第六章 リリィ、魔法使いになる ②
「────この子はね、普通の子より魔力の流れが速いんだ。感覚的にはまだ知覚出来ていなくても、身体の方はそれを分かってる。つまり速い流れの魔力を扱うのに慣れてるのさ。そこにアンタのトロくさい魔力を流してみな、身体が混乱しちまうよ」
「そうだったのか…………」
先生の言葉は俺の心に大きなダメージを与えた。昨日のリリィの涙を忘れた訳ではない。リリィを泣かせてしまったのは、他でもない俺だったんだ。
「ぱぱどうしたの? どっかいたい?」
ショックを隠せない俺を、リリィが心配そうに見上げてくる。
その姿に、俺は子供の頃の自分を重ねた。親が元気のない時は自分のこと以上に心配だった。それを分かっていたのか、俺の両親はそういう姿を殆ど見せなかった。
…………ダメな親だな、俺は。失敗するだけでは飽き足らず、娘を不安にさせてしまっている。
「…………いや、何でもないぞ。ありがとうリリィ」
何とか笑顔を作ると、リリィはほっとした表情を浮かべた。
「それで先生、俺はどうすればいいんだ?」
「簡単さ、流す魔力の速度をあげてやればいいんだ。魔力の速度を調節するのはそれはそれで難しい事だけど、アンタにゃ朝飯前だろう?」
「当然。リリィ、むずむずいけるか?」
「うん!」
沈んだ心を今は忘れ、頭を集中モードに切り替える。
量を抑えつつ、しかし流れは速く。俺はリリィの手を握り緻密なコントロールで魔力を流していく。
「むずむず、なんかいつもとちがう」
「どんな感じだ?」
「うーん…………わかんないけど、いつもよりきもちいいかも」
気持ちが良い、というのはよく分からないが、多分悪い事ではないだろう。リリィの魔力に寄り添えているという事かもしれない。
リリィが目を瞑り、小さく唸る。流れを途切れさせないように意識しながらそれを見守っていると────リリィが目を開き、叫んだ。
「────たぁーっ!」
「うおっ!?」
────瞬間。俺の魔力は凄い勢いでリリィの手のひらから放出され、続いてリリィの魔力の奔流が店の壁に激突する。俺は咄嗟に魔法障壁を張りそれを防いだ。
「ぱぱ! むずむずでたよ!」
目をキラキラさせて俺を見上げるリリィ。
俺の心には喜びと、苦戦させてしまった後悔と、言葉に出来ない達成感が
「リリィ、ごめんな…………いや、おめでとう。今日からリリィは魔法使いだ」
こうして、リリィは魔法使いになった。
◆
リリィが魔法使いになった翌日。
目が覚めた俺は、入学式までのスケジュールを何となく考えながらリビングのカーテンを開けた。寝起きの目には少し痛いくらいの朝日が差し込む。今日も気持ちのいい朝だ。
リリィはまだ寝てるみたいだな────そう思ったのだが、耳を澄ませればリリィの声が
「リリィ、何やって────ぐほっ!?」
ドアを開けながら呼びかけると────何かが思い切り顔面にぶつかった。物体ではなく魔力の類だなと瞬時に判断しながら、俺は仰向けに倒れ込んだ。
「ぱぱっ!?」
どたどた、という振動が床を伝う。慌てて部屋から出てきたリリィが顔の横に座り込んだのが分かった。
「ぱぱだいじょうぶ!?」
「…………ん? ああ、リリィの魔力かこれ。大丈夫だ、何ともないぞ」
正直言うとちょっと痛かったが、強がれないほどじゃない。
顔を真っ青にして俺を覗き込んでいるリリィの頭に手を伸ばし、ぽんぽんと撫でた。
「うぅ…………ぱぱぁ…………」
俺が無事だと分かって安心したのか、リリィが抱き着いてきた。
「よしよし。朝から一体何をやってたんだ?」
背中を
「ぐずっ…………えっとね…………れんしゅー、してたの…………」
「練習?」
魔力が飛んできた事を考えると…………魔法を使う練習だろうか。魔法はまだ教えていないはずだが。
