第四章 ジークリンデ、実はヴァイスに片思い中 ②
ジークリンデが直接案内してくれるらしく、俺とジークリンデは夕方の帝都を散歩がてら歩いていた。リリィは俺の腕の中ですやすや寝息を立てている。
十年振りの帝都の街並みは、意外なほどに俺の記憶のままだった。
新しく店が出来ていたり、逆に建物が取り壊されていたり。顔見知りがいなくなっていて、そこには知らない奴が住んでいる。そういう事が多分にあると思っていたのだが、今の所目につく変化は感じられない。
ゼニスでは十年どころか一日で街並みが変わることも珍しくない。街並みが変わらないということは、つまりそれだけ帝都が安定しているということなのかもな。
「久しぶりの帝都はどうだ? この辺りも様変わりしただろう」
ジークリンデは軽く手を広げて言った。その横顔はどこか誇らしそうだった。
「そうかあ…………?」
記憶を掘り起こしながら周囲に目を凝らす。
この辺りは商業のメイン通りの中でも特に魔法使いを対象にした区画で、帝国に存在するあらゆるブランドの魔法具店が店を構えている。
大人が二十人は横に並んでも歩けそうな広い石畳の通路には、夕方だというのに沢山の人間が時に肩をぶつけながら行き交っていて、その中には魔法学校帰りの生徒も多数見受けられた。俺もこの辺りは学生時代に
「…………何か変わったか?」
そこの角は俺が学生の頃から魔法具トップシェアブランド『ビットネ・アルキュール』の本店だったよな。んで、その隣が『フランシェ』本店。そうそう、向かいに魔法書専門店があったんだよな。ジークリンデと放課後たまに寄った記憶がある。やっぱり昔と変わってないじゃねえか。
俺が困惑しているのを見て、ジークリンデは大きくため息をついた。
仕方ねえだろ、この十年色々ありすぎたんだよ。
「例えばその角の店、今はビットネだが私達が学生の頃はガトリンだった。ガトリンは今は一本隣の通りに移っている」
「え、あそこ前からビットネじゃなかったか?」
少なくとも俺の記憶じゃそうなってるんだが。
「何を言っている。お前、店の商品全部に自分の魔力を感応させてガトリン出禁になったじゃないか。…………おい、まさか私が一緒に頭を下げてやったのも覚えてないとか言わないだろうな!?」
「あ、あ〜…………そんなこと、あったような…………なかったような…………」
ジークリンデが眉を吊り上げて俺を
…………恐らくこれは魔法具ブランドの
愚痴っぽくなってしまうが、そもそも魔法具の高級ブランドというもの自体、眉唾物だと俺は思っている。
あんなものは一定数の魔法使いが徒党を組み、組織を立ち上げ、希少素材を独占して価格を吊り上げているに過ぎない。杖やローブなんて自分に合うものを使えばいいし、極論なくても構わない。金を払えば払うだけ性能が向上するのは魔法車だけだ。
「…………それって結局どうなったんだっけ?」
「私が代金を肩代わりした。四千三百万ゼニーだったか。お前からの返済が終わったのは確か卒業間際だったな」
四千三百万ゼニー。
魔法省のヒラ職員の年収七年分って所か。ゼニスならエルフの少女が十四万人買える。よくそんな金が当時学生のジークリンデに払えたなと思ったが、そういえばこいつの実家はとんでもない金持ちなんだった。帝都でも有数の名家だ。
「あれからお前は放課後になると、クエストをこなす為に各地を奔走していたな」
「…………ああ、それで俺は魔法省に通ってたんだった。思い出した」
なんとなーく魔法省をよく訪れていた記憶だけはあったんだが、そういう事だったのか。
ジークリンデに多額の借金をした俺は、クエストをこなして金を稼ぐしかなくなり、クエストを受注する為に魔法省に足を運んでいたんだった。四千三百万というと凶悪な魔獣討伐や希少な素材納品が対象のA級クエストに絞っても五十回はクリアしなければならない。
