純君の家とバーベキューするの久し振りだし。庭でバーベキューなら外出のうちに入んないし。人混み関係ないし。問題なっしんぐですよ。何の異論もありゃしませんぜ。
そして、なによりお肉。爆ぜる脂。立ち込める煙。タレにつけた瞬間のジュッという音。
「あとで訊いてみるわ」
母よ、頼んだ。私はお肉が食べたい。たらふくお肉が食べたい。
ふとお姉ちゃんの顔を見やると、ちょっと難しい顔をしていた。
確かに。複雑だよね。お父さんは知らないとは言え、別れたばかりの元カレだもんね。
でもここは少しばかり我慢して貰おう。なんてったって、さくらんぼ狩りを私も吞んだんだから。次は私のターン。お肉ちゃん、待っててね。すぐ迎えに行ってあげるから。
これでフェアだ。撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだよ、お姉ちゃん。
ルルーシュ? それもだけど、元ネタはマーロウの台詞だからね。
そこ勘違いしない様に! レイモンド・チャンドラーを読むべし。
ゴールデンウィーク二日目は、お昼過ぎに目覚めた。
私は初日の夜をとことん消費してやった。完全勝利と言って良いだろう。
周りが明るくなってから寝たもんね。ヴァンパイアなら死んでるよ?
頭を搔きながらリビングに入ると、お父さんが一人で映画を観ていた。お父さん以外には誰も居ない。資本主義の犬どもは、買い物にでも出掛けたのかな? 消費は美徳ってこと?
いや、お姉ちゃんは部活か。純君と別れてからは、前にも増して部活にお熱だもんね。
何を観ているんだろうとテレビに目をやった瞬間、私は完全に覚醒した。
眠気が吹っ飛んだ。
またスタートレックを観てやがる! このトレッキーめ! 部屋で大人しく本格推理小説でも読んでればいいんだ! どうして寝起きからスタートレックを観なきゃならんのだっ。
純君をトレッキーにした張本人め! 許すまじ。
「それ観るの何回目?」
「わからん。だが、カークとピカードが共演するシーンは何度観ても良い。ちなみにこのシーンの馬は、ウィリアム・シャトナーの自前だ」
語られても興味ないから。迷惑だからやめて。聞きたくない。
宇宙モノだったらスター・ウォーズの方が面白いんだ! 売り上げを見たまえ!
私は、全く感興が湧きませんという想いを込めに込めて、気怠くふーんと撃ち放って、冷蔵庫からお茶を取り出し、グラスに注いでテーブルについた。
キッチンペーパーがお皿の上に被せてある。私のお昼かなと思ってキッチンペーパーをめくると、ホットケーキが一切れだけ残っていた。一切れだけ残っていた。
何度でも言う。一切れだけ残っていた。
一切れ!? 私のお昼がたった一切れのホットケーキだと? なんたるちあっ!
Who done it? なんて言うまでもない。疑義の眼差しを携えて振り返り、お父さんを見やる。
絶対にそうだ。だってここにはお父さんしか居ない。
って、そこっ! 親指と人差し指を無意識にすりすりするんじゃない。
食べたな? 口寂しくて、食べたな! ダチュラだ! あと、ティーサーバー使ったら仕舞うことっ! テーブルの上に置きっぱなしっ! シャーロッキアンなら珈琲を飲めっ!
これだからトレッキーかつシャーロッキアンの男は嫌なんだ!
