「そしてそのためには、現状の正確な把握が必要だ」
問題には必ず、原因がある。解決するには、それを取り除けばいい。
だが原因を見つけるには、まずは問題を正しく詳細に、把握しなきゃならない。
「ってことで、ほら」
「……なに?」
テーブルの上に差し出した俺の左手を見て、柚月が怪訝そうな顔をする。
なに? じゃないだろ。案外鈍いな、優等生。
「もう一回、触らせろ」
「ひっ……!」
柚月はいつかと同じく、自分の身体を抱くようにして身を引いた。
こいつ……やる気あるのか?
まあ今のセリフ自体は、たしかに多少怪しかったけども。
「あほ。今お前の好きな相手が何人いて、それがどこの誰か、調べるんだよ」
「そ、それならそう言ってよ……! びっくりするでしょ……!」
「わかったわかった。悪かったよ。じゃあ、ほら」
言って、俺はヒラヒラと手を動かす。タイミングとか諸々、向こうに委ねる意思表示だ。
さすがに自分から触るのは気が引けるからな。俺は常識人なのだ。
「……」
「……なんだよ、早くしろよ」
「べ、べつに、触らなくてもいいんじゃない……? 好きな人なら、私が自分で言えばいいんだし……」
柚月はなんとも甘いことを言っていた。
正確な把握が必要だって、聞いてたか?
「お前が全員分、完全に自覚できてるっていう保証は?」
「えっ?」
「『気づいてないけど好き』なんて、恋のあるあるだろ。恋愛感情は、そんなに単純じゃない」
おかげで天使の仕事も、苦労が多いんだから。
「で、でも……! 一応お店の中だし……」
「大丈夫だよ。従兄弟もちからのことは知ってるし、このテーブルも、ほかの席から見えにくくしてもらってる。準備は万端だ」
「……でもぉ」
「『なんでもする』んだろ?」
「うぅ……」
俺のトドメの言葉に、柚月は俯いて肩を縮こめた。
こんなこともあろうかと、あの場で言質を取っててよかったな。
言い出したのは柚月本人だから、俺は悪くない。
ところで、柚月ほどの美少女に頰を染められると、なんとも背徳的な気分になるな。
「……変態」
「こら、失礼だぞ。天使に向かって」
「変態天使!」
「変態紳士みたいに言うな」
「……なによそれ?」
「あ、なんでもないです」
そういうのは通じないわけね。おっけー、了解。
柚月はとうとう観念したのか、胸に手を当ててから、長い息をひとつ吐いた。
そして恐る恐るという様子で俺の右手を摑み、自分の顔に引き寄せる。
俺はテーブルに身体を乗り出して、ちからの発動に備えた。
美少女の柔肌に触れられるのは役得だが、実のところ、能力が働いてるあいだは手の感覚はほぼない。感触がわかるのは最初の一瞬だけだ。残念極まりない。念のためもう一度言うが、俺は変態ではない。
柚月は俺の手のひらを、そのまま控えめに頰にくっつけた。
くちびるを尖らせた横顔が、あまりにも色っぽかった。
「……どう?」
「あ、ああ……問題ない。見えたよ」
「……そう」
まるで、付き合いたてのカップルみたいな空気だ……。
思わず、見たものを全部忘れそうになる。いや、バカか俺は。
「そ、それで、どうするのよ?」
「まあ、待ってな」
俺はカバンからペンケースと、真新しいキャンパスノートを出した。シャーペンを持って、ノートを広げる。
「俺が知ってるやつはそのまま名前、知らないやつは似顔絵を描くから、それでわかったら名前を教えてくれ」
「似顔絵? 描けるの?」
「当たり前だろ」
と言いつつ、べつに当たり前ではない。普通に練習の賜物だ。
なにせ、描けた方がこのちからが活きる。一瞬しか顔は見えないうえに、もちろん写真とかも撮れないからな。
記憶があるうちに、できるだけ頭の中の情報を紙に落としていく。
名前がわかった十六人はさっさと書き終え、残りの連中の似顔絵に取りかかった。
「……ダメだ、忘れた」
やっぱり、一度で覚え切るには無理があるな。
まあ、忘れたならもう一度、見ればいいだけだ。ちからが相手にバレてると、こういうことができて楽だな。いつもはほぼワンチャンスだし。
俺はまた、左手を柚月の方に伸ばす。
が、柚月はいつまで経っても、俺の手を摑もうとしなかった。それどころか、目を丸くしてキョトンとしている。
「おーい」
「えっ? なに……?」
「いや、もう一回触るんだよ。まだ描けてないのが、何人かいるんだ」
「ええっ!?」
柚月はガタッとテーブルを揺らして、大袈裟に身体を弾ませた。
賑やかなやつだな。
「まさか、一回で終わりだと思ってたのか?」
「そ、そうに決まってるでしょ! な、なんでまた……」
「情報量が多すぎる。正確には、たぶん二十三人かな。ほとんど学校の男子だが、違いそうなのも何人か」
「うっ……にじゅう……」
「俺のちからは、触ったときに一瞬、見えるだけだ。記憶に焼きついたりだとか、そういう便利な機能はない。わかったら、ほら」
「……」
「『なんでも』」
秘密の合言葉で、柚月は諦めたようにガックリ肩を落とした。
恨めしそうに睨んでくる顔は、かわいさと大人っぽさのバランスが完璧で、ちょっとグラッときてしまう。
恥ずかしいのはお前だけじゃないんだぞ、まったく……。
それからは、触っては描き、触っては描きの繰り返しだった。
だが、柚月はその度にもたもたしていたので、最終的には俺の方から、強引に頰に触れることになった。効率重視だ。
「言っとくけど、べつに俺だって、触りたくて触ってるわけじゃないんだからな」
「わ、わかってるわよ……!」
「なら、その不服そうな目をやめろ」
「だ、だって……!」
たしかに柚月の頰は、正直触り心地がいい。めちゃくちゃいい。おまけに、たまに指先が触れる髪もサラサラだ。
だが、それとこれとは別問題だ。必要だから仕方なく、触ってる。いや、ホントだぞ。
結局、全員がどこの誰かわかるまでに、一時間以上を費やした。その頃にはふたりとも疲れ果ててしまい、今日はこれでお開きになった。
このカフェは久世高から京阪石山坂本線で二駅行った、京阪膳所駅のそばにある。この駅にはJR膳所駅も隣接しており、柚月はそっちを使うらしかった。
駅までの長い坂、通称『ときめき坂』をふたりで歩く。両側を多くの店に挟まれた、細くても人通りの多い道だった。
「そういえば、言い忘れてたけど」
周りを興味深そうに眺めていた柚月が、ふいっとこちらを向いた。