プロローグ はじまりは婚約破棄から ①

「レイユエール王国の第一王子、レオル・バーグ・レイユエールが宣言する────シャルロット・メルセンヌよ。今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」


 そこは、王宮が主催するパーティーの場であるはずだった。

 華やかなドレス。きらびやかなシャンデリア。窓の外で輝く夜空の星々は、まるで天にちりばめられた宝石のよう。そういった複数の要素によって形作られた、繊細なガラスのような空間を粉々に砕くかのように────俺の兄が婚約者に対して婚約破棄を突き付けていた。

 ……えっ。ナニコレ。何が起こってるんだ。

 今夜のパーティーは、魔法学園に通うレオにぃが高等部の三年生に進級したことを祝ってのものである。まあ、それでいうと弟である俺も中等部の三年生から高等部の一年生になったということで、それも兼ねてはいる。表向きは。……つまるところ、この王宮主催のパーティーの主役とは言わないまでも準主役ぐらいの立ち位置にはいるはずで、何かイベントがあるなら耳に入ってこようというものなのだが……このような婚約破棄イベントは聞いていない。


(レオにぃの独断ってことか? それにしたって、なんで婚約破棄を……)


 俺も含めて、全員の視線がシャルロット────婚約破棄を突き付けられた、公爵令嬢に集まる。

 同学年ということもあって、としは俺と同じ十五歳。確か今年で十六になるはずだ。

 夜空で輝く星を思わせるほど美しい、長い金色の髪。陽光がきらめく海のように美しくあおい瞳。

 抜群のプロポーションを持った身体からだを上品なドレスで包み込み、りんとした美しくも芯のある華を思わせる少女……メルセンヌ公爵家のご令嬢、シャルロット・メルセンヌ。

 されど今は、その華にも動揺が強く表情に現れている。


「理由は分かるな? シャルロット」

「……いえ。心当たりがありません」

「白々しい。貴様がルシルに対して行った数々の非道を、このオレが知らないとでも思ったか!」


 レオにぃそばには、いかにも「え? 私、何も悪くありません」みたいなツラをした少女がいた。あれは確かここ最近、レオにぃが夢中になっているとかいう平民の子だ。

 ショートボブの髪に甘い印象を抱かせる桃色のドレス。小動物のような愛らしさは、なるほど確かによくをくすぐられるのだろう。


「非道……? 一体なんのことですか?」

「とぼける気か! ぼうちゅうしょうに脅迫。挙げ句の果てには階段から突き落としたそうではないか!」

「なっ……!? ご、誤解です! 私はそのようなことは一度も……!」


 しているわけがない。

 シャルロットとは幼い頃から交流があった。何しろ兄である第一王子の婚約者だ。

 彼女のことはそれなりに知っているし、仮にレオにぃの言うような悪人だったとして……優秀な彼女が、証拠をつかませるようなミスをするとは思えない。


「とぼけるつもりか? 証言者もいるのだぞ?」

「証言者? …………ぐっ!?」


 瞬間。レオにぃの傍に居た二人の学生が放った鎖がシャルロットの身体に絡みつき、彼女を拘束する。更には鈍い光を宿す鋼鉄の首輪が容赦なくかけられ、シャルロットはひざまずかざるを得なくなった。


(あの首輪……『魔力封じ』か! しかもあのタイプは、重罪人用の拘束具……おやが留守にしてるからって、なんてもんを引っ張り出してんだ!?)


 これでは大勢の目の前で罪人だと断定したようなものだ。俺が知る限りだと、あのルシルとかいう女への嫌がらせをシャルロットが行ったという確たる証拠はそろっていない。そんな状況で、たかが学生同士のいざこざ程度で公爵家令嬢を重罪人扱いだなんて馬鹿げてる。


「お待ちくださいレオル様、私の話を────」

「黙れ! 貴様の意見など聞いてはいない!」


 おいおい……マトモに会話する気もないのかよ。


「シャルロット。元婚約者としての慈悲だ。ここでルシルに謝罪する機会をやろう」

「…………ッ……!?」


 突然の謝罪要求にシャルロットの瞳が激しく揺れ動く。


「謝罪、ですか……?」

「そうだ。ルシルに対するこれまでの悪行と、己の所業をびろ」


 あまりにも一方的な物言いに、シャルロットも口を閉ざしている。いや、懸命に堪えているといった方が正しいか。きっと今口を開けば、えつが漏れてしまうからなのかもしれない。



