Ⅲ ⑪
文字どおり一矢報いることを狙ったそれは、ティセリウス団長には当たらず、その背後の天幕に当たった。
騎士たちは安堵の息を吐く。
敵の最後の矢が狙いを外したと思ったのだ。
だが、そうじゃない。
火矢一本でティセリウス団長を害することなどできないと、敵も知っている。
火矢は初めから、あの天幕を狙って放たれたのだ。
天幕の隙間から、もう見たくもなかったあの木箱が見える。
ひとつやふたつではない。うず高く積まれている。
「ティセリウスゥ──!!」
俺は叫びながら彼女の方へ走り出す。
その剣幕に
彼女は目を見開き、それから俺の視線の先にある、背後の天幕を見た。
そして状況を理解し、こちらへ全力で走り出す。
銀の鎧の魔力障壁があっても、爆風と熱波は防げない。
あの量の火薬が至近で爆発すれば、ひとたまりもないだろう。
こちらへ駆けてくるティセリウス団長。
駆け寄る俺。
天幕の中、木箱に火が燃え移る様が俺の目に映った。
爆発が次の瞬間に起こることを理解した俺は、すれ違いざまにティセリウス団長を背後から搔き
この人けっこう小さいな、と場違いな思考が湧くと同時。
けたたましい轟音が駐屯地中に響き渡った。
巨人に背中を踏みつけられたかのような衝撃を感じ、俺の意識はそこで途切れた。
◆
幸いなことに、目を覚ました場所はベッドの上だった。
今度こそ彼岸への川を渡ったかと思ったが、どうやら生きている。
ここは見覚えがある。
医療班の天幕だ。
作戦前夜、リンデルに殴りつけられた後、治療に訪れた場所だった。
「ん? 起きましたか」
看護助手の女性が俺を
「そのまま待ってなさい。起きたら呼ぶように言われてますので」
誰を? と訊く前に彼女は天幕を出ていった。
前回治療を受けた時より、態度に険がある。
たぶん俺が加護なしだってことを知ったんだろう。
ややあって、ティセリウス団長が現れた。
「ロルフ! 目が覚めたか!」
……ロルフ?
「ティセリウス団長」
「起き上がらなくて良い。そのままで」
起きようとする俺を制止しながら、ベット脇の椅子に座るティセリウス団長。
戦の疲れからか、彼女は妙に紅潮していた。
「具合はどうだ? どこか痛むか?」
「骨折のせいか少し熱があるようですが、大丈夫です。ティセリウス団長は負傷しませんでしたか?」
「無傷だ。キミが覆いかぶさって、伏せさせてくれたお陰でな」
「そうですか。良かったです」
「うむ………」
「……?」
「…………私を呼び捨てにしたのを
憶えている。
確かに俺はあの時、天幕に火矢が射込まれるのを見て、彼女の名を呼び捨てで叫んだ。
「咄嗟のことで生来の無作法が出てしまいました。ご容赦を」
「私を伏せさせる時、背後から抱きしめて押し倒したことも憶えているか?」
「か、重ねてお
「憶えているのだな?」
「は、はい」
「ふふ……そうか」
彼女は、あのとき俺が摑んだ肩のあたりをさすっている。
口元が緩んでいるが、笑顔で怒るタイプなのだろうか。
「何にせよ目覚めてくれて良かった。丸一日眠っていたのだぞ」
「戦いはどうなりましたか?」
「あのまま敵軍は撤退した。追撃を主張する者も居たが退けたよ。それで終結。我々の勝利だ」
俺の口から安堵の
終わってくれたか。
「君の上官や
「お気遣い恐れ入ります」
俺やエミリーやフェリシアの初陣は勝利で終わった。
皆、無事に帰れる。
いや、俺が無事と言って良いかどうかは議論が分かれるところだな。
まあとにかく終わった。
少しの間をおいて、ティセリウス団長が
「……橋が爆破される直前。あの瞬間」
「はい」
「キミは瞬時に判断し、対岸へ走り出した」
「ティセリウス団長も」
「ああ。いつも前に出すぎると自覚しているが、あの状況で指揮官が対岸へ飛び込むのはまともではない」
「だが、そうしなければ渡河部隊が全滅していた。私の体は自然に対岸へ向いてしまった」
「まともな指揮官であればこそ、自軍
「ありがとう。嬉しい評価だ。キミも同じことを考えた。私より早くな。そして対岸ですかさず行動を起こし、支流へ向かった」
「見ていたのですか?」
「ああ。キミは馬を奪って支流へ駆け出した。あの火薬を満載した木箱を担いでな。それを見て、私はキミに賭けると決めた。支流が解放されるまで渡河部隊を守ることにしたのだ」
「リンデル隊長と、
「そうだ。三人で渡河部隊に対する敵の攻撃を抑えること数分、上流から爆発音が聞こえ、更に数分後、水流が収まったのだ。それで渡河部隊は行動の自由を取り戻した」
「そこに至るまでの損害はどれほどで?」
「……三割ほどが流されるか敵の攻撃にやられた。流された者については捜索も出しているが見つかっていない」
「そうですか……」
損害は大きいが、デゼル大橋に敵戦力を吸い上げられなくなったあの状況の中では最良に近い結果だろう。
だがティセリウス団長は悔しそうに声を絞り出す。
「本当に無念だ。私が支流の堰き止めを予想できなかったばかりに……」
彼女は目を伏せ、その時の光景を思い出して言った。
「渡河部隊が激流に耐えるのは限界だった。あと一分もすれば決壊し、全員流されていたと思う」
ギリギリだったようだ。
支流で敵工作部隊と遭遇した時、迷わず突撃して良かった。
あそこで少しでも逡巡していたら間に合わなかっただろう。
「キミが居なかったら我々は歴史的大敗を喫していた。感謝に堪えんよ」
「そもそも、第五の渡河速度が遅すぎました。戦場に着く前に疲弊するという我々のミスが無ければ、橋を爆破される前に勝っていたでしょう」
「そもそも、キミが夜間行軍を進言しなければ第五騎士団はここに辿り着いてもいないのでは? しかもそれ以前に、キミは本来とるべき行軍ルートを献策していたのだろう?」
「どうしてそこまでご存知なんですか?」
「第五のクランツ隊員に聞いた」
イェルド・クランツに?
意外だ。
「それで、支流を解放したあと、キミはどうしていたんだ? なぜ敵陣の奥から現れた?」
「支流に流されたんです」
「堰き止められた場所を爆破する時にか?」
「はい。支流には敵の工作部隊がおり、安全を確保しながら爆破する余裕はありませんでした。強行突破のすえ爆破し、俺も支流に流されました」
「……本当に無茶をするなキミは。よく命があったものだ」
「体が頑丈なことが取り柄ですので」
その点はあの父母に感謝すべきか。
もう俺を子とは思っていないあの父母に。
「そして敵駐屯地の背後を突き、陽動をかけて敵の兵力を後方に吸い上げ、自身は前線へ駆けつけた、と」
「そうなります」
「
「え?」
「あれほどの傷を負いながら独り敵地を
「あ、ありがとうございます」
ティセリウス団長の目元に赤みが差している。
こういうところが優れたトップたる所以なのだろう。
「ところで訊きたいのだが」
「はい」
「あれほどの剣、どうやって身に付けた?」
「…………?」
質問の意味がよく分からない。
「ティセリウス団長、あれほどの剣とは?」
「キミが魔族に対して放った剣技だ」
「たった二度、しかも折れた手を使えず片手で振った剣ですが」
「だが、およそ考えられないほどに完璧な刃筋だった。あれは本来、何百万回と振らない限り到達できない域にある剣だ」



