身代わりの妃候補 ⑤
「次に衣食住の食に関するルールをご説明いたします。食材は毎朝、侍女を含めて三人分のものをお届けいたします。そちらを使って自ら調理してください。ゴミは毎日夕方に回収いたしますので、裏口の前に出しておいていただければ結構です。食材に関しましては多少であれば希望を受け付けますので、必要なものがあれば三日前に侍女を通してわたくしまでご伝達いただけますと幸いです」
「……ジョハナ様、食事をお妃様自らお作りになれと?」
ドロレスが口を挟むと、ジョハナは神経質そうにぴくりと眉を動かしたけれど、親切にも答えてくれた。
「陛下のご命令です。作るのはお妃様でもあなたがたのどちらかでもかまわないのですよ。続けてよろしいですか?」
「……かしこまりました。どうぞ」
ドロレスは納得していなさそうだったけれど、
「最後に衣食住の住に関することでございますが」
ここまで来れば、何を言われるのかは想像がついた。
「掃除をすればいいんですよね?」
エルシーが思いついたことを述べると、ジョハナは少し目を丸くして、首肯する。
「お話が早くて助かります。その通りでございます。お使いになる建物の掃除はご自身たちで行うようにと陛下のご命令です」
「異議を申し立てます」
最後まで聞き終わったあと、ダーナが挙手しそう言った。
「異議は受け付けられません」
ぴしゃりとジョハナが言い返す。
「しかし、セアラ様はお妃様候補ですよ? いくらなんでもあんまりです」
「そう思うならあなたがすればいいのですよ、ダーナ」
ジョハナはそう言うが、妃候補につけられる侍女たちは全員貴族出身者だという。洗濯も料理も掃除も経験したことがないだろう。ダーナは悔しそうに唇をかんだ。
でも心配ご無用。修道院育ちのエルシーは裁縫も料理も掃除も得意分野。洗濯に至っては趣味とまで言い切ることができる。どーんと大船に乗ったつもりでいてくれてかまわない。
「ご質問は?」
ジョハナがそう言ってエルシーに視線を向けた。
エルシーはにこりと微笑んだ。
「ございません。あ、やっぱりありました」
そうそう、うっかりしていた。これを確認しなくては。
ジョハナが小さく目をすがめて、「どうぞ」と促したので、笑顔のまま続ける。
「礼拝堂の掃除も、わたくしがしていいんでしょうか?」
ここに来たときからずっと厳しい表情だったジョハナは、その質問にはじめて表情を変えた。
「……はい?」
ジョハナの顔が
「ダメ、ですか?」
礼拝堂の掃除も日課だったから、できれば行いたかったのに。
(そうよね。だって礼拝堂はお妃様候補全員のものだから、わたし一人が独占したらダメよね)
だったらせめて当番制で、十三日に一度だけでもいいから掃除をさせてくれないかなあと思っていると、ジョハナがこめかみを押さえながら言った。
「……お好きにどうぞ」
エルシーはぱあっと顔を輝かせて、それを見たダーナとドロレスが「はーっ」と息を吐きだした。
「お妃様、悔しくないんですか?」
ジョハナが去ったのち、二階のエルシーの部屋で、用意されているドレスなどを確認しつつダーナが言った。
ドロレスも、服と一緒に用意されていたいくつかの布地と裁縫道具一式を確かめて、「自分で服を作れなんて……」と茫然としている。
しかし、親切にも部屋の中にはトルソーまで用意してくれているから、服を作れる環境は整っている。ドレスなんて難しいものは作れないだろうが、簡単なワンピースくらいなら問題ないだろう。服作りや繕い物なら、シスターと一緒にやっていた日課の一つだ。
「自慢じゃありませんが、わたくし、針仕事はどうも苦手で……」
ドロレスが心の底から嫌そうな顔でそう言った。
「大丈夫、わたくし、そういうの得意だから! これでも意外と器用なのよ! 二人の分もわたくしが作るわ!」
自信満々に言えば、二人そろって「ああ……」と頭を抱える。
「お妃様、これは充分怒っていい状況ですよ?」
「そう? でも、用意されている布はどれもすっごく高いやつだと思うんだけど……。ほらみて、これなんてすっごくすべすべしてるわ! 絹かしら? 絹よね!?」
「高級な布であればいいという問題ではありません!」
ダーナがぴしゃりと言ったけれど、結局どれだけ文句を言っても状況が覆らないとわかっているのか、何度目かのため息をついたまま沈黙してしまう。
ダーナとドロレスが二人そろって悲壮な顔で布地を睨んだまま動かないので、エルシーはこの部屋のことは二人に任せて、ほかを確認しに行くことにした。
一階はダイニングとキッチンと風呂場がある。
二階にはエルシーの部屋とダーナたちの部屋。
裏と表にはそれぞれ小さな庭があって、腰ほどの高さの柵でぐるりと囲まれているから、柵の内側がエルシーが自由にしていい範囲なのだろう。井戸は裏庭にあった。
一階の玄関の横には物置があって、掃除道具が詰まっている。
庭には何も植えられていない。エルシーは一度部屋に戻って、持ってきたトランクを開けた。川辺でタンポポとヨモギを採取する際に、タンポポの綿毛も取って来ていたのだ。
庭にはタンポポが生えていなかったから、この種を使って栽培しよう。適当にまいて水をやっておけば勝手に生えてくるだろう。たぶん。
(便秘症ってほどじゃないんだけど、たまになるとひどいからタンポポ茶は常備しておかないとね)
まだ川辺で採集したものが残っているけれど、大量にあるわけではない。
庭の裏手にタンポポの種をまいて、エルシーは今度はキッチンへ向かった。
今日の分の食材はすでにキッチン台の上に置かれていて、三人分とは思えないほどたくさんある。
(なんだ、とっても親切じゃないの)
ダーナたちは悲観しているが、生活するのに困らないだけのものが用意されているのだ。どこに悲観する必要があるだろう。
食事を作って、洗濯をして、掃除をして、裁縫をする。修道院での生活となんら変わらない。いや、食材も布も掃除道具も何もかも用意されているだけ、こちらの暮らしの方が何倍も楽だ。
お妃候補なんてとんでもないものの身代わりにさせられたと思ったけれど、これならば楽しく暮らしていけそうである。
エルシーは食材の中で発見したカボチャを抱えて、二階に駆け上がった。
「ねえ、ダーナ、ドロレス、夕食はカボチャのポタージュなんてどうかしら?」
まだ布を見つめて沈痛な面持ちをしていた二人は能天気なエルシーの声に顔を上げ、そろって大きく息を吐きだした。
「……前から思っていましたけれど、お妃様、本当に変わっていらっしゃいますわね」
エルシーは、きょとんと首を傾げた。



