1.呪いの言葉と青い塔 ①

 それは、青き塔にむ魔女。

 呪いを受けた王族。

 時を書き換えられるのなら何を望むのか。

 全ては塗り替えられる物語である。





 荒野に建つ塔は、うっすらと青い。

 草もまばらな大地が広がる中、青年は天にそびえる塔を馬上から見上げる。


「これが魔女の棲む塔か」


 目の前に建つ塔を仰ぐ彼には、気負いの欠片かけらもない。

 黒に近い茶色の髪。瞳は日の落ちた後の空と同じ、深い青だ。

 身なりのよさと秀麗な容姿からは、生まれながらの気品がうかがわれる。だがそれだけでなく、鍛えられた体に漂う隙のなさは、まだ若い彼に戦線に立つ覇者の印象を与えていた。

 そのまま馬を降りて塔へと踏みこみそうな彼を、後ろから弱々しい声が止める。


「殿下、やっぱりやめましょうよ……」

「うるさいぞ、ラザル。ここでひるんでどうする」


 青年はあきがおで振り返る。殿下と呼ばれる彼は、この塔の東に広がる大国ファルサスの王太子、オスカーだ。従者であるおさなじみ一人だけを連れてここに来た彼は、平然とうそぶく。


「せっかく城を抜け出してきたのに。帰ったら意味がないだろうが。単なる観光か」

「観光で魔女のところに来る人間なんかおりません!」



 ──魔女。

 それは大陸に五人しかいない、絶大な力によって異質とみなされる女たちだ。


『閉ざされた森の魔女』

『水の魔女』

『呼ばれぬ魔女』

『沈黙の魔女』

『青き月の魔女』


 この五つが彼女たちの通り名だ。魔女は気まぐれに現れ、その絶大な魔力をもつて災いを呼び、消えうせる。数百年もの長きにわたる畏れと災厄の象徴だ。

 中でも最も強大な力を持つとされる魔女が、『青き月の魔女』で、彼女はどこの国にも属さぬ荒野に青い塔を建て、その最上階に棲んでいる。この塔を登りきることのできた達成者は、彼女がその望みをかなえると言われているが、挑戦者が皆、塔から帰らないことが広まると、塔に近づく者も次第にいなくなっていった。

 そんな塔を二人が訪ねてきたのは、目的があってのことだ。


 ラザルと呼ばれた青年は、年若い主君に訴える。


「やっぱり危ないですって。魔女に呪いを増やされたらどうするんですか!」

「それはその時だ。もう他に手がかりもないだろう」

「まだ何か他に手段がありますから……探せばきっと……」


 すがりつくような言葉を聞きながらオスカーは馬を降りる。彼はくらにつけていた長剣を取ると腰の剣帯につけなおした。


「他に手段と言われても。十五年も何も見つからなかっただろうが。──まず『青き月の魔女』に会って呪いを解く方法を聞く。駄目だったらこのまま呪いをかけた張本人の『沈黙の魔女』のところに行って呪いを解かせる。完璧じゃないか」

「全然完璧じゃないです」


 ラザルは泣きながらようやく馬を降りた。ひょろっとした細い体は、どう見ても戦闘向きではない。武器も持っていないのは、とりあえず慌てて出立したせいだ。彼は城を抜け出した時もそうだったように、小走りに主君を追いかける。


「殿下のお気持ちは分かります……。ですが十五年もの間、誰も魔女たちに接触してこなかったのは危険が大きすぎるからです! 第一、『沈黙の魔女』は見つからないし、『青き月の魔女』に至ってはこの塔を登りきれた人間が誰もいなかったじゃないですか!」

「確かに歩いて登るには高いな」


 塔の壁は、青みがかった水晶のような材質だ。それが継ぎ目もなく空高くまで伸びている。

 オスカーはそのずっと先、よく見えない先端を仰いだ。


「まぁ何とかなるだろ」

「何ともなりませんよ! わながいっぱいらしいですよ! 貴方あなたに何かあったら、私はどんな顔して城に帰ればいいんですか」

「沈痛な顔して帰れ」


 軽く肩をすくめると、オスカーは無造作に歩き出す。


「待ってください。私も行きますって」


 それを見たラザルが慌てて、二人分の馬を木につないで後を追った。


 事の始まりは十五年前のことだ。ある晩、城の一室に、魔女の宣告が響いた。


『お前はもう子をすことができない。そこにいるお前の息子もだ。お前たちの血は女の腹を食い破るだろう。ファルサス王家はお前たちを以て絶えるのだ!』


 そんな呪いの言葉を、オスカー自身覚えているわけではない。彼の記憶に残っているのは、月を背にした魔女の影と、自分を抱きしめる父親の震える腕だけだ。「子を生すことができない」と言われても、当時五歳の彼にはその重大さが分からなかった。蒼白な父の顔に、ただぼんやりと何かよくないことが起きたのだ、と思っただけだ。

