一章 オタクは推しに還元したいんだ、と俺は言った。 ①

 面談室を出るなり、わたしは走った。

 他の生徒たちがとっくに帰宅した校舎に、わたしの足音と荒い呼吸音だけが響く。たそがれどきの廊下はものがなしくて、ひどく疎外感を覚えた。

 わあっ、と遠くからにぎやかな声がして、わたしは足を止めた。

 廊下の窓からは寮の広場にある巨大な女神像が見える。続いて楽器の演奏が始まった。年に一度のお祭り、女神降臨祭が行われているのだ。


「……」


 願いがあるのなら女神様に祈りなさい。人は皆そう言うけれど。

 もう何度も何度も祈ったのに、それでもかなわないときはどうすればよいのだろう。

 楽しげな音楽から逃れるように、わたしは窓の陰にうずくまった。

 女神像に背を向けて両手を組む。

 ぶたを閉じれば、そこは一人きりの闇の中だ。


「──どうか、わたしにも───」


 初めて、自分自身に祈った。



 今日は厄日なのか。

 目覚めてすぐ、俺は思った。

 二月十四日だ。バレンタインデー。女子がチョコをくれる日。俺的には義理チョコのおこぼれにあずかれる日。

 そんな日に、俺は薄暗い森の地面に埋まっているのか──?

 自分でも信じがたいのだが、俺は今、直立した体勢で地中に埋まっている。頭だけが地表に出ている状態だ。視界に映るのはうつそうとした木々のみで、土の匂いが鼻をついている。


(ヤベえぞ……なんで俺、埋められてんだ!?)


 記憶を整理してみよう。

 放課後、俺は高校の教室でおさななじみにフラれた。手作りチョコをもらって本命だと喜んだら、ガチトーンで怒られたのだ。「あんたみたいなキモオタに本命あげないから。自意識過剰やめてほしいんだけど」


 ショックを受けた俺はトボトボと高校を後にした。どこをどう歩いたか自分でも覚えていない。工事現場の横を通ったとき、「危ないっ!」という声がした。上を見ると、降ってくる鉄パイプがあって、ゴッという音とともにそれは俺の頭にクリーンヒットした。

 そして、目覚めたら地面に埋まっている。

 ホワイ??

 状況が飛躍している。、鉄パイプに当たったら地面に埋まるのか。普通は病院のベッドで目覚めるもんじゃないのか。なんで俺は埋められて──。


(はっ、まさか……!)


 恐ろしい仮説がひらめいてしまった。

 落下した鉄パイプで通行人がをする。それは重大な事件だ。下手したらニュースになって工事現場の責任者のクビが飛ぶかもしれない。それを恐れて、彼らはこの事故をなかったことにするつもりではないか。

 をした俺が存在しなければ、事故は明るみに出ない。フラれた男子高校生が失踪した話になるだけだ。

 冗談じゃないぞ、と俺は地面からい出ようとした。

 しかしどういうわけか全身の関節が動かない。踏み固められた土のせいだろうか、力を込めても手足どころか指一本動かせないのだ。周囲を見渡そうにも首も回せない。

 頭上で鳥が鳴き、羽音が遠ざかっていった。

 木々の葉の隙間から見える空はぐんじよう色。もうすぐ夜なのだ。

 人間は水なしでも三日は生きられるんだっけか、と俺が考えていたときだった。

 ガサガサと茂みが揺れる音がする。

 パキ、と枝を踏む足音も。


(助かった! 誰か──)


 はやって声を上げようとしたが、すんでのところで思いとどまる。

 もう日が暮れるのに、森に入ってくるのは誰だ──?

 工事現場の人間は俺が見つかると困る。人の寄り付かない場所を選んで埋めたに違いない。だとしたら、こっちに向かってくる足音は工事現場のやつらだ。彼らは俺の様子を見に来たのだろう。俺がまだ叫べるくらい体力があると知られれば、トドメを刺されるかもしれない。

 死んだフリだ。それでやり過ごそう。

 俺は目をつむり、息を殺した。

 足音は近付き、やがて俺の前で止まる。


「……はあ、やっと見つけたわ」


 ん?

 降ってきたソプラノの声に虚をかれた。男女平等が叫ばれる時代だ。工事現場に女性の作業員がいたっておかしくはない。俺が驚いたのは、その声が妙に幼かったからだ。

 そっと目を上げる。


(っ!?)


 さて、キミたちは銀髪美少女を実際に見たことがあるだろうか?

