Ⅲ ⑫
「何百万……ああ、それぐらいなら振ってきてますね」
「そ、そうか」
幼いころから、素振りだけは一日も休んでいないからな。
ただ、今回の作戦行動中はさすがにできなかった。
帰ったら、当分はできなかった分を増やして振らないと。
「もうひとつ訊きたい」
「なんでしょうか」
「そもそも魔族相手になぜ剣を振った? キミの剣は魔族の体に届かない。それは分かっていたはずだろう?」
「ああ、そのことですか……」
手が、自然とシーツを握りしめた。
「剣が届かないということを自らに納得させたかったんです。絶対に届かないということはもちろん分かっていました。ですが、届かないという事実をこの手で体験する必要があったんです」
「………………」
「おかしな考え方だと自覚していますが、俺は───」
「いや……うん。そうか。そうだろうな。キミはそういう考え方をする男だ。おかしくなどないさ」
ティセリウス団長が優しい声音で俺に同調してくれる。
王国最強の騎士が、俺の不合理な考えを理解してくれている。
そのことが嬉しい。
彼女は居住まいを正し、真剣な、そして少し悲しそうな表情で言った。
「ロルフ。私は第五騎士団の論功には口出しできない」
「ええ、そうですね」
「この戦いにおいて、キミの功は比類なきものだが、正当に報われることは無いだろう」
「無いでしょうね」
「……キミの境遇は、察するに余りある」
「いや、けっこう楽しくやってますよ」
「ふ……そうか」
薄く破顔するティセリウス団長。
どんな表情も絵になる人だ。
「……ロルフ、第一騎士団に移れと言われたらどうする?」
────?
ティセリウス団長の問いの意図を考えていると、彼女の後ろから声があがった。
「ま、待ってください! ロルフは私の部下です!」
エミリーだ。
「メルネス隊長、来ていたのか」
「は、はい。たった今。ロルフが目を覚ましたと聞きまして。済みません。立ち聞きするようなかたちに」
「なに、天幕にはノックするドアも無いしな。私の方こそ済まない。上官をとびこえて直接こんな話を。ルール違反だったな」
忘れてくれ、と言って椅子から立ち上がるティセリウス団長。
「ああそうだ、エーリクの件、二人には改めて謝罪する。済まなかった。彼は
「リンデル隊長の件、とは?」
「ロルフへの
「ああ……」
確かに作戦開始前、抗議すると息巻くエミリーに、戦いが終わってからにしましょうと言ったな。実際に抗議したのか。
エミリーに執心しながら報われる気配の無いリンデルが少しだけ気の毒だ。
「元から危ういところのある男だが、そこまでだったとは」
「かなり急進的な人物のようですね。〝殺したところで問題ない〟。俺を殴りつけながらそう言っていました。正直、危険な男に見えます」
エミリーが
俺とのいざこざを抜きにしても、組織にとって危うい男だと思うから。
「うむ……。気にかけておこう。ただ、政治の上手い男でな。譴責にしかできないのも、そのあたりがあってのことなんだ。どうにも不甲斐ない話で済まない」
「いえ、そんな………」
エミリーが恐縮している。
実際、暴力行為とは言え相手は加護なしだ。
それでもティセリウス団長は部下を譴責処分にしてくれたのだ。
「十分ですよティセリウス団長。感謝します」
「そう言ってもらえると助かる。では二人とも、私はこれで失礼する」
天幕を出ていくティセリウス団長。
最後に一声かけていく。
「ロルフ、お大事にな」
「はい。ありがとうございます」
ティセリウス団長が立ち去った後、彼女が出て行った天幕の出口を、エミリーはじっと見つめていた。
「いま、〝ロルフ〟って」
「そうですね」
「いつの間にファーストネームで呼ばれるようになったの?」
「ついさっきです。ティセリウス団長はいつも部下たちをファーストネームで呼んでいますよ」
「ロルフはティセリウス団長の部下じゃないよ。私の部下だよ」
「…………? そうですね」
王国最強の騎士に名を憶えて
それだけのことなのだが。
「…………あの時、どうしてティセリウス団長を助けたの?」
「指揮官を失うわけにはいかないからです」
俺はごく当然の返答を述べる。
「彼女は鎧を着込んでた。ロルフが守る必要は無かったんじゃないの?」
「いえ、伏せずに爆風の直撃を受けていたら危なかったでしょう」
「でも………まあいいや」
エミリーの表情に、なにか彼女に似つかわしくない感情が去来したように見えた。
「……それでね、ロルフ。第一騎士団はまだここに残るけど、第五は明日、ここを出るの」
「そうなるでしょうね」
ここで起きたことを記録したうえ再精査する。
破壊された橋をはじめ、
駐留する部隊を編制して流域に配置する。
戦場の整理だ。
ロンドシウス王国の騎士団は、要するに国軍であり、この種の仕事もしっかりやらなければならない。
第一騎士団はまだ当分忙しいだろう。
だが第五にとってここは任地ではない。
戦いが終わった以上、帰るだけだ。
「負傷して治療中の団員は、しばらく残ることになったわ。ロルフも傷を
「分かりました」
「本当は私も残りたいけど、タリアン団長に許してもらえなくて」
「エミリー様は先にお戻りください。俺もすぐに帰りますので」
騎士が、それも要職にある者が、従卒に付き添って残るなど、許されるはずも無い。
「うん。それじゃ、私は帰りの行軍について会議があるから。お大事にね。治るまで、起き上がって剣を振ったりしちゃダメだよ」
「分かりました、エミリー様」
そう言って、枕に頭を預ける。
そのまま、天幕を出ていくエミリーを横目で見ていた。
彼女は出口で立ち止まり、暫しの沈黙のあと振り返って口を開く。
「ロルフ………。その、さっきティセリウス団長が言ってた、第一騎士団に来ないかって話」
「行きませんよ」
無礼を承知でエミリーの言葉をさえぎる。
「改めて誘われることがあっても?」
「はい」
「……分かった。じゃ、行くね。早く帰ってきてね、ロルフ!」
笑顔を見せ、立ち去るエミリー。
居られる間は、エミリーの傍に居よう。
それが許される間は。
そんなことを思いながら、目を閉じた。



