「さっきの店の従兄弟とか、それから、天使としての俺が協力を仰いでる人間には、お前の事情も少なからず、知られる可能性がある。それだけは、今のうちに諦めてくれ」
「えっ……」
柚月は緊迫した表情で俺を見た。不安と恐れと、少しの興味が読み取れる。
「全員、口は堅いやつだ。おもしろ半分で人の噂を吹聴したりしない。もちろん、俺も可能な限り、柚月の名前は伏せる。ダメか?」
「……わかった。必要なら、そうしてくれていいわ。それに……信じてるって言ったものね」
「おっけー。助かる」
小さく頷く柚月に、そう声をかける。
こうして断っておかないと、あとで信頼関係が揺らぎかねないからな。これは、普段の天使の仕事と同じだ。
そのとき、前方からゆっくりと、トラックが進んできた。俺が車道側に立って、柚月を端に引っ込める。
このときめき坂は、通り慣れてないとちょっとだけ危ない。
「あっ……ありがと」
「……おう」
いちいち反応がしおらしいな、この美少女は……。普段はツンとしてるように見えるから、絶妙なギャップがある。
こりゃ、モテるだろうな。
「ところで、なんでお前は、松本の告白を断ったんだ?」
ふと気になっていたことを思い出し、そう尋ねた。
松本とは、以前に柚月にフラれた、あの男子のことだ。そして、柚月の好きな相手のひとりでもある。
「そのときは両想いじゃなかったのか? それに、ほかのやつからの告白も、全部断ってるだろ。試しに、ってのは言い方が悪いけど、誰かと付き合ってみたりはしないのか?」
柚月は、しばらく黙っていた。
それから自虐的な声で、吐くように言った。
「もちろん、試したわ。恋人になれば、もしかしたら一途になれるかもって、中学の頃にね。だけど……」
「……」
「だけど……全然変わらなかった。誰か好きな人と付き合っても、その人以外のこともやっぱり好きなままで……それに、どんどん増えて」
「……そうか」
「そんなの、その人に失礼でしょ? 最低よ。隠して付き合い続けることもできたかもしれない。でもそんなことしたら、私はますます、自分が許せなくなる。五回試して、全部だめだったから、直るまでは誰とも付き合わない。決めたの」
「……その五人とは?」
「何度も謝って、別れてもらったわ。付き合ってすぐ、それに突然だったから、みんな困ってた。当然よね。あの人たちはなにも悪くないのに、勝手な都合で振り回して……」
「ホント、最低」。そうこぼして、柚月はスカートの裾を強く握った。
なるほど、好きな相手からの告白も断るのは、こいつなりの、誠実さの表れだったってわけか……。
「つまり私は、一途とは真逆の、男の子大好きな自分勝手JKってことよ。ね、呆れたでしょ? ……バカみたいよ、もう」
柚月の声はひどく卑屈で、けれど本気でそう思っているようだった。
共感できる、とは言えない。だが、気持ちは理解できる。
こいつがどれだけ、自分に幻滅しているのか。それは、声や言葉や、表情から痛いほど伝わってくる。
ただ、柚月はわかってない。
俺のことも、自分のことも。それから、恋のことも。
「呆れるかよ、そんなことで」
「……えっ」
柚月が驚いたように、こちらを見る。
いつの間にかたどり着いていた駅前の踏切に、ちょうど遮断機が下りた。
カンカンと、耳障りな機械音が鳴る。電車の音が近づいてきて、俺と柚月の周囲が騒音で溢れた。
もう、お互いの声しか聞こえない。
「恋愛感情なんて、自分でコントロールできるもんじゃない。好きになるときは、いやでも好きになる。だから、お前は悪くないよ」
「……」
「それに昨日と今日で、柚月がいいやつだってことは、よくわかった。この相談だって、引き受けて後悔もしてない。助けてやるから、頑張れよ」
「……うん」
柚月の短い返事を聞いたところで、無性に恥ずかしくなった。ふるふると首を振って、熱くなっていた顔を冷ます。
そうだ、今はいつもみたいなボイチェンありの通話じゃなく、対面だった……。あんまり、くさいことは言うもんじゃないな……。
そこで、俺たちの前を京阪電車がゆっくり通り過ぎた。機械音が止んで、踏切が開く。
「じゃあな」
JRの改札まで柚月を送り、別れを告げる。
が、柚月は俺に背を向けず、少しのあいだもじもじして黙っていた。
……なんだ?
「あの……明石くん」
「お、おう……?」
「さ、さっき言ってくれたこととかは、全然関係ないけどっ……!」
俯いたまま顔をそらして、柚月は続ける。
綺麗な黒髪の隙間から見えた頰が、さくらんぼみたいに赤かった。
「私……その……」
「……」
「あ、あなたのことも……好きになっちゃうかもしれないから……」
「えっ……」
……。
「……今のうちに、謝っとくわ。……ごめん」
「いや……あ……まあ、構わない……けど」
柚月はそこで、くるりと身を翻した。
髪とスカートが揺れて、流れる。
その背中が改札の奥に消えたあとも、俺はしばらくその場でぼーっと固まってしまっていた。
「……困ったな、これは」
思わずそんなことを呟いてから、俺は自分の電車の駅のベンチで、ぼんやりと車両が来るのを待った。