第五章 ヴァイス、娘の為に奔走する ①
ジークリンデは仕事が早い。翌日には魔法学校の入学案内を送付してきた。
今はリビングでリリィと一緒にそれを確認している。
「がっこー? りりーがっこーいくの?」
「そうだぞ。学校はお勉強する所だ」
「おべんきょー! ぱぱもいっしょ?」
「パパはもう卒業しちゃったんだ」
「そつぎょー?」
「卒業は…………なんだろうな。パパも昔学校で頑張ったんだ」
「そうなんだ…………ぱぱえらいね」
リリィはソファに登ると、俺の頭をよしよししてくる。小さい手が不器用に動いて髪がくしゃっとなった。可愛い。
「わわっ」
俺はリリィを膝の上で抱っこすると、デカデカと『必要なもの一覧』と書かれた紙に目を通していく。
筆記用具、体操服、上履き…………そして魔法具。そこには学生時代に使っていた物品が羅列されていた。
「魔法具か…………」
「まほーぐ?」
リリィが首を傾げる。
────魔法具。
それは魔法に関するあらゆる武器、防具、そして衣服の総称だ。
魔法具はその用途に応じて何十種類もあるが、魔法学校で使うのは主に『杖』と『ローブ』。上級生になると『帽子』も必要になる。帽子は魔力を制御する役割があるから、魔力量が多くなる上級生は着用するのが決まりになっている。
「どうすっかなあ」
リリィの魔法具か…………どうせならトップブランドの『ビットネ』で揃えてやりたい。『ガトリン』は俺出禁らしいし。ブランド自体に興味はないが、トップブランドの魔法具はお洒落なものも多いからな。高いだけあって手間は掛かっている。リリィが気に入るものもきっとあるだろう。
「…………よし! お出かけ行くぞ」
「おでかけ! やったやった!」
リリィが膝の上でばんざいする。リリィは昨日、殆ど寝てたからな。帝都の街並み初体験だ。
「ぱぱ、ひとがたくさんいるよ!」
「そうだな、はぐれないようにな」
俺は繫いだリリィの手を確かめた。リリィはぐいぐいと俺を引っ張って、商業通りの広い道を右往左往する。目に入るもの全てが気になるって感じだった。
「ぱぱ、これはなにやさん?」
リリィが指差したのは、明らかに老舗っぽい石造りの店だった。木の板で出来た吊り看板には、店名の他に
「これは…………ローブ専門店か。服屋さんだ」
「ほろおねーちゃん、いる?」
「ホロおねーちゃんは多分いないなあ」
リリィの頭の中では服屋=ホロになっているらしい。懐いてたからなあ。
「入ってみるか?」
「うん!」
『ビットネ』で揃えるつもりだったが、とりあえず見てみるのもいいだろう。こういう個人経営の店は案外いい仕事をする。
「いらっしゃいませー!」
入店した俺達を、フレッシュな声が出迎えた。
店の外観的にてっきり老いた爺が一人でやっているような店かと思ったが、店員は若い女性だった。狭い店内に所狭しと陳列されているローブも古き良きクラシックスタイルかと思えばその真逆で、洗練された今風のデザインが並んでいた。商業通りに出店しているだけあって、その辺りはちゃんとしているらしい。
「入学ですか?」
恐らく自分の店の商品だろう、黒いローブを纏った女性店員が話しかけてくる。店員が身に着けているものは、生地が薄い代わりにひらひらが沢山付いた見た目重視のもので、かなりお洒落だった。服の上に羽織るのではなく、それ自体が服の代わりになるタイプ。性能は生地の材質にもよるのでパッと見では分からない。
「そうだ。見せて貰っても構わないか?」
「ゆっくり見ていってください。可愛らしいお子さんですね」
店員がリリィに目を向けて言う。そうだろう、可愛いだろう。
リリィは目を輝かせながら店員を眺めていた。ローブ姿が珍しいのか?
