身代わりの妃候補 ④
真面目な顔をしてエルシーが言えば、ダーナはすっかり毒気を抜かれたような顔をした。
「物理的なお話をしているわけではないんですが……もういいです」
そう言って、馬車の窓から外を眺めて、そろそろ休憩場所だと告げる。
「もうすぐ川がありますから、そのほとりで休憩になります。休めるときに休んでください。座ったままとはいえ、三日も続けば体への負担も大きいですから」
馬車はそれなりに揺れる。ここから先、舗装した道ばかりではないそうなので、道の状態によってはさらに揺れが激しくなるだろう。
修道院から出たことのないエルシーは、すでに馬車に揺られ通しでお尻が痛くなっていたから、休憩は非常にありがたかった。
(川か。この時期なら、ヨモギの新芽とかたくさん取れそうね。タンポポもたくさん生えていたら少しもらっていこうかしら)
エルシーはシスターたちと近くの山や川のほとりで野草を摘んでは調理していたから、食べられる草に詳しい。タンポポはサラダにしてもいいし、根っこは乾燥して
川の近くで馬車が
土手に座って、せっせとヨモギとタンポポを摘んでいると、ダーナとドロレスが不思議そうな顔をする。
「何をしていらっしゃるんですか?」
「ヨモギとタンポポを摘んでいるの。食べられるのよ、これ」
「……はい?」
「食べられる?」
ダーナとドロレスがそろってぽかんとした顔になった。どうやら二人は、ヨモギとタンポポが食べられることを知らなかったらしい。
「お茶にして飲んでも体にいいの」
ヨモギ茶は貧血症状にきくし、タンポポ茶は便秘にきく。これはカリスタが教えてくれたことで、この二つのお茶を飲んでいると体調がいい。ケイフォード伯爵家に連れてこられてから飲んでいなかったからか、最近ちょっと便秘気味なので、特にタンポポは多めに採集していきたかった。
納得してくれたのか、二人はそろって沈黙している。
広げたハンカチの上にせっせとヨモギとタンポポの根を採集していると、泥だらけになったエルシーの手を見て、ダーナが嘆息した。
「……馬車に戻る前に、せめて川で手を洗ってくださいね」
それはもちろん、タンポポの根もヨモギも洗わなくてはならないからついでに手も洗うつもりである。
広げたハンカチいっぱいのヨモギとタンポポの根を採取し終えたところで、休憩時間が終わりを告げた。
馬車に戻って、川で洗ったヨモギとタンポポを座席の上に広げて乾かしていると、対面座席に座っているダーナが額を押さえ、ドロレスがおっとりと頰に手をやった。
「面白い方」
ドロレスが小さくつぶやいて、くすりと笑ったけれど、面白い人がどこかにいたのだろうか。
「どなた? あ、あのトサカみたいな
きっと護衛騎士の誰かのことだろうと、窓の外を見やってあたりをつければ、ダーナが言った。
「あの方は第四騎士団の副団長であるクライド様でございます。トサカなんて……滅多なことを言うものではありませんわ」
そう言うダーナの肩が小さく震えている。口元もぴくぴくしているからどうしたのかと思えば、隣でドロレスがあきれ顔で言った。
「もう。ダーナってば、素直に笑えばいいのに。トサカなんて……ふふ、ぴったりだと思わない?」
ドロレスが窓の外を
そののち、王宮につくまでの三日間、クライド副団長は三人にひそかに「トサカ団長」と呼ばれることになったのだが、それが本人の耳に入るのはもうしばらくあとのことである。
◆
三日馬車に揺られて到着した城は、びっくりするくらいに大きかった。
(うちの修道院が何個……いえ、何十個入るかしら? はあ、すごいわ)
馬車は城の表門から入り、そのまま裏手にあるエルシーたち妃候補がすごすことになる王宮まで回るという。
王宮は表から見えないから、見えている以上に城の敷地は広いはずで、あまりの広さに、ついつい、これだけ広ければ掃除が大変だろうなと考えてしまった。
城の裏手に回れば、城に負けず劣らず大きな王宮があった。
それぞれ二階建ての建物が十三棟、それがすべて回廊でつながれ、ダーナが教えてくれたように、一番左手の端っこには小さいけれど荘厳な礼拝堂があった。
王宮は、右が一番妃候補の家格が高いそうで、左に行くにつれて低くなる。エルシーが使うのはその一番左端。礼拝堂のすぐ隣だった。
エルシーはぱあっと顔を輝かせた。
「礼拝堂のすぐそばなのね!
エルシーがすごすことになる建物の前に馬車が停まるなり、エルシーは馬車から飛び降りて叫んだ。
この三日、「風変わりなお妃候補」にすっかり慣れてしまったダーナとドロレスは驚かなかったが、二人と違ってそれほどエルシーに関わることのなかった護衛騎士たちはギョッとしたような顔をする。
どうして彼らが驚いたのかその時はわからなかったけれど、あとからダーナとドロレスが教えてくれたことには、プライドの高い妃候補たちは、左に近ければ近いほど、嫌がって文句を言うのだそうだ。城から一番近いのが右側なので、そこから離れれば離れるほど国王の渡りが遠のくと考えているらしい。
ダーナがこれからエルシーの住居となる建物の玄関を開けると、そこには髪をぴっちりとひっつめた
ダーナとドロレスが腰を折って、彼女に向かって一礼する。
「お妃様、女官長のジョハナ様です」
女官長は妃候補たちがすごす王宮の管理責任者だそうだ。
エルシーが「はじめまして」とダーナたちに倣って腰を折ると、ジョハナは鋭い視線で
「ジョハナと申します。ようこそ、セアラ・ケイフォード様」
そうだった。エルシーはセアラの代わりに来たのだから、ここではセアラと呼ばれるのだ。ダーナたちからはずっと「お妃様」と呼ばれていたからうっかりしていたが、間違えてエルシーの名を名乗らないように気をつけなければならない。
短い挨拶ののち、ジョハナはピンと姿勢を正して言った。
「ここでのおすごし方についてご説明いたします。今日から一年間、お妃様にはこちらでお過ごしいただき、王宮の外に出られるのは三か月に一度の里帰り期間を除いては、陛下から城内に招かれた際のみとなります。それ以外は無闇に城の方へお近づきになりませんようお願いいたします。王宮の範囲内でしたら、庭を含めて自由に出歩いていただいてかまいませんが、不用意にほかのお妃様のご住居へ向かわれますと
(おおー!)
一息でここまでしゃべったジョハナに、エルシーは小さな感動を覚えた。息継ぎなしだった。すごい肺活量だ。
「次に、衣食住に関する注意点に移らせていただきます。まず、衣食住の衣についてでございますが、最初に二着のドレス、五着の下着、三足の靴が支給されます。それ以外につきましては月に一度、反物をお届けいたしますのでご自身で服をお作りになっていただく必要がございます。靴につきましては難易度が高いため、三か月に一度、二足ずつ支給いたします。また、使われた衣服についてはご自身で洗濯なさってください。次に──」
「ちょ、ちょっと待ってください」
エルシーは「なるほどー」とうんうん頷いて聞いていたのだが、ダーナが慌てたようにジョハナの言葉を遮った。ドロレスも目を丸くしている。
「そんな話は聞いておりません」
「そうですね。昨日陛下がお決めになったことですから。ここでお過ごしになるお妃様候補は例外なく、陛下がお決めになったルールに従っていただきます」
「そんな!」
「続けますよ」
ダーナはまだ何か言いたそうだったが、ジョハナに睨まれて閉口した。



