第四章 ジークリンデ、実はヴァイスに片思い中 ③

 ジークリンデはリリィの情操教育的な部分を不安に思っているんだろう。魔法学校で教えるのは学問のみで、その他は親の仕事だ。

 確かにそういう部分を教えるのは俺には荷が重いかもな。なんたって俺は黙って親元を飛び出すような男だ。母親代わりの存在がいた方がいいのは間違いない。


「とは言ってもな。どうしようもねえだろ」


 俺に彼女や嫁はいないし、直近で出来る予定もない。ゼニスで一番仲が良かった異性といえばホロだが、結婚なんて想像も出来なかった。


「…………私が、母親になってやろうか?」


 ────予想外の言葉が飛び出した。

 背けられた顔色はうかがれないが、その声は僅かに震えていた。ジークリンデの性格を考えれば、どう考えても無理をしている。ハイエルフが珍しいのは分かるが、そこまでして関わりたいという熱意を持っているとはな。


「冗談よせって。そもそもお前に母親が務まるのかよ。学校じゃガリ勉タイプだったじゃねえか」

「私を甘く見るな。あれから何年経ったと思ってるんだ。学生の頃とは違う」

「なら彼氏の一人でも出来たんだろうな」


 学生の頃のジークリンデは色恋の欠片かけらもない女だった。好きなものは魔法書と歴史書ってタイプ。暇さえあれば大図書館に籠もっていた記憶がある。実は見てくれ自体は悪くないんだが、それが周知される事はついぞなかった。


「それは関係ないだろう。それに、私はお前が…………」


 ジークリンデの声が尻すぼみに小さくなる。視線の先ではリリィがソファの上で楽しそうに跳ねていた。


「…………ともかく。お前が消息を絶ったせいで私が魔法省に勤めることになったんだ。長年の貸し、今こそ返して貰うぞ」


 ジークリンデはそう言うと、リリィの方に歩み寄っていく。リリィは帝都に入ってからさっきまで寝ていた為、ジークリンデとは今がファーストコンタクト。

 リリィはソファの上に立って、不思議そうにジークリンデを見つめている。人見知りするタイプではないと思うが、果たしてどうなるか。


「…………私はジークリンデという」

「わたし、りりー! えっと…………こじ…………? でした!」


 すかさず孤児アピールをするリリィ。言いつけを守れて偉いぞ。

 ジークリンデは何故か思いっきりリリィを睨みつけていた。いや、あれは緊張しているのか?

 分かりづらいがよく見れば顔がこわっている。


「…………リリィちゃん。突然だが…………お母さん、欲しくはないか?」

「ぶっ」


 俺は吹き出した。訊き方があまりに直接的すぎるだろ。


「んー?」


 ほら見ろ、リリィも首をかしげて困ってる。


「…………まま?」

「そうだ。今はパパと二人で暮らしているだろ?」

「うん」


 リリィはこくっと首を大きく縦に振った。ジークリンデの話に興味があるみたいだ。

 …………母親、やっぱりいた方がいいのかなあ。内心寂しかったりするんだろうか。


「もし、私がママになってやると言ったら…………どうだ?」


 ジークリンデが眼鏡の奥で瞳をギラつかせた。それだけで子供慣れしていないのが丸わかりだった。態度が仕事中と全く同じだから。


「うー…………」


 目付きの悪いジークリンデに迫られて、リリィは困ったように視線をきょろきょろさせる。助けを求めて俺に視線を送ってくるが…………ここはあえて動かなかった。リリィの正直な気持ちが聞きたかったから。


「…………りりーには…………ぱぱがいるから…………」


 リリィは逃げるようにソファから飛び降りると、一直線に俺の方に走ってくる。ぎゅっと俺の服を摑んで、後ろに隠れてしまった。

 ジークリンデは信じられない、といった様子でぼうぜんとした表情を浮かべている。

 寧ろどうしてあの迫り方でいけると思ったのか、こっちが訊きたいくらいだ。


「あのおねーちゃん、怖かったよな。ごめんな」


 リリィの頭を優しく撫でてやる。耳を軽くくすぐると、身をよじって抱き着いてきた。


「あははっ、ぱぱくすぐったい!」


 笑顔を取り戻したリリィを見て、ジークリンデが乾いた声を漏らした。


「いったい、なぜ…………」


 お前の顔が怖いからだ。それが分からないようではママは務まらない。

 それにしても…………リリィ、本当は母親が欲しいんだろうなあ。

 ジークリンデの迫力に押されて逃げてしまったけど、迷いが顔に出ていた。きっとホロに同じことを言われたら喜んで首を縦に振っていただろう。

 その辺りも、色々考えておく必要があるのかもしれない。ジークリンデとリリィが打ち解けてくれればそれが一番いいんだが、まだまだ先は長そうだからな。



「────ぱぱ、いっしょにねる」


 ジークリンデが帰った後、書斎で入学式に向けた書類整理をしているとリリィが静かにドアを開けて入ってきた。パジャマ姿で、俺の枕を両手で抱えている。わざわざ俺の部屋から持ってきたのか。


「一緒に?」


 ゼニスでは俺とリリィは一つのベッドで一緒に寝ていた。理由は単純で、間取り的にリリィの部屋がなかったのだ。物置部屋を無理やり整理すればリリィの部屋を捻出出来なくもなかったが、割と早い段階で帝都への移住を決めていたし、リリィ自身から部屋が欲しいと言われた事もなかったので甘えてしまっていた。

 だが今日からは違う。リリィは既に気に入った部屋に自分の荷物(といっても絵本やおもちゃくらいだが)を運び込んでいた。その部屋にはベッドも備え付けられていたはずだ。パッと見た感じではかなり上等なものだった。


「パパと一緒だとまたぎゅうぎゅうになっちゃうぞ?」


 いくらリリィが子供とはいえ、一人用のベッドに二人で寝るのは流石にギリギリだった。リリィはベッドから落ちないように俺の腕にしがみついて寝るのが当たり前になっていたし、リリィのスペースを余分に確保しようとした結果、反対側の俺の肩は宙に浮いていた。俺はどんな状況でも安眠出来るからいいものの、リリィには長い間窮屈な思いをさせてしまったはずだ。折角今日からは両手を広げて眠れるんだから、是非それを味わって欲しいという思いが俺の中にある。

 けれどリリィはマイベッドにはあまり興味がないようで、浮かない顔で傍まで歩いてくると、枕越しに身体をくっつけてきた。


「ぎゅーぎゅーでもいい…………」

「本当にいいのか? パパはリリィと一緒に寝れるのは嬉しいけど」

「うん…………」


 相変わらずリリィの表情は沈んでいる。

 もしかするとリリィは慣れない帝都で少し不安になっているのかもしれないな。さっきジークリンデに迫られた恐怖もあるだろうし。それで一人で寝るのが寂しくなったのかも。

 娘の願いはかなえてやるのが父親の役目だ。俺は書類を揃えてテーブルの端に追いやった。時計を確認するとまだ寝るには早かったが、寂しそうな娘の前にはさいな事だ。

 だが、その前に────


「寝る前にお風呂は?」

「あ、そだった! いっしょはいる!」


 リリィは枕を投げ捨てると、ドタバタと書斎から出ていった。

 おい、枕を寝室に戻してくれよ。


「…………ったく」


 俺は書類から顔を上げ、枕を拾い上げるとリリィの後を追って書斎を後にした。両手を広げて眠れるのは、もう少し先のことになりそうだ。

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売れ残りの奴隷エルフを拾ったので、娘にすることにした2の書影
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