神宮寺家における災厄の中心たる我が父は、SFドラマ『スタートレック』のファンだ。そして『シャーロック・ホームズ』のファンだ。スタートレックの熱心なファンのことをトレッキーと呼び、シャーロック・ホームズの熱心なファンのことをシャーロッキアンと呼ぶ。
SFオタクとミステリオタクのハイブリッドなんて、誰がどう考えてもこの世で一番厄介な人種だ。量子力学でも使って後期クイーン問題に挑んで欲しい。静かになりそう。
まったく、スター・ウォーズをバカにしやがって。あの恨みは忘れないからね。ダチュラだ。
ちなみにお姉ちゃんは昔、ハリー・ポッターオタクになりかけました。
いったいこの家は何なんだ。
ちなみに、トレッキーとシャーロッキアンには迂闊に近付いてはいけない。心しておくように。どんな作品なの? なんて軽い気持ちで訊こうものなら、延々と、そりゃもう延々と語られる。間違いない。どんなに嫌そうな顔をしても彼らには通じない。
理屈をこねくり回すのと、言葉遊びが大好きな連中には近付くな! ワイシャツの袖にいたずら書きされるぞ! さもなくば純君みたいに取り込まれてしまうからねっ。
だから私は、今日も父の言葉を無視するのです。これぞ我が家流の処世訓。
さて、そんな話はどうでもいいとして目の前の問題である。これこそが事件だ。
私のお昼がホットケーキ一切れって、どういうこと? なんという狼藉。あの父親を全力で責め立てたいところだけど、寝起きから絡みたくない。シンプルにめんどくさい。
補給路を確保せねば。このままでは空腹の余り餓鬼道に堕ちてしまう。
はぁ、バカ言ってないで、なんかこさえますか。これでも元家庭科部でありんす。
キッチンの戸棚を開け、私は解決の糸口を探る。棚があったら開けよ。これ基本。
私は戸棚から目当ての物を探し出し、苛立ちを滲ませながら大きめの音を立てて扉を閉め、包装を乱暴に破って電気ポットからお湯を注ぐ。くそっ。なんで私がこんなことを──。
カップラーメンが出来上がるまでの間、手持無沙汰だった私は、部屋にスマホを取りに戻った。この三分も有意義に消費しなければ。負けてたまるか。消費せよ!
ん? 料理? 出来る訳なかろう。勝手なミスリードはやめたまえ。
電子レンジやカップラーメンがあれば生きていけるのだ。
料理なんて時間の無駄だ。作れる人に作って貰うに限る。世の中は分業で回っている。元家庭科部の食べ専と呼ばれた私をなめてもらっちゃ困る。それにカップラーメンをバカにしちゃいけない。あさま山荘事件の時、どれほどカップラーメンが──
スマホを手にして戻った瞬間、まさに刹那、鳴動。振動と電子音。純君からのメッセージ。
《もし暇ならどこか行かないか?》
おお。珍しい。あの出不精からこんなメッセージが来るとは。今日は雪どころか、サメでも降ってくるのか? サメが降ってきたら傘じゃどうにもならん。シャークネードだよ。
お姉ちゃんと別れてから、目に見えて弱ってたからなぁ。なんで別れたか訊いても教えてくれないけれど、あの不器用な二人のことだ、どうせしょうもない理由だろう。
ま、いいや。仕方ない、私が相手してくれよう。独り者同士仲良くやろうじゃないか。お互い遠慮することなど、最早ないのだ。と言うか、私は遠慮しないからね。ずっと独り占めされてたし、それくらいよかろう。中々長いターン待ちだったよ。ほんとうに。
そんなことを考えてたら、若干イラみが増してきた。なんだか悔しいから、既読を付けて放置してやる。私の尊い返事を待ちわびたまえ。
さて、そうは言ってもなんて返そうかと悩んでいると、そう言えばもう三分経ったのではないかと思い至り、慌てて蓋をめくると案の定麵が伸びていた。
おいおい、麗しき金色のスープは何処にあるのだ?
「お、カップ麵食ってるのか? 僕も食おうかな。どこにあった?」
遠くからトレッキーの声が聞こえるが、ここは宇宙。遠い遠い遥か彼方の銀河系。
真空状態だと音は聞こえないのだ。父よ、よく覚えておくがよい。
ん? 今、スター・ウォーズでは音がするじゃないかって誰か言った?
あれはルーカスの脳内宇宙だから良いんだ。細かいこと言う人、私は嫌いだな。