第1話 アキラとアルファ ①

 少年の頭を食い千切ろうと、犬に似た肉食獣が牙だらけの大口に力を込めている。地面に倒れている少年は、その肉食獣に上に乗られて押さえ付けられながらも、左手に持ったれきを相手の大口にこんしんの力で押し当てて、何とかあらがっていた。

 肉食獣は少年にき直すどころか、異常なまでのこう筋力で獲物を瓦礫ごとおうとしている。少年の命をその硬さでかろうじてつないでいるものが、牙から伝わる圧力に屈してひび割れていく。

 少年が必死の険しい表情を浮かべながら右手の拳銃で獣を銃撃する。至近距離で撃ち出された銃弾が獣に着弾する。だがそれでも獣は死なない。むしろより強く少年に力を掛けてきた。

 引き金を引き続け、次々に着弾させる。だがそれでも獣は死ななかった。そして敵を殺し切る前に、引き金を引いても沈黙する銃口が、少年に弾切れを伝えた。


「クソッ!」


 既に眼前まで迫っている獣の顔を、瓦礫を握った左手で押し返しながら空の銃で必死に殴り続ける。抵抗を止めれば死ぬだけだと、諦めずに全身全霊の力を込めて抗い続ける。

 そして少年よりも早く、獣が先に限界を迎えた。死にかけながらも最後まで獲物を食い殺そうとしていたが、ついにゆっくりと崩れ落ち、ようやく息絶えた。

 少年は自身におおかぶさっていた獣を残った力を振り絞って退かすと、倒れたまま大きく息を吐いた。


「……考えが甘かったか?」


 そう口に出した後、思わず出た弱音をしっするように首を横に振る。


「……いや、違う! これぐらいは覚悟してた! ちょっと死にかけた程度のことで、諦めて帰ってたまるか!」


 厳しい表情で身を起こし、息を整える。命を賭けてここまで来たことに意味と価値を与えるために、気力を振り絞って立ち上がる。

 続けてペットボトルの水を頭から被り、獣の返り血でまみれの顔と頭から血を洗い流す。そして拳銃に弾丸を詰め直すと、気合も一緒に入れ直した。


「……よし。続きだ」


 広大な都市のはいきょの中を、少年は再び進んでいった。

 辺りには半壊したビルが立ち並んでいる。地面は瓦礫だらけだ。人気は無い。少年の足音も、足下の小石を蹴った音も、先程の銃声も、周囲の静寂に飲まれて消えていく。

 汚れで変色しているただの服と、整備状態の怪しい拳銃。少年はたったそれだけの装備でこの場を探索していた。それは少年の境遇を無視すれば、この場の危険性をまるで理解していない自殺まがいの装備だった。

 少年もここに来る前からそれを知っていた。そして先程殺されかけたことで、身をもって知ったつもりだった。だがそれでも、旧世界の遺跡と呼ばれるこの場所がどれほど危険なのかを正確に理解するにはほど遠かった。

 故障による暴走で目標を無差別に襲う自律兵器。既に死に絶えた製作者の命令に従って今も外敵を排除し続けている警備機械。野生化した生物兵器のまつえい。過酷な環境で突然変異を繰り返している動植物。

 それらは生物や機械の区別無く、東部に住む人々からモンスターと呼ばれている。旧世界の遺跡は、その危険なモンスター達のだ。先程少年を襲った肉食獣もその一種だ。

 少年はそれを知った上で、自分の意志で、死を覚悟してこの場に足を踏み入れた。それはその危険に見合う価値のあるものがここに有るからだ。

 その価値は実際に死にかけた後でも変わらない。だからこそ、それを求めて先に進む。スラム街の子供という安値の命よりははるかに高額なものを求めて。その自身の命を賭け金に乗せて。

 少年の名は、アキラといった。



 ここはクズスハラ街遺跡の外周部と呼ばれている場所だ。アキラが住むクガマヤマ都市から一番近い遺跡であり、また都市の経済圏内に存在する遺跡の中では最も大規模な遺跡でもある。

 モンスターに襲われた後も遺跡探索を続けていたアキラがいきを吐く。


「……ろくな物が無いな。命賭けでここまで来たっていうのに。……もっと奥まで行かないと駄目か?」


 顔を少し上げて遺跡の奥に視線を向ける。その先には高層ビルが立ち並ぶ遠景が広がっている。その光景は無数のビルで形作られた地平線の先まで続いていた。

 かすむ遠景から軽く判断しただけでも、奥の建物ほど規模も巨大で外観の状態も良い。周辺の半壊した建物の状態とは雲泥の差があった。


(何とかしてあそこまで行けば、すごく高値の遺物が手に入る、か?)


