第一幕 コープス・リバイバー 5 ①

しいねえ、これ。お酒と合いそう。ワインはないの?」


 張り詰めた空気を破ったのは、ジュリだった。やきとりを口に頰張ったまま、彼女はヤヒロに向かってマイペースでいてくる。


「ねえよ、そんなもん。ていうか、おまえ、未成年だろ。水でも飲んでろ」


 ヤヒロがミネラルウォーターのボトルをジュリに放った。非常用として大学に備蓄されていた飲料水だ。ヤヒロ一人ではどうやっても飲みきれないほど今も大量に余っている。

 ジュリは文句も言わずにそれを受け取って、なぜか得意げに胸を張った。


「ぶっぶー、残念でした。あたしの国では十六歳から飲酒可能だもんね」

「おまえの国ってどこだよ?」

「どこだっけ、ろーちゃん?」

「ベルギーです。便宜上、国籍を置いているだけですが」


 ロゼが淡々と説明した。常に無表情なロゼだが、姉を見るときのまなしは優しい。ジュリの間抜けな質問にも、不満な顔ひとつせずに丁寧に答えている。


「それで、不死者ラザルスってのは、どういう意味なんだ?」


 緊張感のげ落ちた表情で、ヤヒロはロゼにき直した。


「死から復活した者の比喩として、我々が便宜的に使っている呼称です。特に意味はありません。ヨハネによる福音書──新約聖書を読んだことは?」

「ねえよ」

「あたしもない」


 ロゼにかれて、ヤヒロとジュリが首を振る。

 まさかの姉の発言に、ロゼは一瞬、っぱいものをんだような表情を浮かべた。それから彼女は、ふっ、と愉快そうに息を漏らして、


「自分が不死身ということは否定しないのですね」

「知っててここに来たんだろ」


 ヤヒロが渋面で言い返す。理由はわからないが、ロゼはヤヒロの不死性を確信している。今さら取り繕ったところで無駄だろう、と判断したのだ。


「残念だなー。否定してくれたら、今ここできみの喉をき切って、それでも死なないか確かめられたのに」


 やきとりをしそうに頰張ったジュリが、握っていたフォークの先端を、不意にヤヒロに向けた。その瞬間、ヤヒロの背筋を冷たい感触が走り抜けた。

 ジュリが完全に動作を終えるまで、ヤヒロはまったく反応できなかった。

 もしも彼女が本気だったら、ヤヒロはすでに一度死んでいる。だが、それをあえて悟らせたということは、ジュリは、少なくとも今はヤヒロと敵対するつもりはないのだろう。

 勝手にそう解釈して、ヤヒロはロゼに質問を続ける。


「俺の身体からだのことを誰に聞いた?」

「〝ようまさかね〟の回収任務──あなたを監視していたようへいは、私たちの部下でした」


 ロゼが抑揚の乏しい口調で言った。

 ヤヒロは、動揺を隠しきれずに小さくうめいた。

 見張りとして勝手についてきた二人のようへいは、日本人をあからさまに見下したいけ好かない連中だったが、それでも彼らを死なせてしまったことに、ヤヒロは罪悪感をおぼえていたのだ。


「今日の仕事の依頼主はあんたたちだったのか……」

「彼らに持たせた無人機ドローンが、あなたともうじゆうの戦闘の様子をとらえていました。即死級の傷を負ったあなたの肉体が、ごく短時間で再生する姿も」


 ロゼは、ヤヒロの反応を興味深そうに観察している。

 一方のジュリは、食べ終えてしまったやきとりの缶詰を名残惜しそうに眺めながら、


「ヤヒロに会うのを楽しみにしてたんだよね。どんなヤバい現場からでも帰ってくる呪われた日本人の回収屋がいるってうわさを聞いたから」

「その呪われた日本人に、なにを回収させるつもりだよ?」


 ヤヒロが無愛想にかえした。ロゼの返事は短かった。


「クシナダを」

「……クシナダ?」

「古事記を読んだことは?」

「義務教育の途中で国を滅ぼされた人間に、ハイレベルな教養を期待しないでくれ」


 ヤヒロはふて腐れたように目をらす。聖書ならともかく、日本の文献についての知識でも外国人の彼女に負けていることには、若干の屈辱を覚えずにはいられない。

 大殺戮ジエイノサイドが始まったのは四年前。ヤヒロが中学一年生のときだ。

 それ以来、ヤヒロはたった一人で取り残されて生きてきた。当然、まともな教育など望むべくもない。焼け残った書籍などの自習用の教材には事欠かなかったが、語学や電気工作などの実用的な技術を習得するのが最優先で、歴史書にまで手を伸ばす余裕は皆無だった。


