身代わりの妃候補 ②
「何が親ですか! 子を捨てた人間が、堂々と親を名乗るものではありません!」
カリスタが我慢ならないとばかりに立ち上がった。
「お引き取りください! ここに入った時点でエルシーはわたくしの子! いくら血のつながりがあろうと、決してそのような都合で引き渡しはいたしません!」
カリスタがここまで怒るのは、エルシーが知る限りはじめてのことだった。エルシーのために怒ってくれている。
エルシーは心が温かくなるのを感じて、カリスタに続いて立ち上がった。
「お断りいたします。どうかお引き取りください、ケイフォード伯爵」
カリスタの隣で頭を下げると、ヘクターが鼻白んだ。
「断ればここへの寄付……年、金貨百枚の寄付を打ち切るが、それでもかまわないんだな」
(金貨百枚の寄付!?)
頭を下げたまま、エルシーは目を見開いた。ヘクターは毎年、そのような多額の寄付をしていたのか。もしかしたら伯爵家ではたいした金額ではなかったのかもしれないが、修道院はいつもギリギリのところでやりくりをしていたから、その寄付が打ち切られれば立ち行かなくなることは間違いない。食べ盛りの子供たちも大勢いるのだ。彼らがお
「たとえそうであろうと──」
カリスタがそれでも断ろうとするのを、エルシーは慌てて止めた。
「院長先生、待ってください」
エルシーは頭を上げて、ヘクターを見つめた。ヘクターはすっきりと整った顔立ちをしていた。父親と言うだけあって、目鼻立ちは少し自分と似通ったところがある。エルシーを見る目に温かさはこれっぽっちも感じられなかったが、そこに確かな血のつながりを感じて、エルシーは複雑な気持ちになった。
「わたくしが行けば、寄付を打ち切らないでくださいますか?」
「ああ。なんなら上乗せしてやってもいい」
「エルシー!」
カリスタが止めようとしたが、エルシーは首を横に振った。
ちょっとの間──双子の妹だというセアラの顔の痣が治る間、身代わりになるだけだ。すぐに戻ってこられる。ちょっと我慢するだけだ。それで寄付が今まで通り、いや、それ以上に増えるのならば、こんないい話はないではないか。
「身代わり期間が終われば、返してくださるんですよね」
「もちろんだ。我が家に双子が生まれたなどと、知られるわけにはいかないからな」
あんまりな言い方だったけれど、エルシーは気にならなかった。帰れるならそれでいい。
「わかりました。言いつけに従います」
「エルシー!」
考え直しなさいとカリスタが言うけれど、エルシーは笑って首を横に振った。
どんなひどい痣だって、数か月もすれば元に戻るだろう。エルシーは子供のころからよく転んで青痣を作っていたが、すぐに治った。だからそれほど長い間ではない。
「梨の実がなるころには、きっと戻って来られますから」
そして、梨園で子供たちと梨狩りをするのだ。エルシーがそう言えば、カリスタは諦めたようにうなだれた。
「あなたは本当に……昔から言い出したら聞かないのですから……」
こうしてエルシーは、双子の妹の身代わりで、王宮へ入ることに決まったのだった。
◆
慌ただしいことに、王宮に入るのは修道院を出て十日後のことだった。
王都までの移動に三日かかるため、ケイフォード伯爵家でできた淑女教育は本当に付け焼刃。
母だという人はエルシーにさほどの興味もないようで、「セアラが王宮に入ったあと恥をかかないよう細心の注意を払いなさい」と冷ややかに注意したきり、一度も口をきこうとはしなかった。
セアラは十一年ぶりに会う双子の姉と、そして姉が育った修道院に興味津々で、あれやこれやと質問してくる。顔立ちは似ているが、エルシーよりも少しふっくらしていて、のんびりした自由な性格をしていた。
顔の痣はエルシーが想像していたよりもひどくて、右目の上から下まで大きく広がっている。よほど強くぶつけたのだろう。
