第1話 アキラとアルファ ②

 アキラはしばらく立ち止まっていた。だが少し迷ってから角の方へ進み始めた。光源は不明だが、何か有るかもしれない。命を賭けてここまで来たのだ。何でも良いから成果が欲しい。その思いが勝ってしまった。

 欲と興味に負けたアキラが、警戒しながら角の先をのぞむ。そしてその先の光景を見た途端、衝撃で硬直した。

 アキラの視線の先では、小さな淡い光が集まって大通りの一部を輝かせていた。その幻想的な光景の中心に、一人の女性が立っていた。

 女性は神秘的で非現実的な美しさを備えていた。更に端麗なようぼうと美麗な肢体を余す所無く周囲にさらしていた。つまり全裸だった。

 肌はスラム街の住人のものとは比べようも無いほどに美しく、きめ細やかな肌の光沢は、都市の上位区画に住む女性達が財と執念と旧世界の技術を以て磨き上げた輝きを超えていた。

 肢体の美しさは芸術的ですらあり、腰まで伸びたわずかな劣化も見られない髪が見事な艶を放っている。老若男女問わずれるであろう顔立ちに浮かぶりんとした表情が、そのたたずまいを際立たせていた。

 魂を奪われる。そう表現できるほどにアキラは彼女に見惚れていた。彼女の飛び抜けた美しさは、アキラのさほど長くない人生の中で見た全ての女性と比べても、比較対象に想像さえ含めても、比類無きものだった。アキラの中にある美人の基準を一目で大幅に書き換えていた。





 アキラの後ろから飛んできた淡い光が、彼女の指先に止まる。光が彼女に吸い込まれるように消える。彼女がまとっている輝きがわずかに増した。その光景に、アキラは魅入られていた。

 自身の指先に向けられていた彼女の視線が、不意にアキラの方へ向けられる。アキラと彼女の目が合う。彼女はアキラにその裸体を余す所無く見られているのにもかかわらず、アキラをじっと見詰める以上の反応を返さなかった。その所為せいでアキラも我に返る契機を失い、そのまま彼女をじっと見続けていた。

 不意に、彼女が非常にうれしそうに笑う。そして、一歩アキラに近付いた。

 見知らぬ誰かが自分に近付こうとしている。その認識がわずかな警戒心を抱かせた。その瞬間、アキラは一気に状況を理解し直した。ほうけていた表情を激変させると、おびえすら感じられる非常に険しい表情で彼女に銃を向け、叫ぶように制止する。


「動くな!」


 彼女は異常の塊だった。

 旧世界の遺跡は危険なモンスターの住み処だ。訓練を積んだ武装集団ですら死にかねない場所だ。彼女はそのような場所に一人で武器も持たずに隠れもせずに立っている。辺りを警戒する素振りすら無い。衣服を何一つ身に着けておらず、裸体を隠そうともしない。ビル風が砂やほこりを巻き上げているのに、髪にも体にもわずかな汚れすら付いていない。

 加えて見知らぬ誰かから銃を突き付けられていて、更に震えで誤って引き金を引いても不思議の無い状態だと一目で分かるのにもかかわらず、彼女は全く動揺せず、一切警戒せず、危機感の欠片かけらも感じさせない態度でアキラに近付いてくる。

 気が付けば、周囲の幻想的な光は全て消え去っていた。幻想を取り除かれてただの暗がりに戻った廃墟を背に、裸体のまま笑って近付いてくる彼女の姿は、異質そのものだった。

 既にアキラは彼女に対する認識を、極めて得体の知れない未知の何かに切り替えていた。微笑ほほえみながら近付いてくる彼女に向かって、再び叫ぶように警告する。


「う、動くなって言ってるだろ!? それ以上近付くな! 撃つぞ! 本気だぞ!」


 普段のアキラなら警告などせずに既に撃っている。相手が丸腰だと一目で分かること。彼女の表情から敵意を感じられないこと。訳の分からない状況で混乱していること。それらがアキラの指を鈍らせていた。

 しかしそれにも限度がある。警告を無視して近付いてくる相手に引き金を引こうとする。

 その瞬間、彼女の姿がアキラの視界からこつぜんせた。アキラはまばたきすらしていなかった。だが彼女がどこかに素早く移動したような過程は全く見えなかった。一切の前触れ無く、一瞬で、完全に姿を消していた。

 アキラの顔がきょうがくで激しく歪む。混乱しながら周囲を見渡すが、彼女の姿はどこにも見えない。


『大丈夫。危害を加える気は無いわ』


 自分の真横から、誰もいないはずの場所から、アキラは彼女の声を聞いた。反射的に声の方へ顔を向けると、すぐ横、手を伸ばせば届く至近距離に彼女がいた。いつの間にか服を着て、目線を合わせる為に少しかがんだ体勢で、微笑みながらアキラをじっと見ていた。

