身代わりの妃候補 ③
移動距離を除くのは、遠方に領地がある令嬢への配慮らしい。ただ、ほとんどの貴族が王都にも別宅を構えているので、だいたいそちらへ帰ることになるとのことだった。ヘクターも王都に邸を持っているが、エルシーのことを知られたくないので、里帰りの時期になれば領地まで戻ってくるように言われている。
そのほかについては特に決まりはなく、王宮の中であれば自由にすごしていいそうだ。
(つまり、二か月と少しは王宮生活かー)
ヘクターが言うには一、二か月で痣も消えるだろうとのことなので、最初の里帰りの時に入れ替われそうだ。思ったよりも早く修道院に帰れそうである。
エルシーはホッとして、説明してくれたダーナに「どうもありがとう」と言うと、ちょっと不思議そうな顔をされた。
「ご質問はございませんか? 陛下のことなどお知りなりたいのでは?」
「ううん、大丈夫」
エルシーは身代わり。王の妃にはなれないし、なるつもりもないから、国王のことを訊ねても仕方がない。それは入れ替わったあとセアラがする仕事だ。
「本当にほかにお
ダーナがなおも訊ねてくるから、ないわと首を横に振ろうとして、ふと訊きたいことを思いついた。
そうだ、どうしても確認しておかなければならないことが一つあった。
「訊きたいことがあるわ」
エルシーがそう言うと、あれほど質問がないのかと促していたにもかかわらず、ダーナがすっと険しい顔をした。
どうしてそんなに怖い顔をするのかわからなかったけれど、エルシーはかまわず訊ねる。
「ねえ、王宮の礼拝堂はどこにあるのかしら? 自由に出入りして大丈夫?」
ダーナはぱちぱちと目を
「…………はい?」
「礼拝堂?」
ドロレスもきょとんとして首をひねった。
「ええ、礼拝堂! 毎日の掃除とお祈りが日課なの」
「……日課?」
「お妃様が?」
二人はますます
「グランダシル様に毎日の感謝を捧げるのよ」
「ええっと………………お妃様は
ダーナが無理やり自分を納得させるような言い方をして、隣でドロレスが困ったように微笑む。
「礼拝堂でしたら、王宮の一番端っこにございますわ。朝の六時から夕方の五時まででしたら、出入りしても問題ございません」
「朝の六時から夕方の五時まで? 時間が決まっているのはどうして?」
エルシーがきょとんとすると、ダーナが小さく息を吐いて言う。
「お妃様の身の安全のためですわ。王宮の中は警備兵がいるとはいえ、あまり遅い時間に歩き回るものではありません」
「つまり、門限ってこと?」
「厳密ではございませんが、そのようなものとお思いになっていただいてかまいません。それに、夜は陛下がお渡りになるかもしれませんから」
「まあ、陛下も礼拝堂でお祈りするの!?」
王にはまったく興味はなかったが、礼拝堂に足を運ぶなら話は別だ。エルシーの中で国王フランシスへの好感度が爆上がりした。
「「…………」」
それなのにダーナとドロレスはそろって沈黙して、酸っぱいものでも食べたような微妙な顔をする。
ダーナがすごく言いにくそうに口を開いた。
「いえ……陛下はお祈りされるのではなく、お妃様の元をお訪ねになるのですよ」
「そうなの? なあんだ。でもどうして陛下が訪ねて来るの?」
「「…………」」
ダーナとドロレスはまた沈黙した。今度は二人そろって額を押さえて馬車の低い天井を見上げる。
(二人ともどうしたのかしら?)
