「おまえ、はっ倒すぞ!?」
「イマドキ、そんなお見合いあるわけないじゃん。エロ小説の読み過ぎかー?」
「脂ぎった手とか言いだしたの、おまえのほうですけどね!?」
日葵はひとしきり笑うと、俺の髪をくしゃくしゃ撫で回した。
「心配しなくても、途中で見捨てないって。アタシ、しばらくはこの特等席を満喫させてもらうつもりだからさー」
俺の首に回った両腕に、ぎゅーっと力がこもる。
俺はその二の腕をぺしぺし叩いて抗議した。
「首ぃ~。その特等席、首締まってる~」
「日本一抱き心地のいい首を持つ男~」
「その称号何なの? 一つも嬉しくないよ?」
「日本一抱かれ心地のいい腕を持つ女~」
「どうだろうなあ。それを名乗るには、おまえちょっと細すぎ……うぐ、おま、ちょ、腕に力込めんな!?」
そんな感じでいつも通りに戯れていると、18時のチャイムが鳴った。
運動部は20時まで活動できるが、文化部は基本的にここまで。こっちの別棟は、どんどん鍵がかけられていく。それまでに下校しなければいけない。
「今日はここで切り上げるか」
「そだねー」
「そだねーじゃねえよ。おまえも手伝え」
そんで、いい加減に首から離れろ。自分の脚で立ちなさい。ぶら下がってきゃっきゃとハシャぐんじゃないよ。ずるずる引きずると、マジで首が締まるんだけど。
「それじゃあ、日葵さん。帰りの点呼いきます。作業道具オッケー」
「お花オッケー」
「鍵オッケー」
「帰りはマック気分オッケー?」
「うーん。なんか俺、寿司食いてえかも」
「あ、そう? じゃあ、お兄ちゃんにライン送っとくねー。『今日は悠宇がお寿司食べたいらしいので、あのお高いやつ買ってきてねー』っと……」
「帰りにスシローでいいから! な? な!?」
「……ハア。義弟くんはつれないなー」
誰が義弟やねん。
科学室に鍵をかけ、俺たちは下校した。
これが俺と日葵の日常。
この二年で築いた、俺たちの箱庭。
そして、それは限りなくうまくいっていた。その歯車がちょっとだけ狂ったのは、その翌日のことだった。
♣♣♣
それから丸一日が経過した、翌日の放課後。
日葵が委員会でいなかった。
こういうことは多い。俺の前ではアレなので忘れがちだが、日葵は優等生で通っている。委員会やボランティア活動なども、割と積極的に取り組んでいた。
……まあ、たぶんご実家の顔を立てる意味が強いんだろう。お金持ちの家庭に生まれるというのも大変だ。
科学室に行く前に、ヨーグルッペを購入するために自販機コーナーへ立ち寄った。いつも日葵から飲まされているので、すっかり俺も乳酸菌の虜になっている。
自販機に硬貨を入れて、ボタンを押した。取出し口に、紙パックが落ちてくる。
「たまには静かでいいっすねえ」
日葵といるのは楽しいけど、静寂を楽しめてこそ真の男だって父さんが言ってた。母さんに口で勝てない言い訳なのは知ってるけど、その言葉自体はダンディで嫌いじゃない。
「……ん?」
前方から、女子生徒が歩いてきた。
やや赤みのある黒髪ストレート。
瞳は切れ長で、ちょっときつめな印象の子だった。
制服は緩めに着崩している。胸元も大きめに開けていた。
ネクタイのラインの色から、同じ二年生。
名前は知らない。去年も同じクラスではなかったと思う。
……すげえ美人だなあって思った。
同じ美人でも、日葵は安らぎを感じるタイプだ。例えるなら、静寂の森林に住まう妖精というか。ゲームで旅人が出会ったら、体力を回復してくれる感じの存在。
でも、こっちの黒髪さんは鋭いナイフって印象だ。嚙み砕くと、イマドキっていうか。裏ではカレシの悪口とか平気で言ってそう。俺の姉さんたちと同じ雰囲気がある。
「…………」
じろっと睨み付けられた。
いかん。見てたのがバレた。そそくさと視線を逸らす。……俺は小市民なんだ。
ちなみに、俺は美人が苦手だけど好きだ。
……すげえ矛盾に感じるんだけど、要は『アクセのモチーフとして参考になるよね』って意味。実際に喋ったりとかは、マジで怖いから無理。美人は黙ってるときが一番いい。
この瞬間も、俺はあの黒髪さんに似合うアクセをイメージしていた。
ちらっと見た印象では『意識したお洒落さん』って感じだ。化粧をしっかり決めて、自分を引き立てるためのアクセサリーも忘れない。髪留め、ネックレス……顔から上は、これで適正量だ。たくさんつければいいってもんじゃない。
となると、俺のアクセを差し込む余地があるのは首から下だ。淡めのネイルも塗ってるし、リングは主張がぶつかりすぎる。となると、狙うのは手首か……。
(そうそう。あんな感じの緩いブレスレットとか……あれ?)
俺の目に留まったのは、肩がけにした鞄の上に添える左手だ。その手首に、俺のフラワーアクセがあったのだ。
月下美人。
花びらが白くて大きくて艶やかな、美しさの代名詞のような花だ。花言葉も、その美貌に違わない。『艶やかな美人』『儚い恋』──『ただ一度だけ、会いたくて』。
……覚えている。
月下美人は花被が手のひらほどのサイズになるので、プリザーブドフラワーに加工した後に花弁や花糸を分割してアクセにした。アレは日葵のチョーカーと同じようにレジンでハート型に固め、それをメタルブレスレットに繫いでいる。
二年前、中学の文化祭で売ったものの一つだ。あの頃の渾身のデキだった。花言葉が死ぬほどエモかったのも、記憶に残る理由だった。
……日葵以外にも、まだあの頃の作品をつけてくれる人がいるのか。
剝き出しのプリザーブドフラワーと違って、レジンで固めたものは手入れさえ怠らなければ何年も使える。
でも、所詮はアクセサリーだ。女性にとってのアクセサリーは一期一会の存在。言ってしまえば、すぐに飽きられるもの。結婚指輪みたいな特別なものでなければ、同じものをずっと身につけるなんて日葵くらいの変人だけだと思う。
悲しくはない。それは宿命なんだ。
俺は自分の作品には自信を持つけど、それを買い手に強要するつもりはない。俺が作品に込めた気持ちを、ずっと色褪せずに持っていてくれなんて傲慢もいいところだ。
まあ、それでちょっと驚いただけ。
(あんな美人さん、お客さんの中にいたっけ……?)
覚えてないのも無理はないか。あのときは会計で、目が回るような忙しさだった。
とりあえず、この月下美人との再会は日常のほっこりエピソードとして、帰って日葵に報告しよう。「まさか惚れた? 惚れちゃったかなー?」といじられるのは目に見えてるけど。
俺は自販機からヨーグルッペを取り出して、その子とすれ違った。