一章 オタクは推しに還元したいんだ、と俺は言った。 ⑦

 悪役令嬢はステラをそう呼んだ。先生もステラを「嫌われている」と言った。真偽のほどはともかく、その呼び名には何か理由があるはずなのだ。

 ステラの食べる手は止まっていた。

 遠くをにらむ少女。視線の先ではたくさんの生徒たちが降臨祭を楽しんでいる。


「二度とそれに触れないで。不愉快だわ」

だ? 俺は知りたい! どうしてステラがあんな扱いを受けているのか。一体、誰がステラを嫌っているのか」

「しつこい。触れないでって言ったでしょ」

「なんでその話題を避けるんだ? 何か事情があるなら教えてほしい。他の世界から来た俺なら偏見なくステラの話を聞くことができる」

「話したくないってば。なんであんたにいちいち説明しないといけないのよ」

「だって、〝嫌われステラ〟なんてヒドいじゃないか! 俺はステラを助けたくて──」


 コロン、と俺は階段を転がって植え込みに落ちた。つえが自然に転がるわけがない。ステラが俺を蹴ったのだ。

 植栽のわずかな隙間から俺は少女を見る。


「ステラ……?」


 彼女は食べ終えた紙袋を握り潰し、立ち上がっていた。


「もういい。あんたに付き合うのは終わり。運が良ければ誰かが見つけてくれるわよ、じゃあね」


 拒絶するようなまなしで見下ろされ、俺はしくじったと思った。

 今回のステラは本気だ。ツンデレじゃない。ステラに捨て置かれたら俺は終わりだ。しやべつえなんて奇妙なものを他の人が拾ってくれる保証もない。

 植栽に寝転んだ俺は懸命に声を上げる。


「待てステラ。俺を置き去りにしたって何も解決しないぞ」

「少なくとも二度とあんたと話さなくて済むわ」

「頼む、怒らないで事情を教えてくれ」

「うるさいっ! あんたに関係ないでしょ」


 吐き捨てるように言ってステラは駆け出していた。

 遠ざかる銀髪。動けない俺は彼女を追うこともできない。もどかしさに内心でみする。だからつえ身体からだなんて嫌なんだ。


「関係あるに決まってるだろ。──ステラは俺の『推し』なんだっ!!」


 俺の絶叫が響いた。

 ステラの足は止まっていた。振り向いた彼女は「おし……?」といぶかしむ。


「オタクは推しに生かされているんだ! 推しのために生きていると言っても過言ではない。日々の活力を与えてくれる推しには幸せになってもらいたいし、笑顔でいてもらいたい。推しの幸せこそがオタクの幸せであり、オタクは推しのためなら頑張れる生き物なんだよ!」


 ステラは目を白黒させていた。「推し」も「オタク」も彼女の語彙にはないんだろう。それでも俺は早口で続ける。


「推しに悩みがあるなら俺は解決したい。推しが笑顔でいられるために何かしたい。俺は最初に言ったはずだ。一生推させてくれ、と。そのときから俺はステラ推しだ。だけど、ステラは俺を掘り起こしたり、この世界のことを教えてくれたりしているが、俺はステラのために何もできていないんだ! オタクとして俺は情けない。オタクは推しに還元したいんだ。ステラのために俺に何かさせてくれよ……!」


 独りよがりな懇願だ。だけど、俺の熱意は彼女に届いたようだった。

 足音が近付いてきてステラは俺を見下ろす。


「バッカじゃないの」


 満天の星をバックにステラは言った。

 植栽から拾われた俺は、再び階段に置かれる。横に座ったステラは膝を抱えた。


「はー、わたしのために何かしたいとか、ほんとバカ……」

「オタクは大概バカなんだよ」

「肉付けて真面目な声出すのやめて」


 ポイ、とステラは俺の頰に付いていた肉を放った。ハンカチで俺を拭きながら彼女は重い口を開く。


「ここはアントーサ聖女学園。優れた聖女を育成するオラヴィナ有数の名門校よ。わたしはここの生徒なんだけど、一度もせいほうが使えたことがないの」

「聖女?」

せいほうを修めた女性は聖女って呼ばれるのよ。ほんとにあんた何も知らないのね」

「だから初歩的なところから教えてくれると助かる」

「人はつえを持って正しく祝詞のりとを唱えれば、誰でも──年齢も身分も性別も関係なくせいほうを使うことができる。個人で威力に差はあるけどね」

「でもステラはせいほうが使えない……?」

「そうよ」

「原因はわかっているのか?」

「精霊がわたしを嫌ってるからだって」

「……は?」

「驚くことじゃないわ。せいほうは精霊にお願いしてせきを起こしてもらうのよ。精霊に嫌われたらつえに精霊は宿らないし、せいほうも成功しないわ」


 精霊に嫌われてるから、嫌われステラだと?