なんでも、飼い猫を追いかけて階段を駆け下りた際に足を滑らせて転がり落ちたそうで、顔以外にも、足や腕や肩など、あちこちに痣があるらしい。伯爵家のお姫様なのに、なかなかお転婆だ。育った場所は違えど双子だからなのか、なんとなくエルシーと行動が似ている気がしてちょっとおかしくなる。
「ねえ、エルシー、手紙を書いてもいい?」
セアラが痣を作ったせいで、エルシーはこんな面倒なことに巻き込まれているというのに、彼女はお気楽にそう訊ねる。
それを聞きつけたヘクターが「ダメに決まっているだろう!」と怒鳴ったけれど、怒鳴られてもセアラは平気な顔をして「わたくしだって、ばれなければいいんでしょ? 侍女の名前を使うから大丈夫よ」などと言って、父親をやりこめていた。
侍女は王宮で用意されるため、身一つで王宮に入らなくてはならないらしい。
なんでも、初対面である侍女たちをうまく使えるかどうかも、妃選びの重要なポイントの一つだそうだ。将来人を従えられる器かどうかを測るらしい。
(お貴族様って大変なのね)
そんなことを考えながら生きていかなければならないなんて、修道院で育ったエルシーには考えられない。
人を使うよりも一緒に仕事をした方が楽しいに決まっている。
「セアラの痣も、一、二か月もすれば治るだろう。それまで頼んだぞ」
ヘクターにそう見送られて、王宮からの迎えの豪華な馬車に乗り込んだ。
物語でしか知らないような優美な曲線を描く馬車には、四頭の白馬がつながれている。護衛騎士が四人もいて、王宮でエルシー付きになるという二人の侍女も一緒に迎えに来ていた。
エルシーが馬車に乗り込むと、にこりともせずに侍女二人が頭を下げる。
「はじめましてお妃様。わたくしはダーナ、隣がドロレスでございます」
そう言ったダーナは、黒髪に黒い瞳のキリリとした印象の女性だった。年は二十三だという。隣のドロレスは赤茶色の髪に茶色の瞳で、どことなくおっとりしている。こちらは十七歳だそうだ。
エルシー──いや、セアラはまだお妃候補で、「お妃様」ではないのだが、候補は全員「お妃様」と呼ばれるそうだ。
「ここから三日間かけて王宮へ向かいます。この間、王宮のしきたりなどをご説明いたしますから覚えてください」
キリッとした顔でダーナが言った。
「わかりました、お願いしますね」
エルシーが頷けば、ドロレスがくすりと笑う。
「まあ、お妃様。わたくしたちに敬語を使ってはいけませんわ」
そういうものなのか。二人ともエルシーより年上なのに、敬語で話してはいけないというのは少し緊張する。
「そ、そうなのね。わかったわ」
戸惑いつつも頷けば、ひとまずは及第点がもらえたらしい。「その意気ですわ」とドロレスが頷く。
「ではまず、お妃様がおすごしになる王宮ですが、城の裏手側にあります。王宮は十三棟あって、すべて回廊でつながっております」
「お妃様は国内の貴族令嬢たちの中から選定されていて、上は公爵令嬢、下が伯爵令嬢まで十三人いらっしゃいます」
「なるほどー」
ダーナに続いてドロレスが言ったが、エルシーは身分社会がよくわからないので適当にわかったふりで頷いておいた。
「お妃様のお城への出入りは基本的には禁止されております。お城へ行けるのは、陛下がお認めになった場合や、お城で開かれる茶会やパーティーがあったときにのみとなります。くれぐれも許可なくお城へ立ち入らないでくださいませ」
「わかったわ!」
釘を刺されなくても大丈夫。お城には興味がないのでエルシーが自分の意思で立ち入ることはない。
エルシーがにこにこと笑いながら大きく頷くと、ダーナが少し変な顔をした。
「本当にわかっていらっしゃいますか? 陛下に無闇に会いに行かれてはいけませんと申しているのですが」
「うん、会いに行かないから大丈夫よ!」
陛下とやらにも興味はない。
ダーナはますます変な顔をしたが、気を取り直したようにコホンと
「里帰りは三か月に一度許可されます。事前に申請が必要で、許可される期間は移動距離を除いて二週間となりますのでご注意ください」



