第三章 リリィ、帝都に立つ

 ────ゼニスを出発してから数日が過ぎた。

 馬車や魔法車を乗り継いで、俺達は帝都のすぐ傍までやってきていた。この丘を越えれば帝都を肉眼で確認することが出来るだろう。


「ふんふふ~んっ」


 リリィはお洋服の裾をはためかせ、スキップするように俺の少し前を歩いている。今日はまだそんなに移動していないからか元気そうだ。

 リリィには引っ越しの事を直前まで伝えていなかったから、てっきりぐずられると身構えていたのだが、リリィは割とすんなり引っ越しの事を受け入れた。

 リリィがゼニスをつ際にした事といえば改めてホロとロレットにバイバイを言いに行った事くらいで、せんべつ代わりに貰った服やら酒、ツマミ塩を両手に抱えたリリィは既に帝都での新しい生活が楽しみで仕方ない様子だった。子供らしいといえば子供らしいか。


「────リリィ、言われた通りに出来るな?」

「う、うん。りりーがんばる」


 リリィは緊張した表情でぎゅっと握りこぶしを作った。

 恐らく生まれてからずっとゼニスで奴隷をやっていたリリィは、大都市を見たことがない。迫力のある帝都の街並みを目の当たりにしてポロっと変な事を言ってしまわないとも限らなかった。

 そんな訳で俺はリリィに「何か訊かれても孤児だったと答えること」と言い聞かせていた。言わずもがな奴隷購入は帝都では極刑である。


「よし、じゃあ行くか」


 丘を越え、帝都へ続くメインストリートに出る。すると、懐かしの景色が眼前に広がった。


「お、おおー…………!」


 リリィは帝都の外周を囲むその大きな壁に目を奪われ、圧倒されていた。足を止め、口を大きく開けて、空高くそびつ灰色の壁を見上げている。


「びっくりしたか?」

「おっきなかべ…………」


 リリィは暫くの間、ほうけたように帝都の外壁を見上げていたが、やがて飽きたのか視線を外し俺の親指を握ってきた。


「抱っこするか?」

「んーん、じぶんであるく!」

「了解」


 …………リリィは割とすぐ抱っこされたがるんだが、今はテンションが上がってるらしい。機嫌のいい日は歩きたがるんだよな。

 リリィと一緒に壁に近付いていく。帝都を囲む壁がどんどん存在感を増していく。

 すると、門を守護している兵士達がこちらに視線を向けた。

 帝都を囲む壁は東西南北それぞれに門が一つずつあり、基本的にそこからしか出入りが出来ないようになっている。一見がら空きになっているように見える上空は、実は防護魔法が張られていて、並大抵の魔法使いでは魔法障壁に撃ち落とされるのがオチだ。実際に突破した経験がある俺の感覚では、少なくともA級以上の魔法使いでないとあの障壁を破ることは出来ないだろう。


「二人、入りたいんだが」


 門兵に声を掛けると、兵士は訝しげな視線を俺達に向けた。まあ当然か。人間とエルフの少女の二人組なんて怪しいにもほどがある。


「名前は?」

「ヴァイス・フレンベルグ。こっちは娘の────」

「りりーだよ!」

「…………リリィ・フレンベルグだ」


 リリィは初めて見る『正規の兵士』に興味津々で兵士の周りをうろうろしようとするので、俺はそれを必死に引っ張って食い止めた。頼むからじっとしていてくれ。


「ヴァイス・フレンベルグ…………? その名、どこかで…………」


 兵士は俺の名前に聞き覚えがあるのか、顎に手を当てる。

 ────第一関門突破だ。俺は心の中で指を鳴らした。


 帝都の入場審査は世界で一番厳しいと言われている。

 帝都出身の俺だけであればいくらでも身元を証明出来るが、リリィも一緒となれば話は別だ。純エルフのリリィを実の娘だなんていう噓が通じる訳がなく、当然身元の証明が求められる。

 そうなれば一巻の終わりだった。奴隷を買ったとは口が裂けても言えない。「孤児だった」と言い張るしかないが、その場合は孤児院から発行される証明書が必要になる。そんなものは勿論ない。

 そうなれば身元不明なリリィは帝都に入ることは出来ないだろう。それくらい帝都の入場審査は厳しいんだ。

 ゼニスには文書偽造を生業にしている奴もいるが、もしバレた場合は帝都に住む両親の立場も危うくなる。流石に親を巻き込む訳にもいかない。正攻法でリリィを門の向こうに通す必要があった。