 この異常な状況は、既にアキラの未知への対応力を超えていた。超過した精神負荷がそのまま得体の知れない恐怖に変換され、アキラの精神をむしばみ始める。

 アキラはその恐怖に歯を食い縛って耐えていた。半狂乱になって慌てふためくのを何とかこらえていた。正気を失った者から死ぬ。スラム街で生き延びた経験がアキラの意識を支えていた。

 アキラが再び銃を彼女に突き付けようとする。銃を握ったまま腕を彼女の方へ伸ばし、必死に銃口を押し当てようとする。

 本来その動作は出来ないはずだった。彼女との距離が近過ぎる所為で、腕を伸ばすと彼女にぶつかるからだ。

 しかし、それは出来てしまった。アキラがその動作を終えた時、アキラの両手は彼女の胸に手首までめり込んでいた。

 両手からそこに何かが有るという感触は一切伝わってこない。視覚を信じる限り、彼女は確かにそこに存在する。だが両手の触覚は、そこには何も無いとアキラに示し続けていた。

 余りの出来事にアキラは銃を構えた体勢のまま思考を停止した。両手は彼女の胸にめり込んだままだ。

 彼女はアキラの反応を取り戻そうとして、しばらくの間目の前で手を振ったり声を掛けたりといろいろ試していた。だがアキラはそのままぼうぜんとし続けていた。



 かつて世界をせっけんしていた高度な文明が滅び、半壊した都市の跡、原型を失いつつある建造物、壊れて動かなくなった道具などから、かつての英知と栄華を想像するのが困難になるほどの長い年月が流れた。

 雨粒さえも改造され作り替えられた世界で降る雨は、その膨大な年月の中で、地平の果てまで続く廃墟を崩壊させ続けながら、天まで届く木々を育て、地上に住む者達の命を支え続けていた。

 今では旧世界と呼ばれる過去の文明は、その高度な技術で多くのものを生み残した。

 材質不明の瓦礫の山。半分崩壊したまま宙に浮かぶ高層ビル群。服用するだけで四肢の欠損すら治療する薬。そして、人を殺すには余りにも過剰な威力の兵器群。他にも様々なものが、その文明が滅んだ後も、世界中に散らばっている。

 それらは今では旧世界の遺物と呼ばれている。かつての英知と栄華、その欠片だ。

 人々はその欠片をあつめ、長い時をかけて人類社会を再構築した。万能な魔術と見間違うほどの高度な科学力を誇った文明さえ滅ぼした何かですら、その担い手である人類を滅ぼすことは出来なかったのだ。


 人類の生存圏の東部と呼ばれる地域には、統治企業と呼ばれる組織が管理運営する企業都市が無数に存在する。クガマヤマ都市もその一つだ。

 クガマヤマ都市はその一部を巨大な防壁で囲っている。壁の内側も外側もどちらも同じクガマヤマ都市なのだが、そこには明確な格差が存在していた。

 防壁の内側には、企業の幹部などの富裕層や権力者達が住む上位区画と、比較的裕福な一般人が住む中位区画が存在している。外側は下位区画であり、主に経済的な事情で防壁の内側に住めない者達が住んでいる。都市の外である荒野と呼ばれる危険地帯に近い部分には、スラム街も広がっていた。

 アキラはスラム街に幾らでもいる子供達の一人だ。

 つまり、サイボーグのような機械的強化処置もされておらず、生体改造のような生物的強化処理も受けておらず、ナノマシン等による身体能力の強化も施されていない、身体的にごく普通の子供だ。

刊行シリーズ

リビルドワールドIX〈上〉 生死の均衡の書影
リビルドワールドVIII〈下〉 偽アキラの書影
リビルドワールドVIII〈上〉 第3奥部の書影
リビルドワールドVII 超人の書影
リビルドワールドVI〈下〉 望みの果ての書影
リビルドワールドVI〈上〉 統治系管理人格の書影
リビルドワールドV 大規模抗争の書影
リビルドワールドIV 現世界と旧世界の闘争の書影
リビルドワールドIII〈下〉 賞金首討伐の誘いの書影
リビルドワールドIII〈上〉 埋もれた遺跡の書影
リビルドワールドII〈下〉 死後報復依頼プログラムの書影
リビルドワールドII〈上〉 旧領域接続者の書影
リビルドワールドI〈下〉 無理無茶無謀の書影
リビルドワールドI〈上〉 誘う亡霊の書影