第六章 リリィ、魔法使いになる ③
魔力と魔法は全く別物だ。例えるなら小麦粉とパンくらい違う。魔力はただの材料であり、そこに技術や知識が加わる事で魔法という形になる。無論、何かの偶然で魔力が魔法として放たれる事もあるが、基本的に魔法の本質は学問だ。だからこそ魔法学校というものが存在する。
「ぱぱ、さんどいっちおいしいね!」
「ああ、そうだな」
俺とリリィは帝都の近くにある森にやってきていた。子供でも歩いてこられる距離にあり、魔法学校の実地訓練でもよく利用される場所だ。噂では数十年前にエスメラルダ先生が森を半分ほど吹き飛ばした事件があったらしいが、今ではその面影は見られない。草花の生命力の強さを感じさせる話だ。
「もぐもぐ…………」
リリィは切り株に腰かけて、お弁当のサンドイッチに夢中になっている。ほっぺにジャムが付いているが気付いている様子はない。指で掬い取って口に運ぶと、果実の酸味と甘味が口の中に広がった。
「さて…………これからどうするか」
太陽は既に頭の上を通り過ぎているが…………実の所リリィの特訓は全く進んでいなかった。朝イチに家を出発したはずなのに、やった事といえば森を散策してお昼ご飯を食べただけ。これは特訓ではなくピクニックと呼ぶのではないか。一体どうしてこうなった。リリィが虫取り網を持参していた時点で嫌な予感はしていたが。
「リリィ、ご飯食べ終わったら特訓するぞ」
「とっくん?」
「魔法の特訓だ。今日はそれが目的だったろ?」
「う~ん…………あ、そだった! とっくんする!」
どうやらリリィは森を探検するうちに今日の目的を忘れてしまったらしい。ハッとした表情を浮かべると、急いでサンドイッチを口に詰め込み始めた。
「食べるのはゆっくりでいいからな」
「────ということだ。分かったかリリィ?」
「う、うん…………!」
青空の下、木漏れ日の差し込むなかで俺は初級魔法書を使いリリィに魔法の基礎を教えることにした。魔法を行使する上での心構え(そんなものを気にしたことはないが一応教えておくべきだろう)から始まり、魔法陣の意味、魔力を魔法に変換する上でのコツなど、これから魔法使いを目指す初心者にぴったりの内容になっている。
流石はハイエルフの頭脳というべきか、リリィは教えた事をすらすらと飲み込んでいった。知識があるのとないのとでは魔法陣の形成にかなり差が出てくるんだが、きっと座学の方は大丈夫だろう。
「えーっと、手ごろな魔物はいないか…………」
この森が魔法学校の実地訓練に使用される理由は凄く単純で、命の危険がある魔物がいないからだ。ピカピカの魔法使い一年生でも勝てるくらいの魔物が、人の目を避けるようにひっそりと生息している。
一般的に魔物といえば『人間を脅かす怖い生き物』というイメージがあると思うが、この森の魔物からすれば人間こそ悪魔だろうな。
「…………お、丁度いいのがいるな」
視線を彷徨わせると、少し先にスライムの親子が歩いていた。足がないので歩くと表現していいのか分からないが、とにかく歩いていた。大きな個体の後ろをぴょこぴょこと小さな個体が付いていく。身体の色からブルースライムだという事が分かった。
ブルースライムはスライムの中でも特にひ弱な生き物だ。この森の生態系の中でも間違いなく最下層に位置している。魔法を覚えたてのリリィでも充分倒せる相手だ。なんなら魔法を使わずとも手で叩くだけで倒せてしまうかもしれない。リリィの実力を試すにはうってつけと言えた。
「リリィ、あそこにスライムがいるのが分かるか?」
「すらいむ? どれ?」
「あの青くて丸っこいやつだ」
「…………あ! ぽよぽよしてるー!」
リリィはスライムを指差して笑った。スライムはその見た目の可愛さから、魔物なのに結構人気がある。ペットにしている奴もいるくらいだが、知能が低い為言う事を聞かず、すぐ飽きてしまうらしい。因みにうちはスライムを飼う予定はない。
「リリィ、さっきの授業を覚えてるかテストだ。あのスライムに火魔法を出してみろ」
「え…………」
さっきまでの笑顔はどこへやら。リリィは悲しそうな顔で俺を見つめてきた。
「ぽよぽよ、かわいそう…………」
「…………そうか」
「うん…………」
「じゃあ…………やめよっか?」
「うん」
スライム、可哀想か…………
そういう視点は俺にはなかったなあ。今まで数えきれないくらいの魔物を倒してきたし。この前なんか『神の使い』と崇められてるドラゴンを二体も倒してしまった。それなのに俺の心は全く痛まない。やはり俺は善人ではないらしい。
「それじゃ…………この
俺が示したのは近くに生えていた巨木。大人が数人で手を広げても囲い切れないほど太いこの樹なら、覚えたてのリリィの魔法くらいじゃビクともしないだろう。
「だいじょーぶかな…………?」
「こんなに大きいんだ、きっと大丈夫だ。思いっきり火魔法を撃ってみな」
「わかった…………!」
────リリィがクリスタルの杖を樹に向かって構える。
すると、赤色の小さな魔法陣がぼんやりと現れた。
「…………よし」
俺は口の中で小さく呟いた。
魔力で魔法陣を描くことが出来れば、あとはそこに魔力を吹き込むだけで魔法を行使する事が出来る。やはりハイエルフは魔法の扱いに長けているらしい。一発で魔法陣を描けるのは相当センスがいい
「────たぁ!」
「…………えっ」
────その瞬間、天を
俺の脳裏には、エスメラルダ先生が森を吹き飛ばしたというエピソードがフラッシュバックした。
「…………やべっ!?」
急いで魔法陣を展開し、そこにありったけの魔力を込める。魔法陣が一際強く輝くと、真っ赤に燃え上がった樹の上に巨大な水球が出現した。
俺の魔力で作られた水球が、まるで生き物のようにゆっくりと巨木を包み込んでいく。本来発生するはずの水蒸気が全く発生しないのは練っている魔力の質に差があるからだ。いくらリリィがハイエルフとはいえ、流石にまだ負けはしない。
「────よし」
水球が完全に樹木を包み込んだ事を確認して、俺は水球を消失させた。鎮火完了。エスメラルダ先生の二の舞は何とか避けられたな。
「ふぁ…………」
「…………リリィ!?」
か細い声に視線をやると、リリィが
「リリィ、大丈夫か!?」
リリィの返事はない。魔力を流して原因を探ってみた所、どうやら魔力の使いすぎで気を失ってしまったようだ。寝ていれば治る症状ではあるので、ほっと一息つく。
「…………学校が始まるまでに魔力のコントロールを教えないといけないな…………それと、帽子もあった方がいいか」
大雑把にだが、魔法具は種別ごとに役割が決まっている。例えばローブは基本的に相手の魔法から身を守る為にある。レアな素材を使ったものは着ているだけで魔力が向上したりするんだが、そういうのは本当に
帽子は魔力を安定させる役割を担っている。普通は魔力量が増えてくる上級生になってから用意するんだが、リリィは今の年齢から着用するべきだろう。どうやらリリィの魔力量は既に上級生レベルを上回っている。リリィには申し訳ないことをしたが、学校が始まる前に分かって良かった。
俺はリリィを抱っこすると、そばに放り投げられていた虫取り網を拾い上げて家路についた。



