第一幕 コープス・リバイバー 3 ②

「うおっ!?」


 吹き飛ばされた人の身体からだが、ヤヒロの眼前を横切って壁に激突した。防弾ベストを着けた大柄な男だ。砕けた窓ガラスの破片を派手にらし、男はまみれになって地面に転がる。


「あ、ナルサワ八尋ヤヒロだ!」


 ぼうぜんと立ち尽くすヤヒロの名前を、誰かが呼んだ。

 東洋系の若い女性。ノースリーブのチャイナシャツを着た小柄な少女だ。アシンメトリーの黒髪に、華やかなオレンジ色のメッシュが入っている。

 年齢はおそらくヤヒロと同世代。十代半ばといったところだろう。二十三区で活動するには信じられないくらいの軽装で、武器らしい武器は持っていない。しかし合気道に似た奇妙な格闘技を使って、防弾ベストの男を投げ飛ばしたのは間違いなくこの少女だった。


「く……そ……!」


 防弾ベストの男が、握りしめていたSMGサブマシンガンを少女に向けた。

 オレンジ髪の少女は、銃口を見ても表情を変えない。そして男が銃の引き金を引くより早く、違う場所から銃声が聞こえた。右の手首を吹き飛ばされた男が、声にならない悲鳴を上げる。

 男を撃ったのは、オレンジ髪の少女と、まったく同じ顔をしたもう一人の少女だった。

 気まぐれな猫を連想させる大きな瞳。浮世離れした端整な顔立ち。姉妹としてもあり得ないほど、二人の容姿はよく似ていた。

 サイドの片側だけが長いアシンメトリーの髪型も、左右対称になっている以外はほぼ同じ。

 ただ髪の色だけが違っている。二人目の少女のメッシュは青だ。

 彼女たちが来ているチャイナシャツも、それぞれの髪と同じ色だった。

 青髪の少女が左右の手に持った拳銃を、それぞれ一度ずつ発砲する。

 照準を合わせる時間があったとは思えなかったが、彼女の狙いは精確だった。眉間を撃ち抜かれた男が二人、銃を持ったまま倒れてそのまま沈黙する。


「ろーちゃん、いたよ。ナルサワ八尋ヤヒロ


 オレンジ髪の少女が、同じ顔の少女に手を振った。

 ろーちゃんと呼ばれた青髪の少女が、ふともものホルスターに拳銃を戻しながら近づいてくる。ヤヒロに対する敵意はない、という意思表示らしい。


ナルサワ八尋ヤヒロナルサワ八尋ヤヒロだよね? 間違いない? ふーん、若いね……目つきは悪いけど、まあまあわいい顔してるかな。それにちょっと面白い匂いがする」


 オレンジ色の髪の少女が、ヤヒロを正面から見つめてすんすんと鼻を鳴らす。

 ヤヒロはナイフをいつでも抜けるように握ったまま、無言で彼女を見返した。

 頭の中で必死に考える。なぜ彼女たちはここにいるのか。なぜヤヒロの名前を知っているのか。彼女たちの目的はなんなのか。そして彼女たちは、敵か、味方か──


「突然押しかけてきたことは謝罪します、ナルサワ八尋ヤヒロ


 青髪の少女が静かに言った。

 二人の顔立ちは同じだが、それぞれのまなしから受ける印象は正反対だ。好奇心に満ちた子猫のようなオレンジ髪の少女に対して、青髪の少女の瞳はまったくなんの感情も映していない。


「押しかけてきた……っていうか、なんなんだ、こいつら?」

「どこかの民間軍事会社に雇われたオペレーターでしょう。私たちをけてきたようです。あなたとの接触を阻止しようとしたのでしょう」

「民間軍事会社の連中が、どうして……」


 ヤヒロが顔をしかめてかえす。脳裏をよぎったのは、昼間のエドの警告だった。

 民間軍事会社が回収屋について調べている──彼の言葉が、その日のうちに的中したのは、単なる偶然とは思えない。あの男は、こうなることを最初から知っていたのではないかと疑いたくなってしまう。


「それは……」


 ヤヒロの質問に答えようとした青髪の少女が、不意に目を細めて拳銃を引き抜いた。

 そして彼女は、倒れていた男に銃口を向ける。最初にオレンジ髪の少女に投げ飛ばされた、防弾ベストの男だ。


ナルサワ……八尋ヤヒロォォォ……!」


 血走った目でヤヒロをにらんで、男がたけびを上げた。彼の筋肉が異様な勢いで盛り上がり、内側から防弾ベストをはじばす。


「まだ意識がありましたか」


 青髪の少女が引き金を引いて、男の眉間に容赦なく銃弾を撃ちこんだ。機械のように精確な射撃。貫通力に優れた九ミリ弾が男の頭蓋を貫き、脳に致命的なダメージを与える──いな、与えたはずだった。


