第六章 リリィ、魔法使いになる ①
帝都の魔法学校は教育の質が高いことで有名だが、それに比例するように入学するのが難しいという訳ではない。寧ろその逆で、言ってしまえば誰でも入学することが出来る。首席で卒業した俺も、入学した時は「魔法? ナニソレ?」という状態だった。将来魔法を扱う仕事に就きたいなら、とりあえず魔法学校に入っておけば間違いないというのが帝都の住人の一般認識だ。
そして一口に魔法を扱う職業と言っても、例えばジークリンデのように魔法省に入省する者から、学生時代の俺のように依頼を受けて魔物の討伐や素材の納品を行うハンター、魔法具ブランドの職人などその選択肢は多岐にわたり、結果的に帝都の子供の殆どが魔法学校に入学することになる。
帝都に住む上で…………いや、この世界で生きていく以上、魔法と無縁で生活することは出来ないんだ。
俺はソファに座ると、自分の部屋で何やらごそごそやっているリリィに声を掛けた。
「リリィ、ちょっと来て」
「ん〜?」
弾むようなリリィの声。今からお勉強だと知ったら膨れてしまうだろうか。
必ずしも魔法学校に入学する前から魔法を教えておく必要はないのだが、もしリリィが学校の授業で行き詰まってしまったら可哀想だ。魔法学校の授業は基本的に人間を始めとした一般的な種族を対象としているから、希少種であるリリィには理解し辛いという事もあるかもしれない。魔法に関する下地というか、基本的な知識は
そもそもゼニスにいるうちにその辺りは教える予定だったのだが、つい先延ばしになってしまっていた。ローブと杖が手に入った今が丁度いいタイミングなんだ。
「りりーがきたよー!」
リリィがリビングを走りソファに跳び乗ってくる。外では走らないように言いつけている為、その反動か家の中では元気いっぱいだった。
「リリィ、学校楽しみか?」
「うん! りりーまほーつかいになる!」
笑顔で頷き、魔法使いのジェスチャーのつもりなのか腕をぶんぶん振るリリィだったが、そのジェスチャーが示す通り魔法使いが何なのかまでは恐らく分かっていないようだ。魔法も俺が家の中で使っているのを見たことがあるくらいで、ぼんやりとしか理解していないだろう。
「よーし、それじゃあ今からリリィに魔法を教える」
「やった! おぼえたらりりーまほーつかいになれる?」
「勿論だ。リリィはきっと凄い魔法使いになれるぞ」
テンションが上がったリリィがソファの上で飛び跳ねた。元気が良くて大変よろしい。
魔力というものは一部の種族を除き、全員が生まれつき身体に宿している。それなのに魔法を行使出来るのはしっかりと教育を受けた者だけだ。
────それは一体何故か。
答えは簡単で、魔法を使うというのは極めて感覚的な行為だからだ。「あなたの中にはまだ知らない力が眠っているのです」と言われても、使っていないものは知覚出来ないだろう。そして、知覚出来ないものは使えない。そういうことだ。
だから、魔法を使うにはまず自分の中にある『魔力』を知覚させる必要がある。
「リリィ、目つむってみて」
「ん」
リリィが目を
「なんかむずむずする」
「そのむずむずが魔力なんだ。…………むずむずを手のひらから思いっきり出すことって出来るか?」
身体にとって、他人の魔力は異物そのものだ。リリィは知覚出来ない己の魔力とは違い、体内に流れる俺の魔力を『むずむず』として捉える事が出来ている。そして俺の魔力は既にリリィの魔力を捕まえている。俺の魔力を手のひらから放出する事が出来れば、リリィの魔力も一緒に引っ張られて外に出るはず。その経験が、自分の魔力を知覚する事に繫がるのだ。
「うー…………」
リリィは初めての感覚に戸惑い眉間に皺を寄せた。額には小さく汗が浮かんでいる。俺の魔力が少しずつ押されていく感覚はあるんだが、まだ上手に捉える事が出来ないようで身体の外に放出するまでには至らない。
