一章 彼女と彼女の恋愛事情 ①

 桜舞う、四月。一般的には出会いや別れの季節と称される多感な季節。

 しかし、本日から高校二年生というしろてんにしてみれば、さして心躍る変化があるわけでもない。クラス替えというちょっとした儀式によって、通う教室が一階から二階にコンバートされる程度。中だるみという言葉がしっくりくる緊張感のない新学期を迎えていた。


「やっほー、しろくん」


 まどぎわ後方。出席番号順に割り振られた机へかばんを置いたところで、一人の男子に声をかけられた。中肉中背。肩まで伸びた髪は先に軽くパーマがかかっていておしやな感じ。


「おはよう、そう


 一年から継続して同じクラスになったらしい、はやそうだった。

 中性的な顔に浮かぶ柔和な笑みは非常に爽やかで、年上お姉さんの心をい具合にくすぐりそうだなぁとか、てんは見るたび勝手に想像している。


「また一年よろしくね。いっやー、それにしても運がいいね、僕ら」

「運? ああ、結構一年のときと同じメンが多いみたいだな」


 人間関係を再構築するのにさして苦労もせず済みそうだという意味では、確かに幸運かもしれないと思い同調したが。


「またまた~、とぼけちゃって。そういう意味じゃなくってさぁ……ほら?」


 流し目を作ったそうからわき腹を小突かれる。かまととを戒めるかのようなその動作に、思い当たる節は一つもない。


「ほらって何が」

「え……もしかして、まだ知らないの? クラス分けの名簿、見てきたんでしょ?」

「見たけど、なんだよ? 宝くじの当せん発表でも兼ねてたのか、あれ」


 五組の皆さんにはもれなく金一封をプレゼントです、とか。だったら小躍りして喜ぶレベルだが、平凡な私立校でそんな都合のい展開を期待するのは馬鹿らしい。


「な、なななな、君って男は……」


 そうの顔がきようがくゆがむ。咲と書いてさきとは読まないファッションモデルの名前を言い間違える、そんな原始人並みの世間知らずを見るような目をされていた。


「黙ってこの教室の男子から発せられる空気を感じてみなって」

「空気も何も……」どうせ取り留めもない新年度の挨拶を交わしているだけで、大して面白くもないだろう、と。周囲を見渡したのだが、完璧に裏切られる。


「っっしゃあ!」盛んにシャウトしてガッツポーズをする者。


「神様ありがとう!」天を仰ぎこうこつの表情を浮かべる者。


「やったな」「ああ、やった」とか言い合いながら熱い抱擁を交わす、気持ちの悪いコンビまでいる。


「これから一年間がいろになること確定です、みたいな様子だな」

「まさにそう。そしてその理由がね……って、うわさをすればやってきたみたいだよ」


 瞬間、浮き足立っていた男子の雰囲気が一変。崩れてもいない前髪をグリグリとがらせたり、リップクリームをそそくさ唇に塗ったり、脇の匂いをすんすんチェックしたり。

 はたに見れば何をそんなに落ち着きがないのかと言いたくなるそいつらの視線は等しく、前側の出入り口に注がれている。いぶかりつつそちらに目をった途端、


「お……」


 身構えていなかったてんは思わず声にならない吐息を漏らし、目を細める。

 まぶしい。一瞬、輝く光の粉でも舞っているのかと錯覚した。

 首の後ろで結ばれた白に近い金髪が、蛍光灯の安っぽい光をかえして乱反射。脱色とかカラーリングとか、人工的に生まれたものではない。一見してわかる天然のブロンド。

 また同じクラスだねー、良かったねー、と。付近の女子と笑い合っている少女の瞳は、ターコイズブルー。南国の海のように深い青色をしていた。

 オオオオという声にならないどよめきが、地鳴りのように響いた気がする。それが向けられているのはアイドルでもたからづかでもない、一介の同級生。


「彼女こそ我ら新生二年五組が、今年度一番の『当たりクラス』と評されている理由の一つなわけですよ」


 したり顔で鼻を鳴らすそうの声も遠くに聞こえてしまう。それほどにてんれていた。

 整った目鼻立ちで、外国の血が入っているのは想像にかたくないが、その相貌にはまだ幼さも残されており、不意にギャップでどきりとさせられる。

