第一章 あるいは、僕らの現代的自我 ①

シチュエーション:始業式前の待機時間

キャラクターパターン1:軽口のたたけるクラスメイト


「──えー、今年もと同じクラス!?」

「何だよどう。またイケメンと一緒でうれしいだろ?」

「はいはい言ってな! そっちこそ、わたしといられてうきうきしてるんじゃない?」

「……ああ。実は、そうなんだ。今もどうといるだけで……胸が、苦しくて……」

「やっぱり! はぁ……かわいいって罪なのね。また一人男子を不幸にしてしまったわ……」

「おう。だから慰謝料がわりにジュースおごってくんね?」

「やーだよ! 心の傷は自分で癒やしな!」



シチュエーション:教室に向かう廊下

キャラクターパターン2:聞き分けのいい生徒


「──うわ、先生それ重そうっすね……」

「そうなの。年度最初は配布物が多くって……」

「じゃあ、そっち俺が持ちますよ」

「いいの? 結構重いわよ?」

「ええ。もらいますね……ぃしょっと。おお、マジで重いっすね。ちなみにこれ、教室ついたらすぐ配っちゃっていいすか?」

「ええ、大丈夫よ。本当に助かるわ。ありがとうね」

「いえいえーいいんですって。その代わり、今年も内申甘めにお願いしますよ!」

「ダメよそれは、ちゃんとそこは、平等につけさせてもらいます!」

「えー! 厳しいなー!」



シチュエーション:クラスメイトの集まった教室で

キャラクターパターン3:はじめて同じクラスになった話しやすい男


「……、だっけ? お前、あの芸人に似てね? あれ、マンチカンズのかしわ

「は!? いやいやどこがだよ! 似てねーだろ!」

「すげえ天然っぽいところとか顔とか。うわやっぱ超似てる!」

「天然じゃねーし! 顔も全然違うだろー!」

「マジ受けんだけど。お前今日からかしわって呼ぶわ!」

「……だからやめろって! 定着するだろうがー!」



 ──帰りのホームルームが終わる頃には、手持ちのキャラを一通り演じ終わっていた。


「それでは、今日はここまでですね」


 一年次に続いて担任となった先生の挨拶で、二年生一学期の初日が終了となる。


「明日からは通常の授業がはじまりますから、忘れ物などないように気を付けてください。それでは、さようなら」


 さようなら、という輪唱めいたクラスメイトたちの返事。

 次いで椅子や机ががたがた鳴りはじめるのに紛れ込ませるようにして、僕はたこ糸みたいに細い息を吐き出していた。

 ──本当に、嫌気がさしてくる。

 空気を読んで、求められている自分を察知して、その通りのキャラを作って。

 なんで僕は、こんな風に自分を偽っているんだろう。うそをつき続けているんだろう。

 考えはじめると、あっという間に思考がドツボにはまる。

 そもそも……「キャラ」って、一体何なんだ?

 生身の人間のくせに、日常生活で何を演じようっていうんだ?