 得られるかもしれない大金がアキラの欲を刺激する。わずかに悩み迷ったが、すぐに嫌そうに首を横に振り、自分に言い聞かせるように口に出す。


「いや、無理だ。流石さすがに死ぬ」


 廃墟と化している周囲と、立派な景観を維持している奥部。その差異はその状態を維持する環境の差だ。

 つまり、奥部では旧世界時代の高度な自動整備修復機能が現在でも稼働しているのだ。その周辺の警備機械なども、当時の驚異的な技術で製造された高い性能を維持したまま稼働しており、部外者の侵入を武力で排除し続けている恐れが極めて高い。

 それらの警備機械が警備する区域から、アキラのような子供が生還する可能性など皆無だ。


「この辺だって、俺には厳しいんだ。やめろ。これ以上奥には行くな。……よし」


 アキラは何とか欲を振り払ってその後もしばらく遺跡探索を続けたが、これといった成果は無かった。軽く項垂うなだれて溜め息を吐く。下がった視線の先には白骨死体が転がっていた。

 既に似たような白骨死体を数回見付けている。その都度、所持品でも残っていないかと死体の周囲を探してみたのだが、金目の物は全く見付からなかった。


(……この先客も所持品は無しか)


 既に誰かが持ち去った。あるいは自分と同程度に無謀な者が、ろくに装備もそろえずにここに来て、その無謀に相応ふさわしい末路を迎えただけ。アキラはそう思って少し憂鬱になっていた。


(……このままだと日が暮れる。不味まずいな。今日はもう帰るか? 下手に意地を張って残れば、この白骨死体の仲間入りだ。危険な遺跡から生還した。その経験が最大の収穫だってことにして……)


 アキラが無意識に顔をゆがめる。思い付いた言い訳は、何でも良いから成果が欲しいという未練を消し去るには弱かった。

 既に一度モンスターと戦って死にかけている。ここで帰ってしまえば、その命賭けの勝利すら完全な無駄骨となる。それを嫌がる心が、アキラの決断を鈍らせていた。

 探索継続か、それとも撤退か、顔をしかめながら悩み迷う。頭の中でてんびんが揺れ動く。だが選択を迷う程度には、無意識に理解もしているのだ。このままずるずると探索を続けてしまい、闇夜の中でモンスターにまた襲われるようなことになれば、次は死ぬと。

 その思いが選択の天秤をわずかな諦めと共に撤退の方へ大きく傾け始めた時、アキラの目の前を小さな光る何かが横切った。


(……何だ?)


 光は夕暮れのビルの影の中を揺れながら宙を飛んでいる。発光しながら飛ぶ指先よりも小さな虫の、その淡い光だけが浮いているように見える。

 アキラはわずかに警戒したが、遺跡にせいそくするモンスターには見えず、すぐに警戒を解いた。そのまま淡い光に釣られて視線を動かしていくと、通りの先、乱立する廃ビルの陰からより強い光が漏れていた。淡い光は通りを進み、通りの角から漏れる光の中に溶けていった。

 怪訝な顔でそちらを見ていると、他にも複数の淡い光がアキラの後ろから顔の横を通り過ぎていき、通りの角の先へ向かっていく。振り返って後ろを確認するが、その先には暗がりが広がるだけで、向かってくる光などは確認できなかった。

 もう一度角の方を見る。するとまた淡い光が自分の後ろから角の先へ向かっていく。アキラは訳が分からず困惑していた。ただ、廃ビルの暗がりの中で見るどこか幻想的でもある光は、ひどく興味を引かれるものだった。

刊行シリーズ

リビルドワールドIX〈上〉 生死の均衡の書影
リビルドワールドVIII〈下〉 偽アキラの書影
リビルドワールドVIII〈上〉 第3奥部の書影
リビルドワールドVII 超人の書影
リビルドワールドVI〈下〉 望みの果ての書影
リビルドワールドVI〈上〉 統治系管理人格の書影
リビルドワールドV 大規模抗争の書影
リビルドワールドIV 現世界と旧世界の闘争の書影
リビルドワールドIII〈下〉 賞金首討伐の誘いの書影
リビルドワールドIII〈上〉 埋もれた遺跡の書影
リビルドワールドII〈下〉 死後報復依頼プログラムの書影
リビルドワールドII〈上〉 旧領域接続者の書影
リビルドワールドI〈下〉 無理無茶無謀の書影
リビルドワールドI〈上〉 誘う亡霊の書影