「────もしや、本当に?」



 レオにぃの言葉をきっかけに、周囲のざわめきも次第に大きくなっていく。



「あのシャルロット令嬢が本当に平民を虐げていたと?」

「てっきりうわさ程度だと思っていたが……」

「だが第一王子があそこまで堂々と追及され、罪人用の拘束具まで用意されたとあっては……」

「シャルロット様は立派な婚約者だと思っていたのだがな」

「人にはどのような裏の顔があるか分かりませんなぁ」



 気づけば拘束されたシャルロットの周りには誰もおらず、彼女は一人ぼっちになっていた。

 周囲の貴族たちはただ彼女を遠巻きに眺めるだけ。誰も助けようとはしない。それどころかレオにぃの言葉を信じ切ってしまっている。


「わた、しは…………」


 シャルロットは周囲を見渡して、自分の味方が一人もいないことを思い知ったらしい。……長い付き合いの中。これまでおよそ見たことがないような絶望の色が、その瞳を染め上げていた。


「わたしはッ…………!」


 拳を握る。歯を食いしばる。されど、涙すらも振り切って。


「私は────やってもいないことを謝罪するなど、出来ません!」


 言い切った。

 強く。強く。強く。真っすぐに前を見て。彼女が正しいと思ったことを、言葉にしてみせた。


「貴様……正気か? 我らがくれてやった慈悲を……」

「正気を取り戻すのはレオル様です」

「なんだと……?」

「今のあなたは明らかに正常な判断が出来ておりません。レオル様の御心が離れてしまったというのなら……その非は私にあります。それ自体は構いません。第一王子の望みとあれば、私は喜んで身を引きましょう。しかし、元より私たちの婚約はただの口約束ではなく、王家と公爵家の間で結ばれた正式なもの。両家の許可なく……ましてや一個人の感情で投げ捨ててよいものではありません」

「オレとルシルは真実の愛で結ばれている! かび臭いしきたりなど、蹴散らしてくれるわ!」


 あー……ダメだこりゃ。

 ああなったレオにぃを言葉で止めるなんて無理だ。そして今、この場にシャルロットの味方もいない。このままじゃ彼女は最悪、婚約破棄だけじゃ済まない。

 ────さて、ここで問題だ。

 ぎぬを着せられた少女を救う英雄ヒーローがどこにもいないなら……どうする?



 シャルロット・メルセンヌは途方に暮れていた。

 彼女には夢があった。このレイユエール王国を誰もが仲良くできる国。笑い合える国にしたいと。だからこそ、王を支える良き王妃となるために生きてきた。相応の努力も積み、正しく在ろうとしてきた。そうすれば、皆がついてきてくれると信じて。

 その結果が────これだ。

 シャルロットをかばう者はいない。それどころか罪人だとさえ思われている。


(私は…………私の、してきたことは……)


 全て無駄だった。

 自分のしたことは結局、何一つとして報われることがなかった。

 誰も……シャルロット・メルセンヌという少女のことなど見ていなかった。

 この状況がその証拠だ。誰一人からも信じてもらえず、罪人扱いの視線を浴びせられて。

 味方も。救いも────どこにもありはしない。

 有るのは絶望。底知れぬ奈落。

 此処ここ英雄ヒーローなど、現れはしない。



「────クッ……ククッ……アハハハハハハハハハッ!」



 笑い声が。否。わらい声が、空気を裂いた。


「えっ……?」


 振り向くと、人の輪を切り裂くようにして、一人の少年が歩み寄ってきた。

 漆黒の髪。夜色の瞳。本来、王族ではありえぬはずの色を有した少年。

刊行シリーズ

悪役王子の英雄譚3の書影
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悪役王子の英雄譚 ~影に徹してきた第三王子、婚約破棄された公爵令嬢を引き取ったので本気を出してみた~の書影