 …………一見詰んでいるように見えるこの状況。だが俺には勝算があった。


「魔法省からお達しが出ていないか? 捜索中だと」


 風のうわさでは、魔法省は未だに俺を探しているらしい。

 魔法省が血眼になって探していた、帝都の歴史でも随一の天才が十年振りに帰ってきたとなれば、付き人の一人くらいうやむやに出来るんじゃないか。俺の狙いはそれだった。

 とりあえず、今は魔法省長官補佐になっていると聞いた、あいつに話を繫げられれば完璧だ。


「魔法省長官補佐のジークリンデに繫いでくれ。ヴァイスが帰ってきたと伝えれば分かる」

「ジークリンデ様に!? あ、ああ…………確認する、ちょっと待ってろ!」


 俺が堂々とした態度で畳みかけると、若い兵士は焦りながら他の兵士の元に駆けていった。

 …………不審者にしてはやけに堂々としている俺の態度に、きっと今彼の中には色々な考えが渦巻いているんだろう。「帝都の官僚に会わせろ」などとのたまう目の前の不審者を自分の所で止めるか、それとも念の為お上にお伺いを立てるべきか。

 普通なら有無を言わさずお帰り願う所だろうが、万が一があっては責任問題だ。俺の名乗った名前にも聞き覚えがある。それがまだ経験の浅い彼を惑わしているに違いない。


「じーくりんで?」


 手持ち無沙汰になったリリィが訊いてくる。


「パパの友達だ。俺達をこの門の中に入れてくれる、とっても優しいおねーちゃんだぞ」

「ほろおねーちゃんみたいなかんじ?」

「ああ、そうだ」


 リリィを怖がらせないように頷いてみせたものの、実際は真逆と言って良かった。リリィの事を可愛がっていたホロとは違い、学問バカのジークリンデはリリィの事を貴重な研究対象としてしか見ないだろう。だが今回はあいつのそういう性質を利用させて貰う。

 暫く待っていると、先程の兵士が戻ってきた。どうやら結論が出たらしい。俺は緊張を表に出さないように注意しながら兵士の言葉を待った。


「…………ジークリンデ様が今向かわれているそうだ」

「そうか。助かるよ」


 困惑気味に兵士は告げた。目の前の男が、お偉いさんのジークリンデが直接会いに来るような人物にはどうしても見えないのだろう。それを言ったら俺はジークリンデが様付けで呼ばれている事に強烈な違和感を覚えるけどな。

 何はともあれ、とりあえずこれで帝都に入ることは出来そうだ。俺はバレない程度に肩の力を抜いて、眠そうに目をこすっているリリィを抱っこした。


「もう少しで入れるからな」

「ぱぱ、りりーねむいかも」

「ああ、寝てていいぞ。お休み」


 割と限界が来ていたのか、リリィはすぐに俺の腕の中で寝息を立て始めた。

 俺に応対していた兵士はいつの間にか門の前の所定位置に戻っていた。俺がジークリンデの知り合いだと分かった以上、下手に刺激したくないんだろう。


「…………ほっぺぷにぷにー」

「むにゅむにゅ…………」


 リリィの寝顔をつんつんしていやされていると、懐かしい魔力が近付いてくるのに気が付く。学生時代に共に励み合った、あの魔力だ。

 魔法省官僚を示す純白のコートを身に纏った一人の女性が門の中から現れると、兵士達が慌てて背筋を伸ばし敬礼のポーズを取った。



 学生時代とほぼ変わらない印象を与えるその女性は、自分に礼を示す兵士達には目もくれず、切り揃えられた赤髪を揺らしながら目の前まで歩いてくる。

 イモくさい髪型の割に整っている顔の、眼鏡の奥の鋭い瞳が俺を捉えた。


「────ヴァイス。久しぶりに帰ってきたかと思えば子連れとはな。私への当てつけかそれは?」

「…………洒落っ気がないのは相変わらずだな。その陰気なデカ眼鏡をやめろって学生時代何回言ったっけか」


 ────かつての同級生であり、そして今は魔法省長官補佐。


『万年成績ナンバー2』ことジークリンデ・フロイドと、こうして俺は十年振りに再会したのだった。

刊行シリーズ

売れ残りの奴隷エルフを拾ったので、娘にすることにした2の書影
売れ残りの奴隷エルフを拾ったので、娘にすることにしたの書影