第二章 ヴァイス、初めての育児 ⑥
ガバッと頭に抱き着かれ、俺はバランスを崩しかけながらホロの店へと足を進めるのだった。
ドアを開けると、もうすっかり耳に
「ほろおねーちゃん! りりーがきたよー!」
「ホロ、邪魔するぞ。走っちゃダメだぞリリィ」
「うん!」
リリィを降ろしてやると、リリィは一直線に奥のカウンターにいるホロの元へ早歩きしていった。走るなという言いつけを守れて偉いな。俺は頷きながらリリィの後を追って歩き出した。
「あらリリィちゃん! 今日も元気いっぱいねえ」
「りりーまいにちげんきだよ!」
ホロがカウンターから出てきてリリィの頭を撫でる。リリィはホロの足に抱き着いて気持ちよさそうにしていた。
「ヴァイスも。いらっしゃい」
「ああ。悪いな、頻繁に来て」
「ウチは服屋よ? 毎日来られて困る事なんてないっての」
「ねえぱぱ、およーふくみてきていい?」
ホロの足に纏わりつきながらリリィが俺を見上げてくる。
「ああ、いいぞ。行ってこい」
「はーい!」
言うや否やリリィは早歩きで子供用の売り場に消えていき、あとには俺とホロだけが残された。ホロはリリィが消えていった方に目線をやりながら、昔を思い出すように呟いた。
「ホント、元気になったわねえリリィちゃん」
「そうだな」
「アンタがゲスから奴隷を買ったって言い出した時はどうなる事かと思ったけど、まさかアンタがこんなに親バカになるとはね」
「俺が親バカだと? ふざけるなよ」
俺はリリィを厳しく育てている。お菓子は毎日一つまでだし、家事の手伝いだって自発的にしてくれるんだぞ。甘やかしていればこうはなるまいよ。
「自覚がないのが面白いのよねえ」
ホロは何事かを呟き、カウンターの向こうに戻った。俺はカウンターに向き直ると本題に入ることにした。今日はこれを伝える為に来たのだ。昔話をしに来た訳でも、リリィの服を買いに来た訳でもない。
「俺、帝都に戻るつもりなんだ」
「は? 帝都? アンタ帝都出身だったの?」
「あれ、言ってなかったか?」
「初耳よ初耳。アンタ自分の事全く話そうとしないじゃない」
「そうだったか…………?」
まあ俺の過去なんて聞いても全く面白くないからな。ゼニスにはどえらいエピソードを持った奴らがゴロゴロいるんだ。そんな中でわざわざ話そうとも思わないだろ。
「それで、帰るって?」
「ああ。来月には戻ろうと思ってる」
「ふーん、そう。因みにどうして?」
ホロは興味があるんだかないんだか、カウンターに肘をついて先を促してきた。
「大した話じゃないんだが…………ほら、ゼニスには学校がないだろ」
「ないわね────ああ、そういうこと」
ホロはそれだけで
「そもそも子供が全然いないからね、この街。ウチに置いてある子供用の服なんて、殆どアンタ達専用みたいになってるし」
この終わってる街ゼニスは極端に子供が少なく、もしいたとしてもその殆どは奴隷だ。そして奴隷は学校には通わない。当然の帰結として、ゼニスには教育の需要がないのだ。とんでもない話ではあるがこれが現実だった。
「俺はリリィを学校に通わせたいと思ってる。帝都には俺の母校もあるし、知り合いも多いからな」
「母校ねえ…………アンタ、そんなしっかりした所からどうしてゼニスになんか来ちゃったわけ?」
私と違って戻る所があるのに────そう言いたげなホロの視線を受け流す。
「それはまあ…………色々だ」
「言う気はない、と」
「別に大した事情はないぞ? ちょっと魔法省に追われてるだけで」
「魔法省て。オオゴトじゃない。帰って大丈夫なの、それ」
追われてるといっても、何か悪い事をした訳じゃない。ただ将来の長官候補としてスカウトされてるというだけだ。
「そこは大丈夫だ。とにかく、ゼニスはリリィの教育に悪すぎるんだよ。まともな奴は皆無だし、こんな所じゃ友達も出来ないだろ」
「それはそうね」
俺もホロも、まともではない。ホロは苦笑しながら頷いた。
「それにしても…………アンタがいなくなると色々不安ね」
「不安?」
「ほら、この悪人の
「それは…………どうなんだろうな」
確かに、俺達がゼニスにやってきた頃、ゼニスは今の比じゃないくらい荒れていた。今のように大通りでまともに商売など出来る状態ではなかった。
俺は片っ端から暴れる奴らをぶちのめしていって、何とかゼニスは街の形を取り戻した。それで俺は街の奴らからアニキと呼ばれている。まあ、昔の話だ。
「だから、アンタがいなくなったらまた荒れるんじゃないかなーって。私はそれがちょっと不安かな」
「もし荒れたとしても、お前は大丈夫だろ」
「まあね。でもほら、大丈夫じゃない人だって沢山いるじゃない」
「それはお前が何とかしてやれよ」
俺がそう言うと、ホロはふっと目を細めて笑った。
「嫌よ。私、善人じゃないもの」
「俺もだ。ゼニスじゃ自分の身は自分で守ることになってる。あとの事はあとの奴に任せるさ」
見知らぬ誰かがどうなろうが、はっきり言って知ったこっちゃない。俺は正義の味方じゃないんだ。
「じゃあ…………行くのね」
「ああ。もし本当にどうしようもなくなったら呼んでくれ。見知らぬ誰かの為は御免だが、お前を助ける為だったら来てやらんこともない」
「なにそれ、告白?」
ホロがニヤッと笑う。
「この一年リリィの服を用意してくれた礼だ。お前がいなきゃリリィは
ホロが口を開こうとして────そこで服を抱えたリリィが早歩きでこちらに歩いてきた。
「ぱぱ、これかってー!」
リリィが服を俺に差し出してくる。俺はそれを受け取ると金貨をカウンターの上に置いた。足りない事はないはずだ。ホロも俺の意図を汲んだのか釣りを返そうとはしなかった。今まで世話になったな。
「リリィ、ホロねーちゃんにばいばいは?」
「ほろおねーちゃん、ばいばーい!」
「またな、ホロ」
「ええ。またねヴァイス、リリィちゃん」
ホロはいつもと同じ笑顔で俺達を見送った。