 早くも指紋のベタベタついた窓越しに外に目をやると、正門辺りの桜並木がここぞとばかりに咲き誇っていた。

 教室に満ちている浮ついたざわめきと、隣のクラスから聞こえてくる内容不明の歓声。

 なんだかそのすべてが──作られたものに思えてくる。

 始業式の日に桜は咲くもの。

 放課後の高校生は浮ついているもの。

 クラスで一組くらいは、大声を上げちゃってもいいかもしれない。

 誰もがそんな気持ちで──キャラを作っているんじゃないか。


「──え、気にしすぎじゃね!?」


 誰かのそんな台詞せりふが、ざわめきの中から耳に届いた。

 そうだ、気にしすぎだとも思うんだ。

 コミュニケーションを円滑に進めるため、会話を楽しいものにするため、自分を誇張したり抑え込んだりするのはある程度は仕方がない。

 けれど、度が過ぎてしまえばそれは自分に対するうそになる。相手に対するまんになる。

 そしてそのまんはときに──誰かを傷つけることも、僕はよく知っている。

 なら僕は、どんなときも揺るがない自分でありたかった。

 誰かを演じることなんてない「ひとりの自分」でありたかった──。


「──ねーねーみなさん、このあとわたしたちとお茶しに行かない?」


 その声に、僕は自分の三つ前。

 出席番号三十七番であるみなさんの席に目をやる。


「最近近くにカフェできたんだけど、ワッフルが超おいしいんだよ! ブルーベリーソースがかかってて……」

「せっかくだし、ちょっとした歓迎会って感じでどう?」

「ごめんなさい」


 みなさんは、あいわらいすることもなく首を横に振った。


「ちょっと今、そういう気分になれなくて。それに今日は、転校の手続きが少し残っているの」


 ──クラスメイトのそんな誘いにも、さらりと答えるみなさん。

 彼女は、今日一日こうだった。

 無理に笑わず声を上げず。本当に必要なときにだけ、必要な分だけ感情をあらわにする。

 決して作ることのない「ひとりの女の子」。

 そんな彼女が、にせものだらけの教室唯一の──僕の心の支えだった。


「……えーざんねーん!」

「じゃあ、また今度ね!」


 素気ない返答に言葉に詰まった女子たちも、すぐに表情を取り繕い笑顔で教室を出ていく。

 もしかしたら、二人の中でみなさんは「やりづらい子」という扱いになってしまったかもしれない。

 ただ不器用なだけなのかもしれないとも思うのだ。

 みなさんは確固たる意思があって自分を貫いているわけじゃなくて、本当にただ周囲に合わせられないだけなのかも、と。

 でも、それでもいいと思った。

 それでも僕は、その深い漆黒の瞳を、ずっと眺めていたいと思う。絹のようにたおやかな黒髪と、白桃みたいな頰に触れてみたいと思う。

 そんなことを考えていると、みなさんは席を立ち教室を出ていった。

 かばんは机に残されたままだ。言っていた通り、転校の手続きが残っているのかもしれない。

 じゃあ僕も帰ろうか。今日はどうしゆうも、どこにも寄らず帰るみたいだし……。

 なんて考えながら席を立ったところで、


「……そうだ」


 ふと思い立った。

 今日は、新年度初日なのだし、


「……部室、行っとくか──」



 部室でしばらく時間を過ごしてから。

 いざ帰ろうと昇降口に向かいはじめたところで、忘れ物に気が付いた。

 今日配られたばかりの、時間割のプリントだ。

 多分、どう辺りにラインすれば写メで送ってくれるだろうけれど、そんなことで借りを作るのもつまらない。面倒だけれど、教室で回収してから帰ろう。

 階段を半階分降りて、渡り廊下に出た。

 どこかで練習をしている、トロンボーンとチューバのロングトーン。

 不真面目なパーカッション部員が、グロッケンで「三分間クッキング」の曲を演奏している。頭の中で、キューピー人形が踊る。

 そこでふいに──もう十二時を回って、しばらくつことに気づいた。

 ずいぶんおなかも空いている。

 北校舎に入りながら、今日の昼食は何にしようと考えた。

 昨晩のカレイの煮付けが残っているだろうから、メインはそれだろうか。

 そういえば、母さんが今朝ポテトサラダを作っていた。それも冷蔵庫に入っているだろう。

 あとはインスタントのしると、冷凍のご飯をチンして、ばあちゃんが送ってきた梅干しを載せれば完成だ。

 本当はパスタか何かが食べたいけれど、共働きの親が用意してくれたんだから、ありがたくいただかないと──。

 と、家の家庭事情について考えるうちに、教室についた。

 そして、ペンキのはげかけた扉に手をかけたところで、


「──でも……ぶんだよね……」


 中から小さく声がするのに気が付いた。


「あー……うちょっと……かったかなあ……」


 か細く揺れている、女の子の声が一人分。

 どうやら、誰かがひとりごとを言っているらしい。

 戸板を隔てているせいか、声の主が誰なのかはよくわからない。

 けれど……きっと、おとなしいタイプのかしわさん、きりゆうさん、につさん辺りだろう。

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