プロローグ ①
「んー! 今日もいいお天気!」
シャルダン国王都から少し東。
低い山に囲まれたのどかなケイフォード伯爵領は、すっかり初夏の装いだった。
ここのところ快晴続きで、
ケイフォード伯爵領の修道院でシスター見習いをしているエルシーは、空に向かって大きく伸びをすると、竹を編んで作った大きな籠の中から洗ったばかりのシーツを取り上げた。
修道服のベールの下の銀色の髪が、
今日の空のように青い瞳は、無邪気な子供のようにキラキラと輝いていた。
「絶好の洗濯日和ね!」
青空の下でパンッとシーツを広げると、なんとも言えない爽快感を覚える。
シーツを干した縄の端っこはオレンジの大木の枝にくくりつけられていて、洗濯物をかけるたびに小さな葉擦れの音を立てる。
オレンジの木の奥には、大人の背丈よりも高い分厚い灰色の壁があり、それはエルシーが五歳の時から十一年間すごしている修道院を、まるで外界から遮断するかのように取り囲んでいた。
決して広くはない庭では、四歳から十歳までの子供が笑い声を上げながら走り回っている。
彼らはこの修道院で預かっている子供たちだ。
「あなたたち、ボール遊びはいいけど、洗濯物にぶつけたらダメよ?」
その子らの手に土で汚れた古いボールが握られているのを見て、エルシーは腰に手を当てて注意をする。
子供たちは「はーい!」と元気な声を上げたけれど、あの反応は、理解しているのかしていないのか少々怪しいところだった。
おとといも洗ったばかりの洗濯物を泥だらけにされたエルシーは、洗濯物を干す場所を移動した方がいいかしらと考えたが、修道院の裏はここよりもずっと日当たりが悪い。
「院長先生に相談かしらね」
子供たちに遊びを我慢させるのも忍びない。幼い子供たちは夢中になったら言いつけられたこともうっかり忘れてしまうので、洗濯物を本気で守りたければ彼らに遊びを我慢させるか、洗濯物を干す場所を変えるしかないのだ。
十一歳より上の子らは、この時間は近くの学校に通っている。
修道院で面倒を見ている子らは、それぞれの理由から親が育てられなくなって預けられている子がほとんどだ。中にはエルシーのように、幼いころに親に捨てられた子供もいる。そんな子らを分別ある大人に育て上げ、時が来たら社会に送り出すのがこの修道院の役目だった。
エルシーのように、成人である十六歳になっても居残って、シスターを目指す子供がいないわけではないが、多くはここを出て独り立ちしていく。
この春にも一人、十六歳になったエルシーの友人が、貴族の
それを
(って、わたしはグランダシル様のお嫁さんになるって決めたんだから! それはとても名誉なことなのよ!)
グランダシルとは、シャルダン国で信仰されている神の名だ。
シャルダン国は信仰の自由が許されている国で、国内にはいくつもの宗教が存在するが、グランダシル神が一番広く信仰されている。国教というほどではないが、それに近い扱いだ。
そして、シスターになることを、俗に「神様のお嫁さんになる」と言う。シスターは生涯独身ですごすことが義務づけられているからだ。
洗濯物を干し終えたエルシーは、子供たちがボールをぶつけないか心配しつつも、いつまでもここで子供たちの監視をしているわけにもいかないので、レンガ色の建物の中へ戻った。
シスター見習いであるエルシーは、このあとシスターたちとともに礼拝堂の掃除をしなければならない。
シスター見習いも、ほかのシスターと同じように、禁欲的な露出の少ない紺色の修道服を着せられる。
修道服はくるぶしまで丈があるので、走ろうと思っても裾が邪魔をしてろくに走れない。エルシーは洗濯籠を洗い場に置くと、できるだけ急ぎ足で礼拝堂へ向かった。
ひんやりとした礼拝堂の中に入ると、すでにシスターたちが掃除をはじめている。
遅れたことを
「いいのですよ。エルシーは毎朝洗濯物を干してくださっているのですもの」
修道院の仕事は、シスターやシスター見習いが当番制で行っている。時には子供たちも手伝ってくれるけれど、洗濯だけはここ何年もずっとエルシーが担当していた。
それは、エルシーが誰よりも早起きで、そして誰よりも洗濯の仕事が好きだからにほかならない。汚れた服を洗って、青く晴れた空の下に干すあの爽快感を味わいたくて、自ら率先してやっているのだ。
「ほんと、エルシーって変わってるわよね」
「見習いだけど、わたくしたちの中で一番シスターらしいんじゃないかしら」
「たまにドジで抜けてるけど」
「ま、そこがエルシーのいいところよ」
「でも、洗濯物を汚されたからって、修道服の裾をたくし上げて子供たちを追いかけるのはどうかと思うわ」
「洗い直しになった悔しさはわからないでもないけど、そんなことをするからあの子たちに
ここにいるシスターたちは、エルシーを五歳の時から知っているので、みんな姉や母のような存在だ。
くすくす笑いながら雑巾がけの手を止めてからかってくる。
エルシーは肩をすくめた。
子供たちがエルシーに怒られても怖がらないことはよく知っている。シスターたちは皆穏やかで優しいが、おっとりしているイレーネですら怒るととても怖いことで有名で、子供たちは全員シスターの言うことはきちんと聞くのだ。エルシーの注意も聞いていないことはないのだが、恐れられていない分、耳半分でしか聞いていない。
「だから洗濯物の干す場所を変えられないかと思って」
エルシーが言えば、シスターたちはそろって首を
「あら、でもあそこが一番日当たりがいいのよ?」
「あの木が一番縄をくくりつけるのにちょうどいい高さだし」
「洗い場からも近いから、干すのも楽でしょう?」
シスターたちの言う通りだ。しかし、こうも頻繁に洗濯物を泥んこにされてはたまったものではない。
(どうしたものかしらね……)
全員が一斉に振り返り、慌てて頭を下げる。院長のシスター・カリスタだ。
シスター・カリスタは今年で六十になる。穏やかで優しい性格で、エルシーがここに入れられた時からずっと院長だった。かつては、没落した子爵家の令嬢だったらしく、立ち振る舞いはここにいる誰よりも気品がある。
「盛り上がっているわね。なんのお話?」
カリスタは無駄話をしていることを
「洗濯物の干し場を変えられないかと相談していたんです」
エルシーが答えると、子供たちが頻繁に洗濯物を汚すことを知っているカリスタは、「そうねえ」と頰に手を当てて考えてから言った。
「でも、洗濯物の場所を変えるのは大変だと思うわ。ロープを張りなおさないといけないし」
「じゃあ、子供たちの遊び場を変えられませんか? あ、ほら! 梨園! あそこなら広いし、ここの隣だから安心ですよね」
梨園は、修道院のすぐ隣にある。
梨園を営んでいる老夫婦が引退を決めて、後継ぎもいないから、よかったら修道院で活用してくれないかと申しでてくれたのだ。
梨の実は貴重な食料になるし、多くとれた分はバザーで売れば収入にもなる。断る理由はないと、カリスタは二つ返事で了承し、先月からシスターたちが管理をしていた。
梨の木と木の間は広めに間隔がとられているので、子供たちが走り回る分も問題ない。
「エルシーっていつもはボケボケしてるけど、たまに名案を思い付くわよねえ」
「意外と周りをよく見てるのよね」
シスターたちが感心したように言い、カリスタも少し考えたあとで
「そうね、そこならいいかもしれないわね」
「やったあ! わたし、ちょっと子供たちに言ってきます!」
「あ、ちょっと、エルシー!?」