「…………りりーね、はやくまほーつかいになりたくて…………それで、まほーをだすれんしゅー…………してたの…………」
「────ああ、魔力をいつでも出せるようになりたかったんだな」
エスメラルダ先生のアドバイスのお陰もあり、リリィは無事自分の魔力を知覚する事が出来た。しかしそれはまだ魔法使いのスタートラインに立ったに過ぎない。
一般的に魔法使いと認められる為にはそこから魔力を自在に出せるようになり、それを魔法に変換出来なければならない。確かそんな話をいつだかリリィにした気がする。リリィはそれを覚えていて魔力を出す練習をしていたんだろう。まだ思い通りに出す事が出来ないみたいだったからな。
「…………」
半分以上の子が魔法未履修で入学してくることを考えれば、魔法を覚えるのは魔法学校が始まってからでも遅くはない。魔力が知覚出来ているだけで入学準備は万全なんだ。急ぐ必要はどこにもない。しかし、リリィは魔法使いへのモチベーションが高いみたいだった。それを否定する理由もまた、どこにもない。
「リリィはどんな魔法使いになりたいんだ?」
大半の奴は好むと好まざるとに関わらず、自身の性質によってどういう魔法使いになるかを決定づけられる。火魔法が得意だから俺はそっちの道に、私は水魔法が…………ってな具合に。
だが恐らくリリィは望むままの魔法使いになれるだろう。人間や他の種族より魔法適性が高いエルフの、さらに高位種族。こと魔法において右に出るものは…………恐らくこの世界にいない。
俺も選択肢には不自由しなかった方だが、リリィはその比じゃない。だからこそ俺がしっかりと導いてやらないといけない。
リリィがなりたい魔法使いになれるように。
「りりーは…………」
「ああ」
「…………りりーは、ぱぱをたすけてあげれるまほーつかいになりたい…………」
「…………俺を?」
「うん…………」
俺に
「ありがとう、リリィ」
以前────あれはエスメラルダ先生の店に初めて行った時。リリィが「沢山勉強してパパを助けたい」と言っていたのを覚えている。感動して泣きそうになったんだ、忘れる訳がない。
────果たしてリリィは奴隷時代の事をどれだけ覚えているのか。奴隷として売られていた所を俺に買われたという自分の境遇をどれくらい理解しているのかは正直分からない。あの頃のリリィは心が壊れていた。人が変わったように明るい今を見ていると、全く覚えていないんじゃないかとすら思う。
だがこうしてリリィの気持ちを聞くと、もしかしてリリィは全て理解しているんじゃないかとも思う。
それは嬉しいことではあるんだが、同時に悲しくもあった。リリィには何のしがらみもなく真っすぐに育って欲しい。「俺に恩返しをしよう」という気持ちに
「よし────それじゃ今日は冒険行くか?」
「ぼーけん?」
だが、それを今リリィに言った所で何にもならないのは理解している。「俺の事は気にするな」などと伝えたら、逆にリリィは悲しんでしまうだろう。
だから────とりあえず今はリリィのやりたいようにやらせてみよう。親の役目は子供の行く先を決める事ではなく、道を踏み外した時にそっとレールの上に戻してやる事だと思うから。
「帝都の外で思いっきり魔法の練習をするんだ。どうだ?」
「────っ! ぼーけんいく!」
しみったれた話はこれで終わり。俺はリリィを抱っこしたまま腹筋の力で跳ね起きた。
────俺は娘を甘やかす事はしない。ビシバシいくつもりだ。今日が終わる頃にはリリィは立派な魔法使いになっているだろう。
◆
当たり前の事だが、魔力を出せるようになったからといってすぐ魔法使いになれる訳ではない。