 入学当初からうわさでは聞いていた。のクラスにロシア人とのハーフでとんでもない美少女がいるらしいことを。確か、名前は……


「あ、はやくん!」


 トリップしかけていた頭が正気に戻る。なにせその原因となっていた張本人がにこやかに手を振りながら近付いてきたのだから。もっとも、目当てはてんではなく。


「おはよう、椿つばさん」

「おはようございます。同じクラスなら、生徒会の連絡とか今年は楽そうですね」

「そうだね」


 知り合いらしい二人はよどみない会話。そうてんと違い社交性抜群なので、つながりがあってもおかしくはない。むしろ驚いたとすれば、至近距離でたりにした彼女の破壊力。

 欧米人みたいにくっきりした二重まぶた。雪のように白い肌。柔らかそうで血色がいピンクの唇。体のラインは細く全体としてきやしやな印象を受けるのだが、一部分だけ例外。「その制服ってサイズ合ってる?」と聞きたくなるくらい、胸だけ苦しそうだった。


「そちらははやくんのお友達ですか?」

「え!?」背ぇ高いくせに顔ちっちぇえなぁとか思ってガン見していたら、不意に目が合い心臓が跳ね上がる。


「どうも初めまして、椿つばれいです」


 と、天使のような少女からこれ以上ないくらい柔和な笑みを向けられたにもかかわらず、


「あ、はい! しろです。てんです。どうぞ、よろしく」


 早口で落ち着きなく体を揺らしながら半笑いのしやく。ほとんど変質者みたいな自己紹介を繰り出す男がここにいた。そうがあからさまに吹き出している。


「こちらこそよろしくお願いします……って、あ、すみません。何か向こうで呼ばれてるみたいなんで、私はもう行きますね? それじゃあ」


 丁寧にお辞儀をしてからきびすを返すれい。金のポニーテールがれいな弧を描いた。


「…………」


 なんだったんだろう、今のは。つかの間の出来事。たった一言話しただけなのに、天にも昇るほど幸福な時間。遠ざかっていく女神から視線を外せずにいると。


「やあやあ、驚いたねー。普段は『女に興味ありません』みたいな顔しているしろくんが、まさかここまで骨抜きとは」


 そうが心底楽しそうに肩を揺らしていた。


「その言い方だと俺がもう枯れてるみたいだからやめろ」

「ごめんごめん。しろくんって恋愛関係の話とか興味なさそうだからさ」

「だってそういうの疲れるし」

「恋愛アレルギー入ってるっぽい?」

「そこまでじゃないけど……」


 ラブロマンスが花咲く高校生のだいというのは理解しているし、それをおうしている連中を笑う気もさらさらない。しかし、自分が当事者になる場面は想像できないのだ。

 今までの十六年がそれを証明していた。顔も性格も大して良くないてんのような凡人を、好いてくれる変わり者はおらず。言うなれば恋愛ドロップアウト組。

 恐るべきは、そんなてんさえも一瞬でとりこにしてしまうれいの魔力だろう。


「あんな殿上人と知り合いだなんて……そうのコミュ力には毎度、驚かされるよな」

「いやいや。一緒に生徒会の手伝いとかしてる関係で、ちょっと親交があるだけだよ」


 たとえ親交があっても、あんなフレンドリーな会話をする自信がてんにはない。


「はぁ……にしても。そういう理由があったわけか、この状況は」


 改めて周囲を見る。頭の中にお花畑でも形成されていそうなにやけづら。全員が非合法のハーブでもキメていそうな光景だが、その視線の先でこうこうと輝きを放つロシアンビューティーを見れば、納得せざるを得ない。


「確かに当たりかもな、このクラス」

「ふっふっふっふ……ところがどっこいさ、しろくん。なんとなんと、椿つばさんはその理由の片翼をになっているにすぎないんだよ」

「片翼?」


 まるで彼女に匹敵するほどのファクターが、もう一つ存在するような。それはさすがにハードル上げすぎというか、さんくさい香りがしてならなかったのだが。


「あっ……りんちゃん、おはよう!」

刊行シリーズ

この△ラブコメは幸せになる義務がある。4の書影
この△ラブコメは幸せになる義務がある。3の書影
この△ラブコメは幸せになる義務がある。2の書影
この△ラブコメは幸せになる義務がある。の書影