当時の俺、よく頑張ったな。マジで。
「…………別に、私と結婚してくれれば払う必要もなかったのだがな」
「何だって?」
ジークリンデが珍しくごにょごにょっと何かを呟いたが、周囲の
「何でもないさ。よく返済出来たものだと感心していたんだ」
昔話に花を咲かせながら商業通りを抜け、住宅街を抜け、暫く歩いていると急に道がぐわっと広くなる。確かこの辺りは高級住宅街だ。等間隔で並んだ街灯一つ見ただけで金が掛かっているのが分かる。
周囲の魔力を吸収して発光するあの魔石は、サイズが小さいほど値段が跳ね上がる。商業通りやさっきまでの住宅街に並んでいた街灯の魔石は、こぶし大から人間の頭蓋骨くらいの大きさだった。しかし、目の前の街灯は魔石が視認出来ず、ただ街灯の先が光っているようにしか見えない。相当質のいい発光石を使用しているな。一つ三十万ゼニーは下らないだろう。
「────着いたぞ」
ジークリンデが一軒家の前で足を止める。木造二階建ての立派な家だ。庭も広く、芝は綺麗に手入れされている。親子二人で住むには充分すぎると言っていい。
「…………いくらだ? ここ、土地も高いだろ」
俺の予想では一億ゼニー。まあ即金で払えなくはない。
「ここは魔法省の所有物でな。誰も使わないのに手入れだけはするという、税金の無駄遣いの結晶だ。実は帝都にはこういう物件が結構あるんだよ。だから金は必要ない」
「マジか」
「お前にはこれから馬車馬のように働いて貰うつもりだからな。先行投資というやつだ」
ジークリンデは愉快そうに口の端を吊り上げ、家の中に入っていった。
「ここがりりーのあたらしいおうち!?」
「そうだぞー、リリィの部屋もあるからな」
目を覚ましたリリィは目をキラキラ輝かせて新しい家を探検しはじめた。戸棚を開けてはこっちを向いてポーズを取り、家具に乗ってはこっちを向いてポーズを取る。にへらっと笑いながらこっちに手を振るリリィが可愛すぎて、俺はリビングの入り口から動けずにいた。
「…………本当にいいのか? こんな上等な家」
隣にいるジークリンデに声を掛ける。ジークリンデは新しい家にテンションが上がりはしゃいでいるリリィを、感情の読めない冷めた瞳で見つめていた。
「どうせ無人だったんだ、気にしなくていい。近くの家には私の部下も住まわせている。セキュリティも心配はいらないだろう」
「…………マジで助かる。それで、俺とリリィの事なんだが────」
「それも私が上手く処理しておく。お前が帰ってきた事は報告せざるを得ないが、あの子は先天的に見た目に異常があるエルフとして報告しておこう」
ジークリンデは眼鏡をくいっと持ち上げた。学生時代から変わっていないのであれば、それは何か言いたいことがある時の癖だ。
魚心あれば水心あり。大抵の事なら協力するつもりだった。俺はジークリンデの言葉を待った。
「ぱぱー」
リリィが部屋の奥からこちらに手を振る。俺はそれに手をあげて答えた。ジークリンデはリリィをじっと見つめている。
「話は変わるんだが────あの子に母親はいるのか?」
「…………は?」
ジークリンデの言わんとしていることが分からず、俺は間の抜けた声を出した。
生物なのだから勿論母親はいるだろう。そんな事はこいつも分かっているはずだ。だからジークリンデが言いたいことはそれではない。だが、だとしたら何だというのか。
「どういうことだ?」
俺の問いに、何故かジークリンデは頰を赤らめた。不健康なほど真っ白な肌に、僅かに朱色が差している。
「…………生物学的見地から言わせて貰えばだ。あくまで学術的な話に
「ああ、そういう事か」