 俺はない。日本に生まれ、日本に育ち、アニメや漫画をこよなく愛する俺にとって、銀髪美少女とは二次元にのみ存在する虚構フアンタジーだった。

 一秒前までは。

 まばゆいまでの銀髪を風になびかせ、ローブ姿の少女が俺を見下ろしていた。

 小柄で、としは中学生くらいに見える。切れ長の目に、透き通るような白い肌。現実離れした髪色でも違和感がないほど整った顔立ちだ。将来はとてつもない美人に成長するに違いない。またツンとした表情が俺のドストライクで、こんな子に「あ、あんたなんて好きじゃないんだから!」と言われた日には俺は安らかに死ねるだろう。

 ……って、死んだフリはどうしたんだよ!

 慌てて俺は目を閉じた。

 きぬれがして、柔らかい手が俺の頭を包む。


(何だ? 一体何をするつもりだ!?)


 内心でビクつく俺。

 一瞬のめの後、少女は勢いよく俺を引っ張った。


「ふううううううううううんんっっ!!」

「おおおおおいストップストップっ!!」


 たまらず叫んだ。

 とんでもない子だ。俺を地面から引き抜こうとしたようだが、まさか頭を持って引っ張るとは。俺は大根じゃねえ。

「へ? 誰!?」と少女はキョロキョロしている。

 この状況で誰もないだろう。ここにいるのは俺と銀髪美少女だけだ。それとも彼女は俺がとっくに死んでいると思ったのか。


「俺はまだ生きている。頼む、俺を掘り出してくれ、銀髪ツン美少女!」


 死んだフリはやめだ。この少女は俺をほうむりに来たのではない。引き抜こうとしたのだから俺を助けに来たのだ。


「ツン……? わたしのことを言ってるの!?」

「もちろん。銀髪でなおかつツンとしている美少女は、この場ではキミくらいだろう」


 少女がムッとした。俺としては「ツン」はめ言葉だったんだが、彼女はそうは取らなかったようだ。

 険しい表情で彼女は周囲を見渡す。


「失礼なことを言うのは誰よ。隠れてないで姿を現しなさい!」

「初めから現れてるだろ。さっきキミは俺を引き抜こうとしたじゃないか」


 少女の視線が落ちた。

 まん丸い目が俺を捉える。ふう、やっと俺を認識してくれたか。これで一安心、と思った矢先、彼女の口が悲鳴の形になる。


「いやああああああっ、つえしやべったあああああ──っ!!」

「おい待っ、なんで逃げる!? ちょ、置いてかないで! 助けてくださいお願いします銀髪ツン美少女様っ!」

「ひいいいん、様を付ければいいってもんじゃない……!」


 必死の呼びかけもむなしく、少女は銀髪をきらめかせ、すいせいのごとく走り去っていった。

 後に残されたのは地面から頭だけ出した俺一人。

 木々のざわめきがした。


「厄日か……」


 助けに来てくれたと思ったら、逃げていってしまった。

 しかも彼女は奇妙なことを言っていなかったか?

 しやべった、と。



 大きなスコップをかついで銀髪ツン美少女は再び現れた。

 彼女が逃げ去ってからさほど時間はっていない。空はぐんじよう色から濃紺色に変わり、ほしくずがちらほらと見え始めていた。

 ザク、ザクと少女は俺の周囲の土を掘ってくれる。

 己の姿が地中から現れ、俺は思わず間抜けな声をらした。


「どうなってるんだ、これは……」


 つえ、だった。

 自分の身体からだを見下ろすと、ただ一本の棒がある。俺はつえになっていた。

 どうりで関節がぴくりとも動かないわけだ。首が回らないのも地面に埋まっていたからじゃなくて、首が回るようにできていないからだ。


「はは、棒に当たって俺は棒になったのか……この夢はいつ覚めるんだろうな?」

「何わけのわかんないこと言ってるのよ。はあ、まだ抜けないわね……」


 スコップを振るう少女は額に玉の汗を浮かべている。

 つえの俺は全長一メートルほどで、結構な深さまで掘らないといけない。夢の中とはいえきやしやな少女に重労働をさせ、自分は棒立ちでいるこの状況を非常に心苦しく思う。


「すまない。俺もできることなら手伝いたいんだが」

つえのくせに手伝いたいですって?」

「掘り返してくれたキミは俺の恩人だ。何かお礼をさせてほしい」

「お礼?」


 少女は片眉を上げて俺を見た。すぐさま彼女は顔を背ける。


「べ、別に、あんたのためじゃないわ。見つけちゃったんだからしかたなくよ!」

「っ!?」


 聞いたか?

 今のは間違いなくツンデレ構文だった。

 ツンデレキャラ特有の素直じゃない台詞せりふ

 毎朝、俺を起こしに来てくれるおさななじみも似たようなことを言っていた。「べ、別に、あんたのためじゃないわ。あんたが遅刻するとわたしが先生に怒られるんだからしかたなくよ!」

刊行シリーズ

ツンデレ魔女を殺せ、と女神は言った。3の書影
ツンデレ魔女を殺せ、と女神は言った。2の書影
ツンデレ魔女を殺せ、と女神は言った。の書影