 彼は王の唯一の子だった。王家の存亡に直結する問題は、ごく一部の者を除いて伏せられ、解呪の方法を探すために何人もの優秀な魔法士や学者が時を費やした。

 一方、オスカー自身は利発で豪胆な少年となって武と学を修めた。その優秀さと整った容貌は、呪いのことを知らぬ周囲に期待を持たせるには充分なもので、国内ではもっぱら「将来は歴史に名を残す王になるだろう」とささやかれている。

 だが、呪いの問題が解決しなければ、残るものは悪名だけだ。

 十歳を過ぎ、呪いの意味を理解できるようになった頃から、オスカーは自分でも解呪の方法を探したが、いくら文献を調べても、また剣の腕を磨いて手がかりがあるとおぼしき遺跡を訪れても、呪いを解くための糸口さえも得ることはできなかった。

 ──そして、あの夜から十五年が過ぎた。

 近い将来王となるべき彼は、国境を越えた西、魔女の棲むという青い塔の前に立っている。


「じゃあ行くか」

「そんな無造作に扉を! もっと慎重に開けてください!」


 ラザルの悲鳴を聞きながら、オスカーは両開きの扉を押し開けて中に踏み入った。

 見回すとそこは、広い円形の広間だ。中央部分は吹き抜けになっていて、右手に上へと登るための通路が見える。階段ではなく緩やかな坂になっている通路は、そのまま壁に沿ってせん状に上階へと伸びているようだ。他に人の気配もない塔内部を、オスカーは見上げた。


「大体記録通りか。入り口部分は」

「これで気がお済みになりましたか?」

「じゃあどんどん行くか。どんどん」


 城に残る記録によると、塔内部にはいくつもの試練があるという。そこを乗り越えて最上階まで到達できれば魔女が望みを叶えてくれる。今回の目的はそれだ。

 オスカーは腰の愛剣を確かめて歩き出す。

 手すりのない通路の先には、円形の踊り場が見えた。何やら大きな石板が立っているそこ目指して彼は通路を登り始める。こわごわ後ろに続くラザルに、オスカーは言った。


「危ないからそこで待ってろ。日が暮れるまでには戻ってくる」

「い、いえ……そういうわけには……」


 ラザルは昔から、城を抜け出すオスカーについてきては、巻きこまれてひどい目にあっている。その度ごとに泣き言を滝のように漏らしているが、まだ無謀な主人を見捨てる気はないようだ。

 オスカーはラザルの姿に微苦笑すると、前を向きなおす。

 近づいてくる踊り場は、小さな部屋くらいの大きさだ。中央に立つ石板には、数字の羅列が刻まれている。歩きながら考え始めるオスカーに、ラザルが震える声をかけた。


「殿下……あ、あれ……」

「今考えてる。規則性があるんだろうな、多分」

「そうじゃなくて! 蛇がいますよ! 蛇が大量に!」

「ちゃんと見えてる」


 踊り場の床には、所せましと無数の蛇がうごめいている。柵などないにもかかわらず蛇たちが階下に落ちて行かないのは、魔法障壁ででも囲まれているのだろう。

 オスカーは足を止めないまま身をかがめると、通路にはみ出していた一匹の頭をつかんだ。


「毒のないやつだから大丈夫だ。単に邪魔なだけだな」


 軽く後ろに放ると、ラザルが悲鳴を上げる。オスカーはそれに構わず蛇のただなかに踏み入った。石板のすぐ前まで来ると、顎に手をかけて悩む。

 上への通路は石板が塞いでいて通れない状態だ。足に絡まってくる蛇を無視しながらオスカーが考えていると、ラザルが小さな悲鳴を上げながらじりじりついてきた。

 おそらくはこれが最初の試練なのだろう。オスカーは石板を見たままうなずく。

刊行シリーズ

Unnamed Memory -after the end-VIの書影
Unnamed Memory -after the end-Vの書影
Unnamed Memory -after the end-Extra Fal-reisiaの書影
Unnamed Memory -after the end-IVの書影
Unnamed Memory -after the end-IIIの書影
Unnamed Memory -after the end-IIの書影
Unnamed Memory -after the end-Iの書影
Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉をの書影
Unnamed Memory V 祈りへと至る沈黙の書影
Unnamed Memory IV 白紙よりもう一度の書影
Unnamed Memory III 永遠を誓いし果ての書影
Unnamed Memory II 玉座に無き女王の書影
Unnamed Memory I 青き月の魔女と呪われし王の書影