「オォォォォォォォォォォ!」


 しかし男の動きは止まらなかった。流れ出した自らの血で全身を染めながら、歓喜の表情とともにほうこうする。そうぼうらんらんと輝かせて、男はヤヒロをにらんでいる。


「なんだ……こいつは……」


 本能的な恐怖を覚えて、ヤヒロはナイフを抜いた。今の男の姿には、もうじゆうと同種の──あるいはそれ以上の生理的なけんを感じる。


エフメド──!」


 青髪の少女が、男の首筋に目を留めた。左のけいどうみやく近くに突き刺さっていたのは、注射器に似た直径五センチほどのシリンダーだ。

 シリンダー内に封入されていたのは、ワインのような深紅の液体だった。そのほとんどはすでに男の体内に打ちこまれ、彼に異様なまでの生命力を与えている。


「ろーちゃん、下がって! ファフニール兵だ!」


 オレンジ髪の少女が、タン、と地面を蹴って跳躍した。小柄な身体からだを器用に使って男の腕をからり、そのまま全体重をかけてあり得ない方向へとねじ曲げる。

 不快な音が鳴り響き、男の左腕がへし折れた。

 しかし男は、その痛みをにもかけず、折れた腕でオレンジ髪の少女を投げ飛ばす。


「ジュリ──!?」


 青髪の少女が悲鳴を上げた。


「びっくりしたあ……!」


 オレンジ髪の少女は猫のように空中で回転して壁に着地。何事もなかったように地上に降り立ち、まみれの男から距離を取る。

 男は少女には見向きもせずに、折られたはずの左腕を頭上へと突き上げた。骨が砕けるような音が何度も鳴り響き、男の腕がいびつな形に変形していく。硬質のうろこに覆われ、ナイフのようなトゲを生やしたその姿は、巨大なちゆうるいまえあしを連想させた。


「こいつはすげえ……すげえ力だ……! この力があればもうじゆうだって殺せる……!」


 かぎづめの生えた指で拳を握り、男が歯をきだして笑った。そして彼は突然、殺意に満ちた視線をヤヒロに向ける。


「なんだ、おまえ……そのにおい……!」


 しやがれた聞き取りにくい声で低くうなると、男はヤヒロに向かって跳躍した。人間の筋力の限界を超えたその動きに、ヤヒロの反応が追いつかない。

 男が突き出した左のかぎづめが、ヤヒロの左胸を大きく斬り裂いた。しかし飛び散ったヤヒロの血を浴びて、もんの声を上げたのは男のほうだった。


「そうか、おまえがラザルスか……ラザルスゥゥゥゥゥ──ッ……!」

「ぐっ!?」


 男のかぎづめが再びヤヒロを襲う。

 ヤヒロはその攻撃を素手で受け止めた。自分の腕を貫いたかぎづめを、筋肉の力で固定して、男のそれ以上の動きを封じる。そして自らの血にれたナイフを、男の肩へと突き立てた。


「ゴオオォォォォォォォッ!」


 男が獣めいた悲鳴を吐き出した。ヤヒロの腕に突き刺さったままのかぎづめを、無理やり引き抜こうと肥大化した左腕を振り回す。

 だが、その結末はヤヒロにとっても予想外のものだった。枯れ木が折れるような乾いた音を残して、男の左腕がボロリと肩からもげたのだ。


「なっ……!?」


 ヤヒロと男が、同時に驚きの声を漏らした。

 互いに引っ張り合っていた反動で、二人はそのまま後方へと倒れる。ヤヒロは地面を転がりながら慌てて体勢を立て直し、反射的にナイフを構えた。そしてきようがくに息をむ。


「この程度……この程度……デェェェェェッ!」


 男の身体からだが溶けていた。もともと大柄だった肉体は、本来の姿の三倍以上に膨れ上がり、んだようなドス黒い色に変色している。

 細胞の無秩序な増殖を制御できない彼の姿は、もはや人間の形を保っていない。限界を超えた風船が破裂するように、全身から腐汁をぶちまけて男の身体からだはじんだ。

 死、というよりも消滅という言葉が相応ふさわしく思える、壮絶なさいだった。

 ヤヒロは身動きもできないまま、それをぼうぜんと眺めていた。

 はいきよ化した大学構内に、再び静寂が戻ってくる。

 背後に人の気配を感じて、ヤヒロはゆっくりと息を吐いた。こぼれしたナイフをさやに戻して立ち上がる。

 振り返ると二人の少女と目が合った。並べて見比べても本当によく似た二人だ。


「説明してくれるんだろうな?」


 いらちをころした口調で、ヤヒロがく。


「ええ、もちろん。私たちはそのために来たのですから」


 青髪の少女はそう言って、口元だけの美しい笑みを浮かべた。

刊行シリーズ

虚ろなるレガリア6 楽園の果ての書影
虚ろなるレガリア5 天が破れ落ちゆくときの書影
虚ろなるレガリア4 Where Angels Fear To Treadの書影
虚ろなるレガリア3 All Hell Breaks Looseの書影
虚ろなるレガリア2 龍と蒼く深い海の間での書影
虚ろなるレガリア Corpse Reviverの書影