「だけど、その名前は知ってる。日本神話の女神だよな」

「そうですね。八岐大蛇やまたのおろち──八つの頭を持つ龍エイト・ヘツデイツド・ドラゴンいけにえに選ばれたの少女です」

「龍のいけにえ……か……」


 ヤヒロが無自覚に頰をこわらせる。

 ロゼは斜めに切りそろえた前髪を揺らして、意味ありげにうなずいた。


「二十三区が隔離地帯に指定されている理由は知っていますね?」

もうじゆうがうろついてるからだろ」

「ええ。二十三区内のもうじゆう出現率は、それ以外のエリアの九十倍以上。同じく出現率が高いとされるキョウトやナラと比較しても十倍近い数値です」

「おまけにヤバい個体が多いんだよね。たった一匹のもうじゆう相手に、正規軍の装甲部隊が壊滅させられた、なんて話も昔はよくあったし」


 ジュリがにこやかにほほみながら物騒な事実を指摘する。

 昔──といっても、それはほんの三、四年前の出来事だ。かつての首都である東京を制圧するために、各国の主力部隊は我先にと二十三区に殺到し、そして多大な被害を出した。

 その結果、二十三区の区境は封鎖され、どの勢力にも属さない隔離地帯に指定されたのだ。


「あんたら、それを知ってて二十三区ここに入ってきたのか。いい度胸してるな」


 ヤヒロが、あきれたようにためいきをついた。小柄な少女二人が護衛もつけずに、もうじゆうのひしめく二十三区に踏みこんでくるなど、およそ正気の沙汰ではない。

 しかしジュリは、なぜかうれしそうに声を弾ませて、


「やったね、ろーちゃん! 褒められたよ!」

「褒めてねえよ!」

「たしかに二十三区の末端にあるこの付近でも、よその地域の基準に照らせば十分に危険な場所ですが、私とジュリなら問題なく切り抜けられると判断しました」


 皮肉を受け流されて顔をしかめるヤヒロに、ロゼが冷静に主張する。


「それでも私たちだけで、ここよりも奥に侵入するつもりはありません。二十三区の中心部に近づくほど、出現するもうじゆうは危険度を増していく。そうですね?」

「ああ」


 ヤヒロは素っ気なくうなずいた。

 同じ二十三区内でも、地区に近い旧・すぎなみ区や旧・ねり区、あるいはがわ県に面した旧・がや区や旧・おお区は、もうじゆうの出現率がやや低い。緩衝地帯と呼ばれているさいたま県南部や県西部の、せいぜい十五、六倍程度といったところだ。

 一方、都心部近くになると、もうじゆう出現率は百倍以上に跳ね上がる。

 ヤヒロのような回収屋でも、やまのてせんの内側には滅多に侵入しようとしない。どれだけ割のいい依頼があっても、だ。東京駅を見て生きて帰った者はいない、というのは誇張されたうわさばなしではなく、限りなく真実に近かった。ヤヒロはそれをよく知っている。


「あなたに会いに来たのはそれが理由です、ナルサワ八尋ヤヒロ

「は?」

「旧・ぶんきよう区、東京ドーム跡地周辺に、組織的な社会生活を営むもうじゆうの集団が確認されました。複数の異なる種族で群れを作り、支配地域を広げているようです」

もうじゆうが……群れを作った? 種類の違うもうじゆう同士が一緒に暮らしてるっていうのか?」


 あり得ないだろ、とヤヒロはぼうぜんと首を振った。

 もうじゆうとは、それぞれの個体が自然界の法則から外れた、分類不能の怪物たちだ。

刊行シリーズ

虚ろなるレガリア6 楽園の果ての書影
虚ろなるレガリア5 天が破れ落ちゆくときの書影
虚ろなるレガリア4 Where Angels Fear To Treadの書影
虚ろなるレガリア3 All Hell Breaks Looseの書影
虚ろなるレガリア2 龍と蒼く深い海の間での書影
虚ろなるレガリア Corpse Reviverの書影