「りりーだよ!」
「リリィちゃんっていうんだ。学校、楽しみ?」
「うん! たくさんべんきょーするの! それでね、ぱぱをたすけてあげるの!」
「そうなんだ。偉いわねえリリィちゃん」
破顔した店員がリリィを撫でる。俺はリリィの言葉に感動し、熱いものがこみ上げていた。
リリィ…………そんなに俺のことを…………うるうる。
「りりーあっちみてくる!」
手を離すと、リリィは子供用のコーナーに突進していった。その背中を眺めていると、店員が話しかけてくる。
「何か訊きたいことはありますか?」
「そうだな…………この店はどういうローブを置いてるんだ?」
ブランド志向はないし、『ビットネ』より良いと思ったらここで買うのもありだ。店員の愛想もいいしな。
「うちの商品は全て店長が一人で手作りしているんです。凄いんですよ、店長。魔法使いとしても一流なのに、縫製技術も本職顔負けなんです」
「それは凄いな」
ローブの役割は、主に相手の魔法から身を守ることにある。
その為、生地には高い魔法耐性を持つ素材が用いられることが殆どだ。だが逆に言ってしまえば素材自体が役割を担っている為、縫製まで魔法使いが行う必要はない。ローブの製造において魔法使いの役割といえば、精々出来上がったローブに魔力でコーティングをするくらいだ。
因みに高級ブランドのローブは素材自体も希少なものを使用している上、著名な魔法使いが魔力仕上げを施していることが多い。有名魔法使いの名前でお金を取っている訳だ。「あの誰々の祝福が施されています!」みたいな。
「店長の名前は何というんだ?」
一流魔法使いというのなら、名前くらいは知っているかもしれない。
店員が口を開こうとして────しかしその口が店長の名前を紡ぐことはなかった。
「…………その声、もしやヴァイスかい? ヒッヒッ、一体いつの間に帰ってきていたのさ」
しわがれた声と共に、店の奥から見覚えのある老婆が姿を現した。
「…………エスメラルダ先生…………?」
────エスメラルダ・イーゼンバーン。
俺やジークリンデの恩師であり、かつては『帝都で最も優れた魔法使い』と呼ばれていた魔法学校きっての才媛だ。存命の者に限れば、恐らく帝都で最も有名な魔法使いの一人だろう。
「…………この店、エスメラルダ先生の店なのか?」
「ヒッヒッヒッ、道楽で始めたんだが、これが案外愉快でね。いつの間にか三年目さ」
「結構長く続いてるんだな。まあ先生くらい有名ならそれだけで繁盛しそうではあるが」
店の奥から先生がゆっくりとこちらに歩いてくる。身体は小さいものの、
「馬鹿言うんじゃない。アンタだから出てきたけどね、普段は私の名前は出してないよ」
「先生の店だって事は隠してる訳か。でも一体何故?」
「あのエスメラルダが作ってます!」と宣伝するだけで、飛ぶように売れていくだろうに。なんたって先生はかつて帝都で一番と言われた魔法使いだ。
「カッカッ、その辺の高級ブランドみたいでイヤじゃないか。それがやりたいなら『ビットネ』に就職してるよ私は」
「ははっ、確かにな」
高級ブランドをこき下ろす発言は、それだけで面白い。俺はつい笑ってしまった。
「店長、お知り合いなんですか?」
店員が俺と先生の間で視線を彷徨わせる。「出てきていいんですか?」と顔に書いてあった。
「こいつはね、私を学校から引退させた男だよ」
「ええっ!?」
店員が驚いた表情で俺を見る。
「適当言うなよ。何もしてないだろうが」
言いながらも、瞬間的に不安になる。俺は『ガトリン』を出禁になった事すら忘れていた。他にも何かやらかしていないとも言い切れない。
「本当のことさ。アンタが出てきたから、私は『帝都で二番』になっちまったんだからね」
「…………ああ、そういうことか」
俺は『帝都の歴史で一番の天才』と言われている。エスメラルダ先生はかつて、そう言われていた。
「でも、別にそれでクビになったりはしないだろ。先生より優れた魔法使いなんて教職員に一人もいないんだから」
「そりゃそうだ。学校は自分から辞めたのさ」
「…………おい」
話がテキトーなのは相変わらずか。
「でもね、アンタを見て『そろそろ潮時か』と思ったのは本当さね。世代交代の時が来たか、って感じたねえ」
「そういうもんか」