天井に何かあるのだろうかと二人に倣って上を向いてみたが、特に何も見当たらない。
「ええっと……お妃様は、陛下のお妃様候補ですよね?」
「もちろん」
エルシーは身代わりだが、セアラはれっきとした妃候補だ。どうしてそんなことを訊くのだろう。
「陛下がお渡りにならなかったら、その、困りますよね?」
「なんで? は! もしかして陛下がいらっしゃらなかったら礼拝堂に入っちゃダメだったりするの!?」
それは困る。
シスター見習いだったエルシーは、毎朝礼拝堂で祈りを捧げるのが日課だった。これをしないと一日中落ち着かないのだ。
「それはありません!」
エルシーがあわあわしていると、ダーナが少し強めにエルシーの勘違いを正した。
「お妃様、陛下と礼拝堂は関係ありませんわ」
ドロレスも困ったように頰に手を当てる。
「それでお妃様、礼拝堂の件はいったん置いておくとして、ほかにわたくしたちに質問はございますか?」
「ないわ」
礼拝堂さえ自由に出入りできることがわかればそれでいい。
修道院暮らしのエルシーは、部屋の内装にも、ドレスにも宝石にも、なんにも興味はない。妃候補だというくらいだから食べるものは用意されるだろうし、裸で生活しろなどと無茶なことは言われないだろう。
欲を言えば洗濯をさせてほしかったが、あまり妙なことを言うと不審がられるかもしれないので黙っておく。
だからこれ以上、訊くべきことはないのである。
「そう……ですか」
ダーナが解せない顔をしたけれど、もしかして妃候補はあれやこれやと質問をしなければならないのだろうか。そんなことはヘクターに教えられなかったけれど、もしかして失敗した?
「あ、あの、わからないことができたらその都度訊くことにするわ」
エルシーが不安そうな顔をすると、ドロレスがおっとりと笑った。
「不安そうな顔をなさらなくても、ダーナはただ、想像していたのと違う方が来られて戸惑っているだけですわ」
さっそくやらかしたのかもしれない。
(令嬢らしくなかったのかしら? でもどこが想像と違ったのかよくわからないわ……)
やっぱり付け焼刃の淑女教育ではすぐにボロが出てしまうようだ。こんなことで里帰りまでの間を耐えることができるだろうか。
身代わりとしての任務に失敗したら、修道院への寄付を取り下げられるかもしれないから、エルシーはなんとしてもセアラの身代わりという重大任務を遂行せねばならないのだ。
「ど、どこが想像と違ったのかしら? ……わたくし、変?」
変なところは早く直さなければ、そう思ったのだが、ドロレスは首を横に振った。
「勘違いさせてしまったのならば申し訳ございません。変なのではなく……なんと言いますか、お妃様たちは、こういう言い方をするのはなんですけども、我先にと有力な情報を得て、正妃様の地位を勝ち取りたい方ばかりでございますので」
「……陛下のことや、ライバルであるほかのお妃様のこと、それからこれは取り入ってズルをするためでしょうが、女官長のことなどを根掘り葉掘り訊かれるものです」
ダーナがため息交じりに言った。
エルシーは思わず手を叩いた。
「なるほど、それがお妃様らしい行動なのね!」
「は? ……い、いえ、そうではありませんが……」
「違うの?」
「ええっと……、ああ、もう。ですから、そういう方が多いというだけです! 別にそのようなことを訊いてくださいと申しているのではありません」
ちょっぴり怒ったような口調。しかしその顔は怒っているのではなく戸惑いのものだった。
エルシーがよくわからずに首をひねっていると、ドロレスが続ける。
「お妃様選びは、女の戦いですからね。皆さま、ドロドロなさっておいでなのですよ」
「ドロドロ?」
「ネチネチとも言いましょうか」
「ネチネチ?」
「ギスギスと言い換えることもできますわね」
ますますわからなくなった。
(もういいわ、どうせ三か月足らずだもの、わからないことは考えるのをやめましょう)
ドロレスが言うには、訊かなかったことは別に間違いでもないようだから、それでいい。
「お妃様は、ほかのお妃様を蹴落としたいとは思いませんの?」
ダーナが不思議そうな顔で訊ねてきた。
「蹴落とす? どこから蹴落とすのかは知らないけど、そんなことをしたら
セアラだって階段から落ちただけで痛そうな大痣を作ったのである。怪我なんてさせたら



