヤヒロはそこで寝泊まりする。二十三区内にいる限り、強盗に襲われることも、空き巣に狙われることもないからだ。

 もうじゆうに襲われたなら殺せばいい。だが、相手が人間の場合はそんな単純には割り切れない。

 殺人を禁じていた国家は滅びた。ヤヒロの罪をとがめる人々ももういない。それでも、殺人という一線を越えてしまったら、自分が日本人だという最後のどころを失ってしまう気がする。

 もちろん、そんなものはただの感傷だ。自己満足でしかないことはわかっている。

 だが、死ぬことができない自分が他人の命を奪うのは、フェアではない、という思いもある。

 だから、ヤヒロは人を殺さない。

 自分が日本人だということを、そして人間だったことを忘れないために。


「まあ、厳密に言ったら、住居不法侵入や窃盗も全部アウトなんだろうけど」


 無人の大学構内に勝手に入りこみながら、それくらいは大目に見てくれよ──と、ヤヒロは誰にともなくつぶやいた。


 だだっ広い空き教室に一人でいるのは落ち着かないので、ヤヒロは、主に大学院生用の狭い研究室を使っていた。ベッド代わりのソファに荷物を投げ出し、備蓄用の缶詰とチョコレート、ミネラルウォーターだけの質素な夕食を用意する。

 エドに頼めば肉でも魚でも、それどころか焼きたてのパンですら取り寄せてくれるだろうが、そんな馬鹿げたことを試してみる気にはなれなかった。いったいどれだけぼったくられるのか、わかったものではないからだ。

 ヤヒロが大学のキャンパスを拠点にしているのは、建物に設置された太陽光発電システムが生きていたからだ。太陽光パネルの大部分は破損して性能は低下しているが、それでもヤヒロ一人では使い切れないほどの電力が手に入る。

 昼間のうちに充電を終えていた改造スマホを起動して、ヤヒロは軍用のデジタル通信網に割りこんだ。かつてのヤヒロは、ハッキングのやり方など知らなかったが、一人きりでこの街に取り残されて、勉強する時間はたっぷりあった。専用のツールを使って回線に侵入。北関東に駐留しているカナダ軍のサーバーを経由して、海外の動画配信サービスに接続する。

 目当てのチャンネルはすぐに見つかった。

 ヤヒロの改造スマホに映ったのは、獣の耳がついたウィッグをかぶった美しい少女の顔だった。


『──わおーん! こんばんは、わおんです!』

『今夜も見に来てくれてありがとう。夜になってようやく涼しくなりましたかねー……てか、セミ、うっさい! 大丈夫ですか、わおんの声、聞こえてますか? もしもーし!』


 やたらとテンションの高いお約束の挨拶が聞こえてきて、ヤヒロは、ふっ、と表情を緩める。

 銀色の髪とみどりの瞳。アイドルやアニメキャラを連想させる奇抜な衣装。わおんと名乗るこの少女は、ネット上に自作の動画を公開しているアマチュアストリーマーの一人だった。

 動画の内容は、他愛たわいもない雑談が中心だ。

 あとは調理風景の実況や、たまに楽器の弾き語りとダンスを披露することもある。

 もっとも彼女の動画の内容は、さほど面白いものではない。

 本人の顔がいいこと以外、特筆すべき点はなにもない。

 会話の内容はありふれた一般人のノリだし、料理の腕もせいぜい人並み。運動神経がいいのかダンスは意外にいが、歌唱力は壊滅的である。

 当然、動画の再生数も伸びない。三桁いけばまだいいほうで、ほとんどの動画は数十回しか再生されずに終わってしまう。

 それでもヤヒロにとって彼女の動画は、唯一無二の特別なものだった。

 なぜなら彼女の配信は、からだ。

 わおんは日本人。もしくは日本に縁の深い人物だ。

 彼女は死に絶えた日本人のために、滅びてしまった国の言葉で語りかけている。

 もちろん、そんなものは単なるキャラ作りなのかもしれない。その可能性のほうがはるかに高い。わおんなどという人物は実在せず、誰かが悪意をもって日本人をかたっているだけなのかもしれない。だが、それでも構わない、とヤヒロは思う。

 彼女が聞かせてくれるなつかしい言葉と、自分以外の日本人が生き残っているという幻想に、ヤヒロが救われてきたのは事実なのだから。


『さて、今夜はわおんに届いた皆様からの質問にお答えしたいと思います。最初のメッセージは、この方! 東京都のやひろんさん! いつもありがとうございます!』

「っ!」


 配信者が読み上げた名前を聞いて、ヤヒロは小さくガッツポーズをした。やひろんとはヤヒロのハンドルネームだ。ヤヒロが送ったメッセージを、わおんが取り上げてくれたのだ。


『やひろんさん、東京にお住まいということで、これって本当なんですかね? わおんも東京在住っていう設定なんですけど、ご近所さんですね。もし会えたらうれしいな……というわけで、本日最初の質問ですが──』


 改造スマホに顔を寄せ、ヤヒロはるように配信者の少女を凝視する。

 しかしヤヒロは、わおんの次の言葉を聞くことはできなかった。スピーカーから流れる彼女の声を、唐突に鳴り響いた銃声がかき消したからだ。


 

「……は?」


 

 一瞬、あつにとられたように顔を上げ、次の瞬間、ヤヒロは反射的にナイフをひっつかんで部屋を飛び出した。銃声は今も鳴り続けている。聞こえてくるのは中庭の方角だ。


「なんで、こんなところに人間が……!?」


 当然だが、もうじゆうは銃器を使わない。この大学構内に人間が入りこんでいるのだ。二十三区に不用意に迷いこんだ誰かが、もうじゆうに襲われているのだとヤヒロは当然のように考えた。

 もちろん、封鎖された隔離地帯への侵入者がもうじゆうに襲われるのはごうとくで、ヤヒロが助ける理由はない。だが、さすがに自分のねぐらの目と鼻の先で死なれてはかなわない。血のにおいにかれたもうじゆうたちに集まってこられても面倒だ。

 鍵の壊れた扉を蹴り開けて、ヤヒロは中庭に飛び出した。その直後、驚いて足を止める。

刊行シリーズ

虚ろなるレガリア6 楽園の果ての書影
虚ろなるレガリア5 天が破れ落ちゆくときの書影
虚ろなるレガリア4 Where Angels Fear To Treadの書影
虚ろなるレガリア3 All Hell Breaks Looseの書影
虚ろなるレガリア2 龍と蒼く深い海の間での書影
虚ろなるレガリア Corpse Reviverの書影