 ステラを嫌うとは精霊は一体どんな趣味をしているんだ? 是非とも精霊を集めて、俺にステラの魅力についてプレゼンさせてほしい。推しの布教はオタクの使命だ。


「じゃあ、屋台で前にいた子たちが次々といなくなっていたのは──」

「わたしがそばにいると精霊が逃げて、自分たちもせいほうが使えなくなると思ってるのよ。そんなわけないじゃない。わたしが相手のつえに触れていれば別だけど」


 ステラは目を泳がせた。モジモジと手指をいじる。


「……だから、あんたが初めてなの」


 初めて。その言葉に俺も緊張する。


「あ、あんたがわたしのつえに入ってくれた初めての精霊よ」

「すまない……精霊じゃなくて本当にすまない……」

「はあ、あんたでせいほうが使えたらいいのにね」


 ステラは俺を手に立つ。

 ダンスのステップを踏むように少女は回った。ローブの裾が広がり、彼女の長い銀髪が柔らかく舞う。


「光の精霊よ、崇高なる女神の名の下に契約を果たしなさい。──《光よ、在れルクサリア・ザイン》」


 詠唱だ。

 さっきの悪役令嬢と違って何も変化は起こらない。

 ステラの周囲には重苦しい夜の闇が漂っているだけだ。それでも真摯に詠唱は続く。


「願いなさい、されば与えられる。たとえ真夜中の洞窟にいてもなんじの道はまばゆく照らされる。《光よ、在れルクサリア・ザイン》……どうして皆には応えてくれるのにわたしには応えてくれないの。光の精霊、お願い出てきて《光よ、在れルクサリア・ザイン》……」


 今やステラは泣き声になっていた。つえに額をつけて、身体からだを震わせ、祈るように詠唱を繰り返している。


(おい、光の精霊とやら)


 だんだんと俺は腹が立ってきた。

 ステラが泣きそうになりながらお願いしているのに、無視するとはどういう了見だ? ツンデレのお願いがどれだけ貴重か、まったく理解できていないようだ。

 いいか、ツンデレ少女はまず、自分からお願いなんかしてこない。

 なら彼女たちはとことん素直になれない性格で、たとえ要望があってもそれを口にはしないからだ。特に相手への好意が透けて見えるお願いは絶対に避ける。好意を相手に知られるのは彼女たちにとって死ぬほど恥ずかしいからだ。

 だが今、ステラはお願いしている!

 これはツンデレの鉄壁な羞恥心が破れた奇跡的瞬間なのだ。


(普段ツンとしている子が涙目でお願いしてくる。このシチュエーションにぐっと来ないやつはいないよな!? なんでそれを無視できるんだよ。ちょっと光を浮かべるだけだろうが。ステラがこんなに一生懸命お願いしてるんだから、それくらいかなえてやろうぜ、光の精霊さんよお!)


 そう思ったときだった。

 俺の視界がける。


「え、あ……!」


 俺たちの間に豆電球みたいな光が浮いていた。

 少女の顔が光に照らされ、輝く。

 ステラが口を大きく開けたときには、豆電球はすうっと消えてなくなっていた。


「…………今の、見た?」

「ああ、見た」

せいほうが使えた……! ねえ、初めて! わたし、せいほうが使えた!」


 ステラはキラキラした笑顔ではしゃぎ始める。俺を掲げ、クルクルと回る喜びようだ。


(光の精霊……やればできるじゃないか。ツンデレ少女の笑顔は最高だろ? おまえは俺の同志と認めよう)

「やったわ、オタクのおかげでせいほうが──」


 そこでステラは我に返ったように口をつぐんだ。笑顔を収めた彼女はツンとしたいつもの表情になる。


「どうした? 遠慮なく喜んでいいんだぞ。俺はツンデレのツンがたまらなく好きだが、デレた笑顔はもっと好きだ」

「誰もあんたの趣味は聞いてないわよ! べ、別に、この程度で満足してちゃいけないわよね、と思って」


 はしゃいでしまったのが恥ずかしかったみたいだ。紅潮した頰をステラは押さえる。


「さっきの光、まるで豆粒だったわ。あんな小さい光しか出ないって、あんたやっぱり大した精霊じゃないのね」

「そもそも精霊じゃないからな」

「わたしにせいほうを使わせてくれたのは感謝してるけど、オタクじゃわたしの精霊は務まらないわ。だって、わたしは〈女神の杖オプテイ・バクルス〉を目指してるんだもの」

「オプ……何だって?」

「国軍第一聖女部隊〈女神の杖オプテイ・バクルス〉よ。国軍最強と言われるエリート精鋭部隊で、厳しい入隊試験を突破した本当に優秀な聖女しか入れないんだから。わたしにはオタクみたいな弱い精霊じゃなくて、精霊王が必要なの」


 精霊王がいれば、きっとステラを避ける生徒はいなくなる。

 女神に会って、俺は人間になり、ステラは精霊王を宿す。大円団だ。

 ポツ、ポツ、と広場に光がともり始めた。

刊行シリーズ

ツンデレ魔女を殺せ、と女神は言った。3の書影
ツンデレ魔女を殺せ、と女神は言った。2の書影
ツンデレ魔女を殺せ、と女神は言った。の書影