黒髪さんが、自販機の前で財布を取り出した。部活のときにでも飲むのだろう。
俺は歩きながら、紙パックにストローを刺した。その後「あ、これ後で飲むやつだった」と思い出す。
二本目を買うか? でも、ここで戻ったら、なんか怪しいし……。
あの黒髪さん、もうどっか行ってないかな。そんな望みを懸けて、自販機のほうに振り返った。……まだいた。黒髪さんは、ちょうど硬貨を入れるところだった。
そこで俺は、あることに気づく。
彼女の左手にある月下美人のブレスレットが、忽然と消えていたのだ。今の間に、鞄にしまったのか。そう思いながら、俺は視線を下ろした。
そして黒髪さんも、購入した飲み物を拾うために視線を落とす。
『──あっ』
その声が、どっちのものだったか。
思ったより可愛らしい声だとか思ったので、あっちの声だったかもしれない。あるいは同時に発したのかもしれない。とにかく視線だけは同じものを見ていた。
黒髪さんの足下……。
月下美人のフラワーアクセが落ちていたのだ。
ブレスレットのジョイント部分が切れていた。中学校の部活の予算で買ったものだ。劣化するのは当たり前。むしろ、よく持ったものだ。
俺の気持ちは、まあ、そんな感じで冷めていた。
冷静だったというより……そうだ。冷めているというのが正しい。これまで何百というアクセを制作した。そのすべてに情熱は込めるけど、振り返ることは少なかった。
だって、アクセは消耗品だ。
一期一会の出会いであり、それが価値だ。
その本質を間違えると、商売にはならない。俺と日葵が目指すのは、唯一無二であってそうではないもの。アーティストではなく職人だ。
でも、その子には違ったのかもしれない。
「あ、噓……っ!」
黒髪さんが、慌ててアクセを拾い上げた。
レジンの表面を丁寧にハンカチで拭って、傷がないか確かめる。その動作だけで、その子がアクセを大事にしているのがわかった。
劣化して千切れた部分を触って、慌てて指を離した。尖った部分で、うっかり指の腹を刺してしまったらしい。彼女は慌てて指先をくわえて……でも、視線は壊れたアクセに注がれている。
その目が、ちょっと潤んでいた。
壊れたアクセサリーなんて、そこらへんのゴミ箱に放り込みそうなタイプに見える。それなのに、まるで世界の終わりみたいな顔で途方に暮れているのが、俺の胸に刺さった。
だから、つい声をかけてしまった。
「それ、直せるけど……」
「え?」
黒髪さんは不思議そうに俺を見上げた。
でも、俺は黒髪さんの綺麗な顔を、じっと見つめていた。……なんでだろう。俺は美人が苦手だ。ぶっちゃけ初対面の相手なら、視線すら合わせられないのに。
そして彼女は──そんな俺の胸の高鳴りを一瞬で鎮火するかのように冷たく言い放った。
「いきなり、何なの?」
うわ、きっつ……っ!
なんかその一言で、すべての雰囲気を破壊するような威圧感があった。
そりゃそうだよ。いきなり知らないやつに「そのアクセ直しましょうか?」なんて言われても不審者と思われるだけだ。学校の外でやったら、警察のお世話になるまである。
てか、直そうと思えば、そこらのアクセサリーショップに行けば直せるし。まあ、個人のオリジナルだから、ちょっと嫌がられそうだけど。
「あー。ごめん。えっと、すごく大事にしてる感じだったから、つい……忘れて、ください」
そして俺は逃げた。ストローから噴き出したヨーグルッペの道ができているけど、そんなの振り返る余裕はなかった。
やばい恥ずかしい。
これ日葵に言ったら、すげえ嬉しそうに「ぷっはーっ!」されちゃうんだろうな。マジで絶対に言わねえ。墓まで持っていく!