「むずむず、でてかない…………」
ぎゅう、ぎゅう…………と俺の魔力が小さく押される感覚だけが断続的に続く。
非常に高い知能を持ち、魔力の扱いに
「…………今日はここまでにするか。また明日やってみような」
俺が魔力を切ると、リリィは申し訳なさそうに下を向いた。
「ぱぱ、ごめんなさい…………うまくできなくて…………」
「気にしなくていいさ。学校までまだ一か月もある。ゆっくりやっていこう」
「うん…………」
元気づけるように頭を撫でると、リリィは俺の膝を枕代わりにしてソファに寝転んだ。…………どうやら甘えたい気分らしい。さらさらの青い髪を手で
「…………ふっ」
生活スケジュールは崩れたものの、俺の口には笑みが浮かぶ。『寝る子は育つ』という言葉を思い出したからだ。
◆
「むずむず…………たぁーっ!」
ばっ、と手を伸ばすリリィ。
…………ポーズこそ立派なのだが、俺の魔力はピクリとも動かずリリィの中で絶賛待機中だ。
「ぬぬぬ~…………たぁーっ!」
…………絶賛待機中だ。
「んーーーッ!!!」
以下略。
「…………むずむずでてかない」
「うーん、難しいな」
…………リリィの魔力知覚練習は難航を極めていた。
今試している『他人の魔力で補助する方法』は魔法学校の授業でも実際に行われている由緒正しいやり方なのだが、センスのない生徒でも何度かやればコツくらいは摑んでくる。自分の魔力を知覚する所まではさほど苦労しないのだ。しかし、リリィはやればやるほど成功から遠ざかっていった。
「りりー、まほーつかいになれない…………?」
リリィの目には涙が浮かぶ。俺はそれを拭うと、小さな身体を抱き締めた。
「そんなことないぞ。リリィは絶対凄い魔法使いになれる。パパが保証してやる」
「うん…………」
これは気休めなどではなく、魔法書で読んだハイエルフの特徴が真実だとするならばリリィはかなりの魔法使いになるだろう。きっと将来的には俺をも超えていくに違いない。
…………だが、今はハイエルフであることが足を引っ張っているのかもしれない。最初の知覚部分でここまで躓くのは何か理由があるはずだ。
ジークリンデに相談しようかとも思ったが、恐らくあいつも教科書通りの対応しか出来ないだろう。そうなるともう、頼れそうなのは一人しかいない。
「…………先生に診せてみるか」
◆
「私はもう先生じゃないんだけどねえ…………」
翌日、エスメラルダ先生の店を訪ねリリィの現状について説明すると、先生は大きくため息をつきながら立ち上がった。そのままゆっくりとリリィの前まで歩いてくる。リリィは珍しく緊張した様子で背筋を伸ばした。
「よっ、よろしくおねがいします!」
「ヒッヒッ、親に似ず素直な子じゃないか。私は素直な子は好きだよ」
深い皺の刻まれた先生の手が、ゆっくりとリリィの頭を撫でていく。リリィは身体を縮こまらせて先生にされるがままになっていた。やっぱり緊張してるみたいだな。
「先生、何か分かるか?」
「焦るんじゃないよ。まだ何もしてないさね」
先生の手がリリィの頭から落ちて、身体の横でピシッと伸びている手を捕まえる。そのまま目を閉じると、何度か頷いた。きっとリリィの魔力を探っているんだろう。
「────ヴァイス。アンタ、この子に魔力流す時どういう風にやったんだい?」
「どうって…………別に普通に流しただけだ」
魔力の流し方に種類があるなど聞いたことがない。
「はあ…………やっぱりねえ。それじゃあいつまで経ってもこの子の魔力を引き出せやしないよ」
「…………どういう事だ?」
リリィが苦戦していたのは、俺のせいだっていうのか?
そう思った途端────胸が締め付けられる。
…………もしそうなら、俺はリリィを悲しませてしまった。



